歴史的街並みに関する事例
(イタリア共和国)
イタリアのボローニャはポルティコで有名である。ポルティコとは、通りと建物の間に設置された屋根付きの回廊のことである。それは私的空間と公的空間の中間の準公的空間のような役割を果たす。そして、屋外空間と屋内空間の中間のような役割をも果たしている。あたかも都市の縁側のようなものだ。
(ドイツ連邦共和国)
マールブルク市はヘッセン州にある人口が76,000人ほどの都市。第二次世界大戦の戦災を受けなかったこともあり、丘陵地につくられた旧市街地に、細い路地が毛細血管のように広がっている。そこに入ると、あたかも中世の時代にタイムスリップしたかのような錯覚を覚える。
(ポーランド共和国)
ナチス・ドイツによって破壊され、焦土と化したワルシャワの旧市街地。戦後、市民みずからが瓦礫を収集し、再生に協力するなどにより、ほぼ完全に近いかたちに復元された。それは地区レベルで町を復元させる事業であり、人類が記録したことがないような大事業であった。
(大韓民国)
ソウル市北部にある「北村」(Bukchon)の韓屋保存地区。市役所と住民が協働して守る家並みの魅力に惹かれて、今日も多くの観光客が訪れる。都市的な伝統的空間の保全をするうえで多くの示唆を与えてくれる素晴らしい事例である。
(メキシコ合衆国)
コヨアカン歴史センターはメキシコ・シティの都心部から10キロメートルほど南に位置し、石畳の歩道や建築群などに植民地時代の名残を残す、個性的な雰囲気を醸し出している。そしてこのコヨアカン地区の空間アメニティの快適性を象徴するのが、センテナリオ庭園とイダルゴ広場である。そこには都市の広場が魅力的になるべき、ほぼすべての要素が含まれている。
(アメリカ合衆国)
パサデナはロサンゼルスの中心から車で20分ほどのところにある人口10万人の都市。1980年にオールド・パサデナ地区が歴史地区として指定されたのを契機として、官民が足並みを揃えて再開発と経済開発を実施していった。今ではそこが40年以上前はスラムのような状況であったとはちょっと想像できないような賑わいぶりを見せている。
(アメリカ合衆国)
ビーコン・ヒルはボストンの都心部の近傍にある住宅地区。植民地時代の古いレンガ造りの建物によって知られ、その独特な雰囲気は地元住民だけでなく観光客も惹きつける魅力に溢れている。歴史的建築物の保全がまちづくりの有効な方法論であることを示す好事例である。
(フィンランド共和国)
フィンランドの首都ヘルシンキから鉄道で一時間ほど北にいったところにある地方都市ラハティのアンティランマキ地区。フィンランドのちょっと懐かしい時代を彷彿させるレトロな地区として人気を集めている。保全計画の内容をみるとあまりの細かさに驚くのだが、それを「大切である」と人々が共有することでそこに価値が醸成されていくという好例であろう。
(ドイツ連邦共和国)
一人の個人の思いによってつくられた芸術・文化的に溢れた魅力的な街路空間。第二次世界大戦で被災するも、その思いを継承した個人によって再生に成功し、現在は地元企業のフィランソロフィー的な組織によって維持されている。その空間はブレーメン市にとって世界遺産の市庁舎と並ぶ観光の目玉にまでなっている。
(オーストリア共和国)
ゲトライデ通りは歩行者専用通りであり、おそらくザルツブルクで最も有名な通りである。それはザルツブルクの最も著名人であるヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの生家があるためであるが、それだけではない。このゲトライデ通りでとりたてて目を引くのは、すべての店舗の看板が伝統的なスタイルでつくられていることである。それらの看板は、道を往く人々の頭上に華やかにリズムを刻むように設置されている。
(三重県)
江戸時代の宿場町の風情を残す関宿(亀山市)。東海道五十三次の宿場町で唯一、国の「重要伝統的建造物群保存地区」に選定されている。つまり、関宿が今のように伝建地区に選定されるだけの状態になかったら、我々は江戸時代の東海道をイメージすることができない。これだけで、その貴重さが分かる。
(福島県)
