「ヨーロッパ」の事例
(イングランド)
イギリスの北東部、ニューキャッスル市とゲーツヘッド市の境界を流れるタイン川に架けられた歩行者・自転車専用のアーチ橋。この橋がつくられたことで、バルチック現代美術館をはじめとしたゲーツヘッド市のウォーターフロントを訪れる人が増え、かつての工業地区は文化地区として大きく変貌を遂げつつある。
(イングランド)
イギリスの北東部にある都市ゲーツヘッドの南からの玄関口の岡の上につくられた重量200トンという巨大な鋼鉄製の天使の彫刻。新しいゲーツヘッドの目指す都市像でもあり、市民の郷土意識を喚起させるゲーツヘッドの新たなるシンボルとしても機能している。
(イングランド)
ロンドンのバロー・マーケットは、イギリス最古、かつ最大の屋外市場である。1755年に地元住民が6,000ポンドほどで、王様からマーケットを開催する権利を獲得。この権利は未来永劫のもので、バロー・マーケットは、信託統治されているロンドン唯一の自治市場なのだ。
(アイルランド)
ダブリンにおけるテンプル・バーの再開発は、中世の街並みを壊すことなく、新しい建築物が建設できること、しかも、両者が調和することができることを示すことに成功した。
(ドイツ連邦共和国)
IBAエムシャーパークによって、ルール地方は産業遺産を活用した斬新なプロジェクトを展開する。その象徴が、世界文化遺産に指定されたエッセンにあるこのツォルフェライン炭鉱である。
(イングランド)
ノーリッチはロンドンの北東部にあるノーフォーク州の州都。2013年の夏、期間限定で、市内に53体のゴリラの等身大の置物が設置され、それらのゴリラをめぐるトレイルがつくられた。
(ドイツ連邦共和国)
ライン川と都心部とを分断していた国道のトンネル化と、ライン川沿いのプロムナードの整備により、デュッセルドルフのウォーターフロントは魅力的な空間に生まれ変わった。
(イングランド)
ダイアナ・メモリアル・ファウンテンは、ロンドン市内にある広大なケンジントン公園の中にある。1997年に交通事故で他界されたダイアナ妃の記念碑としてケンジントン・パーク内につくられた噴水である。2004年7月6日に開園した。
(スコットランド)
ニューラナークはスコットランドのグラスゴーの南にあるラナークシャー郡の世界遺産である。グラスゴーからローカル鉄道で一時間ぐらいのところにあるラナークの町から2キロメートルほど離れた場所にクライド川が流れている。ニューラナークは、この川の水力を活かした綿工場と従業員のための住居がセットにして計画的につくられた町であり、都市計画史の観点からはメルクマールとなるようなプロジェクトである。
(ドイツ連邦共和国)
ドイツはノルトライン・ヴェストファーレン州にあるデュースブルクの北部地区にあったティッセン社の製鉄所跡地を公園として再生した事例である。この製鉄所は1985年に操業を停止した後、周辺を汚染したまま放置されていた。
(オランダ王国)
エコロニア住宅団地はオランダ、アルフェン・アーン・デン・レインに位置するエコタウンである。開発面積は約2ヘクタール、供給戸数は101戸と決して大きくはないが、いろいろな実験的な試みがなされており、周辺の郊外住宅地とは一目で分かる強烈な個性を発揮している。
(デンマーク王国)
オーフスはデンマーク第二の都市である。とはいえ、人口はわずか29万人。このオーフスの都心にオーフス川が流れている。このオーフス川、1930年代に増加し始めた自動車交通に対応するために暗渠化をして、その上にオー通りという幹線道路を整備した。その後、月日が経つ。1962年には首都コペンハーゲンの都心部から自動車を排除して、歩行者空間ストロイエをつくったことの成功などを経験し、デンマークの都市は全国的に、都心部は自動車ではなくて歩行者を主人公とした都市づくりをしようというトレンド、というか理念が形成されていく。
(デンマーク王国)
バナンナ・パークは5000㎡の運動公園で、運動場、巨大なバナナの形状をした盛り土、芝生、ちょっとした森、クライビング用の壁などが設置されている。都心から西部にあるノアブロ地区の土壌汚染された工場跡地につくられた。バナンナ・パークの地主は、そこを住宅として開発しようと考えていた開発業者に売り渡そうとしていたのを、市役所が干渉して、代わりに市が購入して、この地区周辺に不足していた緑地、そして公共空間を提供するようにした。
(デンマーク王国)
スーパーキーレンは、コペンハーゲン市の西部にあるノーブロ地区につくられた公園。その面積は3ヘクタールに及び、3つのエリアから構成される。赤の広場、黒の市場、緑の公園である。赤の広場は近代的な公園の機能を持たせており、カフェや音楽、スポーツ活動が行える施設・空間が配置されている。黒の市場は、伝統的な広場であり、噴水やベンチが置かれている。そして、緑の公園はピクニック、スポーツ、犬の散歩などに使われている。
(デンマーク王国)
サイクルスランゲンは235メートルの長さの歩行者そして自転車専用の橋である。それは、同じく歩行者そして自転車専用のブリエーブロ橋と国道2号線とを結ぶことになる。この橋は190メートルの長さで4メートルの幅を有している。
コペンハーゲン港の東西を結ぶ200メートルのブリエーブロ橋が完成したのが2006年。これは、自転車移動時間を大幅に短縮させ、また自転車利用を増加させたことで3300万デンマーク・クローネの社会的便益をもたらした事業として評価された。しかし、コペンハーゲンの都心部側(西側)へと橋を渡った後には、目の前にある国道2号線とは高低差があり、せっかく橋を渡っても遠回りをしなくてはならなかった。そのボトルネックを、このサイクルスランゲンは解消することになった。これによって、ブリエーブロ橋の使い勝手が大きく改善され、都心部へのアクセスも向上することになったのである。
(デンマーク王国)
サイクル・スーパーハイウェイは、コペンハーゲンを中心とした20の自治体の協働作業によって整備されることになった。その目的は、コペンハーゲンを中心とする首都地域が、国内でも最も自転車に乗りやすい地域にすることと同時に、環境に優しく、サステイナブルな交通手段である自転車をより普及させていくことにあった。
(デンマーク王国)
コペンハーゲンの都心からすぐ近くにあるノアブロ地区は緑も少なく、また公共空間も不足していた。そのような状況に対処するために、グルドベーグ小学校の校庭を広く開放させることで、児童はもちろんのこと、若者や大人もここでスポーツをしたり、休息をしたりする工夫をした。
グルドベーグ小学校の建物周りのオープンスペースは、公共広場であったり、住民のための遊び場だったり、グルドベーグ小学校の児童の校庭だったりと、その時々の利用者の用途に分けて、多様な積極的な使われ方ができるようにした。
(イングランド)
エクスヒビション・ロード。それは、日本語に訳せば「展示道」とでもなろうか。ロンドンはハイド・パークの南から、サウス・ケンジントンにある800メートルに及ぶ道路は、沿道に18の文化施設を擁する。ヴィクトリア&アルバート博物館、科学博物館、自然博物館、ロイヤル・アルバート・ホール、王立公園、インペリアル・カレッジなどである。
(イングランド)
ロンドンの都心部にあるビクトリア駅から、テームズ川を渡ると、そこは別世界のようである。工場や低所得者用の住宅が建ち並び、多くの移民が生活している。バターシー・スクエアは、そのような地区の一画にある広場である。
(ドイツ連邦共和国)
ライプチッヒ市の都心部、ライプチッヒ中央駅の東部に位置する地区(東ライプチッヒ地区)は、19世紀に建てられた古い集合住宅が集積していたのだが、これら集合住宅は空室率が高く、再開発が必要な状況にあった。ラベット・パークは、そのような地区の中心に1970 年代につくられた公園であった。
(ドイツ連邦共和国)
ヨーロッパの工業の中心とも形容されたルール地方の中核都市の一つドルトムント。このドルトムントを始めとしたルール地方は、産業転換で不必要となった巨大な工業用地がたくさんある。フェニックス・ゼーは同市の南部、ヒューデ地区に位置するティッセン・クルップ社の溶鉱炉と製鉄所があった場所の再開発プロジェクトである。
(アイルランド)
ギネスのビール醸造所は1902年から1904年の間にダブリンの近郊にて建造された。それは、ビールの醸造所としてアーサー・ギネス・サン会社によってつくられた。シカゴ・スタイルの巨大な構造物はアイルランド最初の鉄鋼でつくられた高層建築であった。それは、ダブリンの西地区のランドマークとして人々に親しまれていた。しかし、1980年代には醸造所としては時代遅れとなり、この醸造所を移転して、ストアハウスは1986年に閉鎖された。
(オランダ王国)
ティルブルグ市は、生物多様性を意識した都市計画を実践しており、生物多様性の政策を2010年に策定した最初のオランダの自治体でもある。同市は北ブラバンド州に属し、人口20万人ほどである。ティルブルグ市はそもそも自然保全に熱心な自治体であった。
(ドイツ連邦共和国)
アッシェアーズ・レーベンという都市がドイツのザクセン・アンハルト州にある。ここは人口が3万2千人弱の中都市である。1990年には3万3700人はいた人口が、2000年には2万7千人まで減少してしまった自治体である(最近では多少、増加傾向にある)。
(スペイン)
この大プロジェクトによって、マドリッドは河川という新たな都市景観を獲得し、また数少ない貴重なウォーターフロントを憩いの場に変容させた。週末には6万人が訪れるレクリエーション空間にもなっている。それまで自動車が占用していたウォーターフロント沿いのプロムナードを歩くと、ルイス・ガジャルドンはマドリッド市民にとって、とてつもなく素晴らしいプレゼントをあげたのだな、ということに気づかされる。世紀の大鍼治療である。
(スイス連邦)
スイスの首都ベルン。人口は13万人(大都市圏では31万5千人)と少ないが、世界遺産に指定されている旧市街地への自動車の流入を厳しく制限し、またその歴史的街並みのDNAを継承することで、そのアイデンティティを維持している都市である。
(イングランド)
ロンドンの西部にあるケンジントン地区にポートベロ・ロード・マーケット(通称:ポートベロ・マーケット。以下、これで統一する)。
銀行の休日以外は、月曜日から日曜日まで毎日、何かしらの市が立っているが、最も多くの人出を見るのは土曜日の骨董市である。土曜日だとおよそ10万人が訪れると推測されている。
(スペイン)
スペインは北東部に位置するバスク州の首都ともいえるビルバオ。鉄鋼業や造船で栄えるも、1970年代以降、これら産業が衰退すると同時に人口も縮小しはじめる。工業都市からサービス産業へと産業構造の大転換を図ることになり、そのために大きく都市開発を推進するのだが、その起爆剤となったのがビルバオ・グッゲンハイム美術館であった。
(チェコ共和国)
歴史ある旧市街地の雰囲気を演出するため、17年ぶりに復活したプラハのガス燈。市民にはかつての不気味な時代を彷彿させるという。その意味でも都市のオーセンティシティをしっかりと照らしている。
(チェコ共和国)
味気ない郊外住宅地に現れた宇宙船のような地下鉄駅。地域アイデンティティの薄い地域に強烈なランドマークをつくりだすと同時に、交通移動のハブとしての象徴性をも見事に表現することに成功した。
(ドイツ連邦共和国)
人口減少に対応するために、団地を撤去・減築するという大胆な政策に出たライネフェルデ市。建物を撤去した跡地には、広大なお花畑をつくり、そこに人々が暮らしていた記憶を朧気ながらも次代へと継承している。
(ドイツ連邦共和国)
ドイツ再統一後、競争力の無さから閉鎖され、放置された広大な工場跡地がアーティストたちの活動の場として復活。ライプチッヒ市でも若者にも人気のある文化ゾーンへと変容した。何か創造したくなるような気分にさせられる刺激的な場所。
(ドイツ連邦共和国)
ライプチッヒ・オスト地区にある空き家を「日本」というテーマのもとに、人々が集いアイディアや物を生み出す、クリエイティブな空間として再生することを目標としたプロジェクトが「日本の家」である。
(ドイツ連邦共和国)
シュヴェリーン市は、湖畔へのアクセスや城周辺の公園の整備、そして道路ネットワークの再編成といった都市計画的に重要な課題を、庭園博覧会という「鍼治療」で一挙に遂行した。
(デンマーク王国)
イスラエル広場(南)はコペンハーゲンの中心部にある公共広場。その設計コンセプトは「地面に浮かぶ空飛ぶ絨毯」である。市民の利益を最優先に考えた、コペンハーゲン流の都市デザインがそこにある。