茅葺の宿場町として知られる福島県の大内宿では、「売らない、貸さない、壊さない」の三原則を住民憲章に記し、地域住民の手による町並み保存の活動が行なわれている。電信柱を移し、アスファルト舗装を剥がすなど、江戸時代を彷彿させる伝統的な風景を取り戻そうとしている。
(ドイツ連邦共和国)
ドイツのほぼ中間に位置するゴスラーは1992年に世界遺産に指定された。第二次世界大戦で戦災をほとんど受けなかった旧市街地には1,500以上の木組みの家が存在し、市場広場(マルクトプラッツ)は規模こそ小さいが、宝石のような輝きを放っている。
(愛媛県)
松山市の西部に位置する三津浜地区では、人口減少や高齢化によって空き家が増え始め、商店街でシャッターを閉じている店舗が6割と半数を越えるような状況になってしまった。このような中、住民が主体となった「三津浜地区まちづくり協議会」が発足。空き家・空き店舗を改装し、新規出店・移住による新たなにぎわい創出を図っている。
(ドイツ連邦共和国)
ドイツ、ノルトライン・ヴェストファーレン州のエッセン市に位置するマーガレーテンヘーエは、20世紀初頭、ドイツを代表する重工業企業であるクルップ社に勤める労働者のための社宅として開発された。ドイツの田園都市の中でもドレスデン郊外のヘレラウと並ぶ事例として紹介されている。歴史的コンテクストを重視し、建物をしっかりと保全することに成功している。
(デンマーク王国)
運河とカラフルな色彩の歴史建築物の景観が楽しめるコペンハーゲンの観光名所。オープン・カフェで飲食を楽しむ人々で賑わっている。しかし、ここは一昔前までは治安も決してよくなく、みすぼらしい雰囲気が漂い、運河沿いには自動車が違法駐車をするという、アメニティからはかけ離れた空間であった。どのようにして変貌したのか。
(京都府)
京都府の北部にある丹後半島の東端に位置する伊根町。その景観には海、舟宿、道(にわ)、主屋、山といった漁村の豊かなエコシステムが見事に表現されている。それは日本人の原風景といってもいいような郷愁と懐かしさを喚起させる。2005年7月、漁村集落としては最初の国の重要伝統的建造物群保存地区(伝建地区)として選定された。
(メキシコ合衆国)
メキシコのほぼ中央に位置するグアナファト。1963年、その都心部を流れるグアナファト川の上流部にダムをつくり、川であったところを舗装化。そこに地下道路を作って自動車を通すという大胆なプロジェクトを実行した。その結果、世界遺産にも指定されたグアナファトの素晴らしい歴史的街並みは自動車から開放され、人間を中心とした見事な空間を維持することができるようになった。
(ドイツ連邦共和国)
1972年のミュンヘン・オリンピックを契機に歩行者専用空間となったノイハウザー・ストラッセとカウフィンガー・ストラッセは、まさにミュンヘンを象徴する歴史的な通りである。カウフィンガー・ストラッセにおける一時間当たりの平均通行者数は12,975人(2011年5月)。この通行者数の多さ(ドイツ国内で4番目)が、ここをドイツで最も売上高の多い通りとしている。
(神奈川県)
神奈川県の中央部に位置する座間市の鈴鹿・長宿地区では、住民主体で、湧水を利用した公園や街並みの環境整備事業を行ってきた。土地の地形、風土を尊重し、それを大切に思う住民の人達の気持ちが斜面緑地の風景に表れている。
(奈良県)
奈良県橿原市にある今井町は、中世末に建設された町並みが今なお保全されている日本においても希有な場所である。日本人として誇りにしたくなるような、外国人に自慢をしたくなるような空間である。しかしこの貴重な歴史的財産を保全しつつ、生活環境を改善する道のりは決して平坦ではなかった。
(愛知県)
松應寺横丁には、戦後の闇市発祥の商店街と木造のアーケード、狭隘な路地が残っており、それらが昭和30年代のレトロな雰囲気を醸しだし、訪れる人々に強烈な郷愁を誘う。しかし、同プロジェクトが開始される前は、ここはもはや崩れかける寸前のような状態であった。それを、地元のNPOが住民と丁寧なコミュニケーションを重ねることで、その問題をテキスト化し、人々に共通した問題意識を持たせることに成功した。
(ドイツ連邦共和国)