(スペイン)
ボケリア市場はバルセロナのランブラス通り沿いにある公設市場。2013年2月にCNNが発表した「生鮮市場の世界ベスト10」ランキングでは、ボケリア市場は二位の東京の築地市場を押さえて一位であった。
(ドイツ連邦共和国)
ミュンスター市の中心市街地にあるプリンツィパルマルクト。第二次世界大戦でほとんど破壊されたものの、戦後、以前と同じ姿で復興された。都市のオーセンティシティと歴史的文脈の保全に成功した実例。
(ドイツ連邦共和国)
そこは単なる駐輪場ではなく、修理などもできる自転車のクリニックのようであり、また、いろいろな関連部品も購入できる。それだけでなく、レンタサイクルのサービスまでもが提供される。まるで自転車の総合商社のようなビルなのである。
(オーストリア共和国)
フンデルトヴァッサーのデザインは楽しく、その周辺、そして都市をわくわくさせる力を有している。直線を嫌う、その絵画的なデザインは、自然の造形からのインスピレーションにもとづき、そのカラフルな色彩はあたかも建築に生命を吹き込んでいるかのごとく映る。
(スペイン)
ランブラスは歩行者が安全に時間を過ごすことができる空間となっている。そこは、レルネル氏が指摘するように、また人々が出会い、交流する場である。バルセロナの都市らしさを凝縮した空間であり、都市としてのバルセロナのまさにツボとでもいえるような空間であると思われる。
(ドイツ連邦共和国)
ジャイメ・レルネル氏は天才を巧みに都市づくりに活用すべきだと指摘する。あまり天才に恵まれていないマグデブルクもフンデルトワッサーが足跡を残してくれたおかげで、新たな都市のイコンが創造され、都市の貴重な宝物が付け加えられたのである。
(ドイツ連邦共和国)
ザクセンドルフ・マドローには、これまで3度訪れている。2006年に訪れた時は、通り沿いの高層棟の撤去を行っていた。大きなクレーンで建物を壊していく様子は凄まじい迫力であった。しかし、その後、訪れるたびにザクセンドルフ・マドローのまちはよくなっていると感じる。
(チェコ共和国)
無骨で巨大な産業建築の中に、お洒落なお花畑やバーなどがある。私が訪れた時は、ランドスケープの展示がされていたが、それを眺めながらゆったりと産業遺産の巨大な構造物の中でビールを飲むのは、なかなかの空間体験である。
(ドイツ連邦共和国)
デッサウでは、住宅市場の供給過剰に対応するために不要な建物を撤去した跡地を、「図」ではなくむしろ「地」に注目した都市像として提示している。そして、この「地」を空間的にネットワーク化し、新しく創出されたランドスケープを人々に認識してもらうために、それらを「赤い糸」で繋ぐことにした。
(ドイツ連邦共和国)
歴史的建築物を保全しただけでなく、新たな雇用を創出し、また新しい芸術・工芸センターをドルトムントに供給することになったが、極めてコミュニティにとって価値のあったことは、ここが公共広場として機能することで、コミュニティの紐帯を強化する役割を果たしたことである。
(ドイツ連邦共和国)
ドイツではこの5年ぐらいで、カーフリー住宅(オートフライ・ヴォーヌング)という新しいライフスタイルが注目されている。広く知られているのはフライブルクの郊外につくられたファウバーンであるが、ここシュテルヴェルク60の方が、コンセプト的には徹底した街づくりが為されている。
(スペイン)
完成してから5年、この建物は近代的で極めてユニークな意匠が為されているにも関わらず、世界遺産にも指定されている地区を擁するセビージャの旧市街地に見事に融和している。
(フィンランド共和国)
エスプラナーデはヘルシンキの中心、フェリー乗り場とスウェーデン劇場とを結ぶ場所に位置する回廊状の公園である。ヘルシンキの住民は、この公園を「エスパ」と呼び、親しんでいる。決して広くはないが、フィンランドでおそらく最も有名な公園であると指摘されている。
(ドイツ連邦共和国)
ハッピー・リッツィ・ハウスはドイツの中堅都市ブランシュヴァイクの都心部にある漫画のようなイラストが描かれた家の集合体である。
(ドイツ連邦共和国)
クレーマー橋は、ドイツのチューリンゲン州の州都であるエアフルトにあるランドマークである。それはブライト川に架かる橋で、その両側に木造の建物が肩を寄せ合うように建っている。
(ドイツ連邦共和国)
正式な名称は「虐殺されたヨーロッパのユダヤ人のための記念碑」。ドイツにとっては暗く忌まわしい過去であり、多くのドイツ人にとっては思い出したくない歴史の恥部でもある。しかし、そのような歴史を直視し、その記憶を継承する積極的に意思表示をすることで、初めて周辺諸国と和解することができる。
(ポルトガル)
リスボンのサンタジュスタのエレベーターは、おそらく世界で最も有名なエレベーターなのではないだろうか。リスボンの低地バイシャ地区と丘のシアード地区とを結ぶサンタジュスタのエレベーターは観光資源となっており、しかもランドマークとしても強烈な存在感を放つ建築物である。
(ポルトガル)
空に浮かぶ無数の色とりどりの傘の群れ。何も資源がない町でも、アートを使えば新しい魅力を創出できるということを広く世に知らしめた素晴らしい鍼治療の事例。
(ポルトガル)
車両の大改修を1990年代に行ったのだが、外観と車内の内装はレトロなままで維持した。渋みのある車体の黄色は、リスボンの歴史的街並みと見事にマッチしている。
(アイスランド)
レイキャビク最大の夏のイベント、カルチャーナイトはレイキャビクの都心部を舞台に、市民マラソン、野外コンサート、花火大会といった様々なイベントが一日に集中的に詰め込まれて行われる。
(ノルウェー王国)
筆者は、取材のためにオスロ市を滞在中、3回ほどこのオペラハウスを訪れたが、昼夜を問わず常に人で溢れていた。オペラを観劇しない人々もここを訪れているのである。
(ノルウェー王国)
雑草が生い茂り、オスロ市内でも最もイメージの悪い地区の一つとなってしまったるヴァルカン地区。しかし、2004年にAspelin Ramm、Anthon B Nilsen Property Developersというデベロッパー会社によって、ほぼ100%民間主体でミックスドユース地区へと再開発され、オスロ市内でも有数のアーバニティ溢れる人気のスポットへと変貌している。
(スコットランド)
これは、スコットランド唯一のミレニアム・プロジェクトであり、地球とその環境に関しての展示が為されている地球環境教育施設である。地球の資源が有限であること、環境に配慮しないで活動することによって、必ずしっぺ返しが来ることを、強制的ではなく自らの思考の結果として得られるような見事な展示構成がなされている。
(ドイツ連邦共和国)
アカデミー・モント・セニスは、ルール地方にあるヘルネ市のモント・セニス炭鉱跡地につくられた研修施設を中核とした複合機能施設である。そこには、研修者向けの宿泊施設、さらには図書館、地域センター、オフィス、そしてヘルネ市の派出所などが入っている。
(イングランド)
チェスターの壁は、イギリスの西部にあるチェスター市の旧市街地を囲むようにつくられた3キロメートルに及ぶ城壁である。現在では、その上を歩くことができ、ちょっとした空中散歩を楽しむことができる。この壁の歴史は古く、そもそもは西暦70年、80年にローマ人によって築かれた。
(アイルランド)
ダブリン一賑やかな通りである。ブティック、バー、レストランなどの商店がひしめき合う。バスカーズとよばれる大道芸人もここに多く集まり、行く人を楽しませてくれる。さらに、歴史的建築を多く保全しており、まさにダブリンを代表する都市空間となっている。
(ウェールズ)
センター・フォア・アルタナティブ・テクノロジー(C.A.T.)の特筆すべきところは、代替技術の新しいアイデアを湧き水のように次から次へと生み出しているという点である。このような創造的な組織へと成長した要因は、「人を惹きつける純粋さ」と「自己革新を伴う進化プロセスを内包していること」だと考察される。
(ノルウェー王国)
ノルウェー第二の都市であるベルゲン。そこには、14世紀頃からハンザ同盟時代のドイツ商人達が住んでいたブリッゲンというカラフルな木造街区がある。他のヨーロッパの都市では木造建築は煉瓦や石造りへと移行していたのだが、ブリッゲンでは同じ材料、そして同じ場所で建物が更新されていった。
(イングランド)
世界で最初の田園都市であるレッチワースは、田園都市を提唱していたエベネザー・ハワード自らが建設したコミュニティ。このコミュニティ運営の範囲は都市計画や住民組織への補助・扶助といった、通常の自治体が有するような内容も含まれているという点で、極めてユニークな特色を有している。
(イングランド)
250年の歴史という時間の積み重ねといった重みに加え、基本的に個店しか立地できないルールをつくることで、その独自性、アンチ・ショッピングセンター化を指向してきた。そして、それが、このマーケットの揺るぎないアイデンティティ形成に寄与してきたのである。
(スウェーデン王国)
建築の流行などというものを超越した、人は生まれれば死ぬ、という不変的事実を受け入れる場所としての墓地を具体化させたこと、特に北欧人にとって精神的な拠り所でもある「森」へ再び戻るという深層意識を空間的に表現した、まさに聖なるランドスケープである。
(スウェーデン王国)
市場に第一に求められているのは、しっかりと物流拠点として機能することであるが、その市場に優れた建築的意匠を施すことで、それは都市を代表するランドマークになり、人々が愛着をもつ空間になることができる。
(スウェーデン王国)
ストックホルムの冬の夜は長い。そのような中、地下鉄といったそうでなくても日が差さない陰鬱な空間において芸術作品を展示をすることで、そこを創造的・刺激的な空間へと変容させることにした逆転の発想は、まさに「都市の鍼治療」的な事例であると考えられる。
(スウェーデン王国)
インターネットの普及によって、図書館には人々が集まり、交流する、より広場的な機能が求められているように思われる。ストックホルム市立図書館は、まさに人が来たくなるような空間的魅力に溢れている。
(ドイツ連邦共和国)
ベルリン市立ユダヤ博物館は、4世紀から現在に至るまでのドイツにおけるユダヤ人の社会、政治、文化的な歴史を展示している。それは、ドイツにおけるホロコーストという悲惨な歴史的事実を経て、それらをこれまでのドイツにおけるユダヤ人の歴史の文脈の中で位置づけ、展示することも意図している。
(ドイツ連邦共和国)
聖母教会は「バロックの真珠」と形容される素晴らしいバロックの建築群の中でも、その優雅で華やかなシルエットは一際目立っている。復元された聖母教会は、その優雅さを湛えつつも、オリジナルの瓦礫である暗い石と、新たに使われた明るい砂岩の石との対比は、歴史の傷跡を観る者に強烈に訴えかける圧倒的な存在感を纏っている。
(ドイツ連邦共和国)
人口縮小は地域に大きなダメージを与える。まず、活力が削がれていき、状況を変更させるエネルギーとなる投資をしてくれる人もいなくなる。そして、空き家が増え、街並みはさらに寂れた感じになり、縮小を加速化させていくといったマイナスのサイクルが繰り返されていく。ザリネ34は、このマイナスのサイクルの回転を止めるために空き家に注目した。
(スウェーデン王国)
数少ないイエテボリ特有の建築物である郡庁舎様式の建物をしっかりと集積した形で保全することに成功したハガ地区は、イエテボリのアイデンティティを具現化できる貴重な地区となり、その結果、多くの小売店舗が集積しており、歩行者中心の人が溢れる魅力的な都市空間となっている。
(ドイツ連邦共和国)
ナウムブルクは旧東ドイツ、ザクセン・アンハルト州にある人口約33,000人の古都。その歴史的な空間の中を縫うようにトラムが走っている。1メートルという狭軌(標準軌は1435mm)を、1950年代から1970年代の旧東ドイツ時代につくられた車輌がのんびりと走る光景は、まるで50年前にタイムスリップをしたような錯覚を覚えさせる。
(ドイツ連邦共和国)
ハッケシェ・ヘーフェはベルリンのミッテ区、ハッケシェ・マルクト駅のすぐ北側にある複合施設である。旧東ドイツ時代には荒廃するに任せられていたが、そのコンセプトを維持しての改修工事に見事成功した。
(イングランド)
この橋がつくられたことで、新しくつくられたピカデリー・プレイスはもちろんのこと、マンチェスターの中心でもあるピカデリー・ガーデンスと中央駅との歩行者のアクセスも格段に改善された。
(ドイツ連邦共和国)
カール・ハイネ運河は旧東ドイツ時代には下水道として使われ、その環境汚染は凄まじいものがあった。しかし、東西ドイツ統一後、この環境汚染を解決させ、新たに人々が憩えるようなウォーターフロントへと再生することを計画。さらに孤立した港として放置されてきたリンデナウ港とこの運河を結んだことで、港周辺の環境改善や住宅開発も進み、良好な生活環境が生み出されている。
(ポルトガル)
1980年頃からのヨーロッパの都市における大きな政策的トレンドは、公共空間の人間回帰である。具体的にはヒューマン・スケールを重視し、都心部における自動車の交通を制限し、歩行者を主体とした空間の再創造を図るというものだ。このデュッケ・ダヴィラ・アヴェニーダの試みもそのようなトレンドの延長線上にある。ただリスボンでも都心部ではなく、どちらかというと自動車利用が高い近郊部において、このような歩行者主体の公共空間をつくろうと試みたことが注目に値する。
(ドイツ連邦共和国)
もとはドイツでも最大の生産量を誇るドルトムント・ユニオン・ビールの醸造所かつ貯蔵所の建物であったドルトムンダーUタワーは、現在、展示・研究・教育、そして製作活動といった多様な機能を有した新しいタイプの文化拠点となっている。
(ベルギー)
歴史的地区が世界遺産に指定されているブルージュにおいて、新たに都市を改造する機会はほとんどない。そのような状況下では、歴史的地区の縁に存在するヘト・ザンド広場のリ・デザインは、ブルージュにとって多くの課題を解消させる千載一遇の機会であった。
(ドイツ連邦共和国)
プリンツェシンネン菜園は、ベルリンのクロイツブルク地区にあるオープン・スペース。ベルリンの壁が設置されていたため戦後放置されていた場所に、2009年、市民によって都市菜園として開園された。そのコンセプトは、「オープン・スペースを生産性のある野菜をつくる場に変容し、協働し、学ぶ場」というもの。
(スイス連邦)
チューリッヒ市のエルリコン地区(Oerlikon)の再開発地区につくられた公園。開発にあたっての課題は、工場跡地という場所を、いかに人々に親しまれ、来たくなる(住みたくなる)場所へと転換させるかであった。しかも、この再開発地区は兵器工場であったから、そのネガティブなイメージをポジティブなものへと転換させることは、再開発成功の鍵を握っていたといえよう。
(ドイツ連邦共和国)
IBAエムシャーパークの事業として、ボットロップ市のバーテンブロック地区のぼた山の上に1995年につくられた。それは鋼鉄でできた一辺60メートルの三角錐の建築構造物で、底面は地面から9メートルの高さに浮いている。ここからはまさに360度のルール地方の展望を得ることができる。
(ベルギー)
19世紀中ごろにつくられた、窓ガラスの天井をもつショッピング・アーケード。当時の新しい技術である鉄とガラスが可能にしたこのタイプの建築物の先駆けである。
(ドイツ連邦共和国)
デッサウにあるバウハウス・ビルディングは1926年にウォルター・グロピウスによって「バウハウスのアイデアを宣言する」ことを目的に計画され、設計された。100年前とほぼ同じ形で屹立するバウハウス・ビルディングをみると、これが現代においても存在していることの有り難みを痛烈に感じる。現代建築がつくられ始めてから一世紀近くの歳月が経ち、それらの歴史的重要性が認知され、この建築物のように世界遺産にも指定される価値を有し始めている。
(ドイツ連邦共和国)
クヴェードリンブルクは旧東ドイツのザクセン・アンハルト州の西部、ハルツ山地の北東にある人口24,000人の地方都市である。その中心市街地には14世紀に遡るさまざまな時代の木組み家屋が残されている。1994年の世界文化遺産指定も契機となり、市では家屋や街並みの調査を徹底して実施。歴史的建築物を保全するだけでなく、そこで生活し、働けるようにすることを意図した。また、市民を積極的に参加させるために毎年9月に、歴史的建築物の居住者が外部の人達に家を開放するというイベントを2007年から開始している。
(ドイツ連邦共和国)
ノルドシュテーン・パークはドイツ・ルール地方のゲルゼンキルヘン市にある公園である。1993年まで操業していたツェヒェ・ノルドシュテーン炭鉱跡地につくられた。土壌汚染や水質汚染などの問題を解決しながら開発するにあたって、ゲルゼンキルヘン市は、IBA(国際建築展)だけでなく、連邦庭園博覧会までをも活用することになった。これは、いわば万博とオリンピックを同時に開催するようなもので、ある意味、非常に贅沢なことではあるが、逆にいえば、それだけ同市が本事業において失敗は許されないという自覚をもっていたことの裏返しと推察される。
(イングランド)
トラファルガー広場は、ロンドンを代表するランドマークの一つ。自動車交通量が多く、騒音と大気汚染がひどい状態であったのを改造し、歩行者によるアクセシビリティがよく、快適で多くの人々に常時、楽しんでもらえる空間へと変貌させることに成功した。
(ドイツ連邦共和国)
ドイツ・ルール地方に1970年代に建てられた社会賃貸住宅団地。空き家率の増加に直面した市と住宅公社は、大胆な減築を実行し、戸数を減らして団地全体のリニューアルに成功した。地区のイメージは改善されつつあり、改修の5年後には4年待ちのウェイティング・リストができるほどの人気となっている。
(ドイツ連邦共和国)
ミュンヘンの中心部にある、地産地消をメインとした食料品市場であり、広場。第二次世界大戦後、移転・再開発問題にも揺れたが、移転することなく、現在も旧市街地のランドマークとして活気に溢れている。地域文化を開発から守り、本質的な価値を次世代に継承しようとする強い意志が感じられる。
(ドイツ連邦共和国)
閉山したラインエルベ炭鉱のぼた山を中心とする50ヘクタールの地区を公園とするプロジェクト。彫刻家のヘルマン・プリガンが10メートルの高さの芸術作品を設置し、「ヒンメルストレッペ」(天国への階段)と名付けられた。それまで何もなかったぼた山の頂上にランドマークがつくられたこと、そして周辺が森と変容したことで、市民が憩える空間となった。
(スイス連邦)
スイス中央部に位置するルツェルンのカペル橋はヨーロッパで最古の屋根付きの木橋であり、また現存するトラス橋としても世界最古のものである。この橋がルツェルンの宝であるというのは間違いないが、私はルツェルンが有するさらに輝くような宝は、ルツェルンの市民が、それを宝であると強く意識し、それを共有していることだと考える。これこそがルツェルン市を特別なものとし、そこに住む人達にシビック・プライドという帰属意識を持たせる要因になっているのではないだろうか。
(イングランド)
リージェント運河の歩道の魅力は、ロンドン北部の魅力あるスポットを巡ることができることである。道路と交叉せずに、自動車を気にせずに歩けて、自然が多い川沿いを歩くのは快適な体験である。ロンドンという都市の本質的な豊かさ、その歴史的積み重ねなどをカーテンの裏側から覗くような楽しみも与えてくれる。
(デンマーク王国)
コペンハーゲンのど真ん中に、ちょっとした憩いの空間と先端的な子供の遊び場を提供するオアシスのような場所である。都心という極めて経済価値が高いところにおいて、直接的な経済価値をもたらさないものを整備することには勇気がいる。しかし、この空間をつくることで、周辺に多大なる価値を長期的にもたらすことになるのは多くの事例が我々に教えてくれる。
(ドイツ連邦共和国)
人口30万人のうち10万人以上の市民が自転車を利用するドイツの古都ミュンスター。多くのヨーロッパの都市が城壁跡を環状の自動車道路にしたなかで、ミュンスターは自転車と歩行者のためのプロムナードを整備した。コンサートを始めとした多くのイベントが開催されるなど、ただの交通通路ではなく、より広義の公共空間として位置づけられている。
(ベルギー)
ブリュッセルという商都のアイデンティティをまさに具現化したような広場。17世紀末、ルイ14世の軍隊によって破壊されるが、その蛮行への意趣返しを意図したかのように、広場を囲む建築物は美しい調和を奏で、その煌びやかな装飾はパリのどんな広場よりも贅沢で瀟洒なものとなった。
(ドイツ連邦共和国)
1972年のミュンヘン・オリンピックを契機に歩行者専用空間となったノイハウザー・ストラッセとカウフィンガー・ストラッセは、まさにミュンヘンを象徴する歴史的な通りである。カウフィンガー・ストラッセにおける一時間当たりの平均通行者数は12,975人(2011年5月)。この通行者数の多さ(ドイツ国内で4番目)が、ここをドイツで最も売上高の多い通りとしている。
(デンマーク王国)
運河とカラフルな色彩の歴史建築物の景観が楽しめるコペンハーゲンの観光名所。オープン・カフェで飲食を楽しむ人々で賑わっている。しかし、ここは一昔前までは治安も決してよくなく、みすぼらしい雰囲気が漂い、運河沿いには自動車が違法駐車をするという、アメニティからはかけ離れた空間であった。どのようにして変貌したのか。
(ドイツ連邦共和国)
ドイツ、ノルトライン・ヴェストファーレン州のエッセン市に位置するマーガレーテンヘーエは、20世紀初頭、ドイツを代表する重工業企業であるクルップ社に勤める労働者のための社宅として開発された。ドイツの田園都市の中でもドレスデン郊外のヘレラウと並ぶ事例として紹介されている。歴史的コンテクストを重視し、建物をしっかりと保全することに成功している。
(スペイン)
バルセロナにおいて、ガウディの作品はまさに「都市の鍼治療」のようなツボ的な効果を及ぼしている。ガウディの作品があるところは、バルセロナの都市のイメージを人々が思い描く際にツボのような役割を担っているし、その周辺の地区も活性化する。この事例からも理解できるように、その都市と関係性の強い天才は、その都市のアイデンティティを発露させることができる。
(ドイツ連邦共和国)
ドイツのほぼ中間に位置するゴスラーは1992年に世界遺産に指定された。第二次世界大戦で戦災をほとんど受けなかった旧市街地には1,500以上の木組みの家が存在し、市場広場(マルクトプラッツ)は規模こそ小さいが、宝石のような輝きを放っている。
(オーストリア共和国)
ゲトライデ通りは歩行者専用通りであり、おそらくザルツブルクで最も有名な通りである。それはザルツブルクの最も著名人であるヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの生家があるためであるが、それだけではない。このゲトライデ通りでとりたてて目を引くのは、すべての店舗の看板が伝統的なスタイルでつくられていることである。それらの看板は、道を往く人々の頭上に華やかにリズムを刻むように設置されている。
(ドイツ連邦共和国)
ドイツ、ザクセン・アンハルト州のハレ市。南部に位置するグラウハ地区では、人口減少→社会問題の増加→空き家の増加→文化的遺産の損失、といったマイナスのスパイラルに悩んでいた。とはいえ、トップダウンの対策ではなく、地元に精通した人達によるボトムアップ的なアプローチが重要であることをハレ市はよく理解していた。そして考えられたのが「地主調停者」という仕組みであった。この「地主調停者」こそが、グラウハ地区を大きく変える重要な役割を担ったのである。
(フィンランド共和国)
ヘルシンキ中央図書館は、個人ではアクセスが難しいものも、「共有」を通じて誰もが必要なものにアクセス可能になるという、図書館の新しい役割を教えてくれる。図書館が貸すのは「本」や「CD」に限られる必要はない。音楽スタジオ、撮影スタジオ、仕事場(オフィス)、ゲーム機とゲーム・ソフト、高級工具であっても構わないのである。
(ドイツ連邦共和国)
一人の個人の思いによってつくられた芸術・文化的に溢れた魅力的な街路空間。第二次世界大戦で被災するも、その思いを継承した個人によって再生に成功し、現在は地元企業のフィランソロフィー的な組織によって維持されている。その空間はブレーメン市にとって世界遺産の市庁舎と並ぶ観光の目玉にまでなっている。
(フィンランド共和国)
ヘルシンキという都市の物語の主人公のような空間であり、この空間がなければ、ヘルシンキという都市の格は随分と下がっただろうと思われる。設計者エンゲルはこの空間をつくることでヘルシンキに都市の魂を注入することに成功したと思われる。
(デンマーク王国)
コペンハーゲンの主要部を結ぶインナーハーバー橋は2016年に開通した、180メートルの自転車・歩行者専用の橋である。この橋が架けられたことによって、人々の移動パターンは大きく変化しており、都心部における自転車ネットワーク、歩行者ネットワークはより強化されることになった。
(フィンランド共和国)
フィンランドの首都ヘルシンキから鉄道で一時間ほど北にいったところにある地方都市ラハティのアンティランマキ地区。フィンランドのちょっと懐かしい時代を彷彿させるレトロな地区として人気を集めている。保全計画の内容をみるとあまりの細かさに驚くのだが、それを「大切である」と人々が共有することでそこに価値が醸成されていくという好例であろう。
(フィンランド共和国)
ヘルシンキの青空市場であるカウパットリは、ヘルシンキを代表する都市空間であるが、それに隣接したこのオールド・マーケットホールもヘルシンキのシンボル的な都市空間である。2014年に1500万ユーロをかけてリノベーションが施されたが、その歴史的な雰囲気はしっかりと保全されている。
(デンマーク王国)
コペンハーゲンの運河沿いに新たに出現した、レム・クールハウスが設計したBLOXの建物は、都市の文脈を上手く掴んで、その課題を建築によって解決しようとする大胆で見事な試みである。BLOXはウォーターフロント・エリアに新たな目的地性を与え、それまでアクセスが難しかった運河は新たなる公共的な活動の場へと変化しつつある。
(デンマーク王国)
ヴェスター・ヴォルゲーのプロムナード化は、一つのプロジェクトが他のプロジェクトと連携し合い、シナジー効果を発揮させ、単独では発現できなかった都市の魅力を創造するというプラスのドミノ効果が具体化されている。コペンハーゲン・マジックとでも言うべき見事なプロジェクトである。
(ドイツ連邦共和国)
エアフルトのドーム広場で開催されるクリスマス・マーケットは例年200万人が訪れ、ドイツでも最大の規模を誇る。運営は市役所が行ない、クリスマス商品をあつかう店舗が並ぶ一方で、エアフルトの歴史的な人々とクリスマス物語のシーンを再現したクリスマス・ピラミッドが目を惹くなど、シビック・プライドを醸成する機会ともなっている。
(デンマーク王国)
コペンハーゲンのアブサロン教会は、閉鎖されたのち実業家の夫婦に買い上げられ「大規模なリビングルーム」として生まれかわった。毎夕18時から開催される、廉価で質のよい食事が提供される夕食会には老若男女が集い、見知らぬ同士が関係性を構築させる機会を生んでいる。そこはすべての人が受け入れられる空間である。
(ドイツ連邦共和国)
エルプフィルハーモニーは欧州最大の再開発プロジェクトであるハンブルクのハーフェンシティに建つコンサート・ホール。つくられたと同時にその都市のイコンとなるような建築はなかなか多くない。都市のアイデンティティ構築、都市観光における目的地づくり、シビック・プライドの醸成など、いろいろなプラスの側面が考えられるが、エルプフィルハーモニーはそれらに加えて新たに見事な公共空間を創出したこと、市民が音楽に親しむ機会を大幅に増やしたことなどからその効果は極めて大きい。
(ドイツ連邦共和国)
ドイツのバーデン・ビュルテンブルク州にあるカールスルーエ市は路面電車(トラム)と都市鉄道という二つの異なるシステムを初めて共同運行させた自治体として知られる。このシステムのポイントは、郊外部では郊外鉄道のスピードという長所を活かし、都心部ではトラムの柔軟性という長所を活かすということである。共同運行が実施されたことで、乗客は中央駅で乗り換えずに市街地にそのまま入ることができるようになり、利便性が著しく向上した。
(スウェーデン王国)
スウェーデン南部マルメ市のアウグステンボリ団地はサステイナブル・コミュニティとして知られている。しかし、かつては大雨が降ると水害が生じ、多くの住民が去り、団地は経済的にも社会的にも荒廃していた。それが排水問題という「ツボ」をサステイナブルにする取り組みをきっかけにしてポジティブな波及効果が広がり、今日のようなアメニティの高い団地をつくることに成功したのである。
(デンマーク王国)
コペンハーゲン南東部にあるゴミ処理施設、アマー・リソース・センターは老朽化が進んでおり、それを建て替える必要があった。そこで、その建て替えのための設計コンペを2011年に行った。提案されたアイデアは、高さ85メートルの丘のようなごみ焼却発電所を建て、その屋上をスキー場にするという奇抜なものであった。完成したコペンヒルには環境教育を学ぶ施設も併設されている。ゴミ処理施設の概念を大きく変える施設である。
(ドイツ連邦共和国)
ライプツィヒはパサージュの都市である。市内には25のパサージュがある。商業的賑わいのある歩行者屋内空間がつくるネットワークはライプツィヒ市に大きな魅力をもたらしている。その中でも最も知名度が高く、また空間的にも瀟洒で存在感があるのはメドラー・パサージュであろう。
(ドイツ連邦共和国)
ドイツのバイエルン州北部にあるバイロイトは人口72,000人ほどの地方都市。その名前を広く世に知らしめているのはドイツが誇る大作曲家リヒャルト・ワグナーのオペラを演じるバイロイト・フェスティバルである。街中にはリヒャルト・ワグナーの銅像も多く設置されており、まさにワグナーの都市である。その都市と関係のある天才をまちづくりに活かした興味深い事例である。
(ドイツ連邦共和国)
マールブルク市はヘッセン州にある人口が76,000人ほどの都市。第二次世界大戦の戦災を受けなかったこともあり、丘陵地につくられた旧市街地に、細い路地が毛細血管のように広がっている。そこに入ると、あたかも中世の時代にタイムスリップしたかのような錯覚を覚える。
(イングランド)
バターシー・パワーハウス・ステーションは、最盛期にはロンドンの電力の2割をも供給していた石炭火力発電所。1980年代までに発電所としての役割を終えた。2012年に再開発案が合意され、再開発プロジェクトが始まった。17ヘクタールという大規模な敷地を対象としたものであり、地区は大きく変貌し、ロンドンという歴史都市において近未来的な都市空間が出現した。
(イングランド)
ブリストルの街を歩くと落書きの多さにすぐに気づく。 バンクシーに触発された多くの芸術家達がブリストルを目指し、市内の壁面は極めて芸術性の高い「落書き」に溢れることになった。その都市景観はユニークであり、圧倒的な個性を有している。
(ドイツ連邦共和国)
ベルリン市内を歩くと、ところどころでモノを丁寧に持ち上げているような形で両手を挙げている等身大(高さは2メートル)の熊の像に出会う。これらの熊は様々なボディ・ペインティングが為されていて、どことなく無機質で機械的な印象を与えるベルリンの街並みに、カラフルな躍動感を与えてくれる。
(ドイツ連邦共和国)
ドイツ、ザクセン・アンハルト州の小さな都市・ザルツヴェーデル市の名物はバウムクーヘン。市役所も自らを「バウムクーヘン都市」としてアピールしている。そしてそのオーセンティシティの形成に貢献しているのが、飛びきりの老舗である「ヘニッヒ」である。
(フィンランド共和国)
ヘルシンキのヘルネザーリ地区では大規模な再開発が進んでいる。 この工事現場を目隠しするように1キロメートルに及ぶ長大な壁画が描かれた。そこにはヘルシンキの24時間を1時間ごとに区切った絵が描かれている。工事現場の壁という無味乾燥になりがちなものを魅力的な空間に変えるアプローチである。
(ドイツ連邦共和国)
北ドイツの歴史都市リューベック市は、旧市街地を取り囲むウォーターフロントの空間アメニティを改善し、歩行者に優しい都市づくりを進めている。ドレーブリュッケン広場はウォーターフロントへと階段状のベンチが設置されているのだが、それはあたかもウォーターフロントを舞台とした劇場の観覧席のようである。
(フィンランド共和国)
広大なる再開発地区に人々の注目を集めさせることはなかなか難しい。そこに人々の足を運ばせるとなると尚更である。しかし、ヘルシンキの海沿いに広がる再開発地区につくられたロウリュ公共サウナは、ウォーターフロントに対するヘルシンキ市民の意識を変えるようなプロジェクトとなっている。
インタビュー
(建築家・元クリチバ市長)
「よりよい都市を目指すには、スピードが重要です。なぜなら、創造は「始める」ということだからです。我々はプロジェクトが完了したり、すべての答えが準備されたりするまで待つ必要はないのです。時には、ただ始めた方がいい場合もあるのです。そして、そのアイデアに人々がどのように反応するかをみればいいのです。」(ジャイメ・レルネル)
(横浜市立大学国際教養学部教授)
ビジネス、観光の両面で多くの人々をひきつける港町・横浜。どのようにして今日のような魅力ある街づくりが実現したのでしょうか。今回の都市の鍼治療インタビューでは、横浜市のまちづくりに詳しい、横浜市立大学国際教養学部の鈴木伸治教授にお話を聞きました。
(福岡大学工学部社会デザイン工学科教授)
都市の鍼治療 特別インタビューとして、福岡大学工学部社会デザイン工学科教授の柴田 久へのインタビューをお送りします。
福岡市の警固公園リニューアル事業などでも知られる柴田先生は、コミュニティデザインの手法で公共空間をデザインされています。
今回のインタビューでは、市民に愛される公共空間をつくるにはどうすればいいのか。その秘訣を伺いました。
(地域計画家)
今回の「都市の鍼治療インタビュー」は、九州の都市を中心に都市デザインに携わっている地域計画家の高尾忠志さんへのインタビューをお送りします。優れた景観を守ための開発手法や、複雑な事業を一括して発注することによるメリットなど、まちづくりの秘訣を伺います。
(大阪大学名誉教授)
1970年代から長年にわたり日本の都市計画・都市デザインの研究をリードしてきた鳴海先生。ひとびとが生き生きと暮らせる都市をめざすにはどういう視点が大事なのか。
これまでの研究と実践活動の歩みを具体的に振り返りながら語っていただきました。
(クリチバ市元環境局長)
シリーズ「都市の鍼治療」。今回は「クリチバの奇跡」と呼ばれる都市計画の実行にたずさわったクリチバ市元環境局長の中村ひとしさんをゲストに迎え、お話をお聞きします。
(大阪大学サイバーメディアコモンズにて収録)
お金がなくても知恵を活かせば都市は元気になる。ヴァーチャルリアリティの専門家でもある福田先生に、国内・海外の「都市の鍼治療」事例をたくさんご紹介いただきました。聞き手は「都市の鍼治療」伝道師でもある、服部圭郎 明治学院大学経済学部教授です。
(龍谷大学政策学部にて収録)
「市街地に孔を開けることで、都市は元気になる。」(阿部大輔 龍谷大学准教授)
データベース「都市の鍼治療」。今回はスペシャル版として、京都・龍谷大学より、対談形式の録画番組をお届けします。お話をうかがうのは、都市デザインがご専門の阿部大輔 龍谷大学政策学部政策学科准教授です。スペイン・バルセロナの都市再生に詳しい阿部先生に、バルセロナ流の「都市の鍼治療」について解説していただきました。
(建築家・東京大学教授)
「本当に現実に向き合うと、(統計データとは)違ったものが見えてきます。この塩見という土地で、わたしたちが、大学、学生という立場を活かして何かをすることが、一種のツボ押しになり、新しい経済活動がそのまわりに生まれてくる。新たなものがまわりに出てくることが大切で、そういうことが鍼治療なのだと思います。」(岡部明子)
今回は、建築家で東京大学教授の岡部明子氏へのインタビューをお送りします。
(東京工業大学准教授)
今回の「都市の鍼治療インタビュー」は、東京工業大学准教授の土肥真人氏へのインタビューをお送りします。土肥先生は「エコロジカル・デモクラシー」をキーワードに、人間と都市を生態系の中に位置づけなおす研究に取り組み、市民と共に新しいまちづくりを実践されています。
(東京都立大学都市環境学部教授)
人口の減少に伴って、現代の都市ではまるでスポンジのように空き家や空きビルが広がっています。それらの空間をわたしたちはどう活かせるのでしょうか。『都市をたたむ』などの著作で知られる東京都立大学の饗庭 伸(あいば・しん)教授。都市問題へのユニークな提言が注目されています。饗庭教授は2022年、『都市の問診』(鹿島出版会)と題する書籍を上梓されました。「都市の問診」とは、いったい何を意味するのでしょうか。「都市の鍼治療」提唱者の服部圭郎 龍谷大学教授が、東京都立大学の饗庭研究室を訪ねました。
お話:饗庭 伸 東京都立大学都市環境学部教授
聞き手:服部圭郎 龍谷大学政策学部教授