クヴェードリンブルクは旧東ドイツのザクセン・アンハルト州の西部、ハルツ山地の北東にある人口24,000人の地方都市である。その中心市街地には14世紀に遡るさまざまな時代の木組み家屋が残されている。1994年の世界文化遺産指定も契機となり、市では家屋や街並みの調査を徹底して実施。歴史的建築物を保全するだけでなく、そこで生活し、働けるようにすることを意図した。また、市民を積極的に参加させるために毎年9月に、歴史的建築物の居住者が外部の人達に家を開放するというイベントを2007年から開始している。
(福岡県 )
門司港レトロとは、JR門司港駅周辺地域にある歴史的建造物を中心に、大正レトロを意識して修繕、空間演出をした事業である。門司港レトロを訪れた人は、「良くこれだけ歴史建築物が残っていた」と感心するそうだが、これらのほとんどが取壊の瀬戸際に立たされていた。
(ノルウェー王国)
ノルウェー第二の都市であるベルゲン。そこには、14世紀頃からハンザ同盟時代のドイツ商人達が住んでいたブリッゲンというカラフルな木造街区がある。他のヨーロッパの都市では木造建築は煉瓦や石造りへと移行していたのだが、ブリッゲンでは同じ材料、そして同じ場所で建物が更新されていった。
(カナダ)
都心から自動車を排除して、歩行者専用の空間にするのは「都市の鍼治療」としては、極めて汎用的であり、外さない方法論である。しかし、北米の都市ではうまく行かない場合が少なくない。そのような課題を解決し、しかも歩行者専用空間を都市に維持させるうえで、カルガリー市がスティーフン・アヴェニューにて実践した対策は極めて効果的であった。
(滋賀県 )
黒壁スクエアのユニークなところは、地元産業ではないガラスを街づくりのテーマにしたことである。通常、街づくりを考えるうえでは、地元の歴史などそのアイデンティティを活かすことが有効であり、王道であると捉えられている。
(ドイツ連邦共和国)
クレーマー橋は、ドイツのチューリンゲン州の州都であるエアフルトにあるランドマークである。それはブライト川に架かる橋で、その両側に木造の建物が肩を寄せ合うように建っている。
(京都府 )
先斗町(ぽんとちょう)は京都市中京区、河原町駅から北にある鴨川と高津川に挟まれた南北に延びる花街である。細長い石畳の道は幅が2メートルちょっとしかなく、そのヒューマン・スケールで、江戸時代から引き継がれる街並みの都市空間は内外の観光客を大いに魅了させる。
(ドイツ連邦共和国)
ミュンスター市の中心市街地にあるプリンツィパルマルクト。第二次世界大戦でほとんど破壊されたものの、戦後、以前と同じ姿で復興された。都市のオーセンティシティと歴史的文脈の保全に成功した実例。
(アメリカ合衆国)
全米でも極めて魅力的な都市として知られるチャールストン。美しい景観の保全は、およそ80年前に、この都市が持つ宝に気づいた数人の市民達が立ち上がったことに始まる。
(チェコ共和国)
歴史ある旧市街地の雰囲気を演出するため、17年ぶりに復活したプラハのガス燈。市民にはかつての不気味な時代を彷彿させるという。その意味でも都市のオーセンティシティをしっかりと照らしている。
(台湾)
迪化街は、19世紀中頃の清朝末期におもに船荷を扱う商店が集積してつくられた街区である。この地区に隣接して貿易港がつくられたこともあり、清朝時代は樟脳、その後の日本統治時代には台湾の特産品となった烏龍茶を取り扱う店がここに立地していく。
(アイルランド)
ダブリンにおけるテンプル・バーの再開発は、中世の街並みを壊すことなく、新しい建築物が建設できること、しかも、両者が調和することができることを示すことに成功した。
インタビュー
(建築家・元クリチバ市長)
「よりよい都市を目指すには、スピードが重要です。なぜなら、創造は「始める」ということだからです。我々はプロジェクトが完了したり、すべての答えが準備されたりするまで待つ必要はないのです。時には、ただ始めた方がいい場合もあるのです。そして、そのアイデアに人々がどのように反応するかをみればいいのです。」(ジャイメ・レルネル)
(横浜市立大学国際教養学部教授)
ビジネス、観光の両面で多くの人々をひきつける港町・横浜。どのようにして今日のような魅力ある街づくりが実現したのでしょうか。今回の都市の鍼治療インタビューでは、横浜市のまちづくりに詳しい、横浜市立大学国際教養学部の鈴木伸治教授にお話を聞きました。
(福岡大学工学部社会デザイン工学科教授)
都市の鍼治療 特別インタビューとして、福岡大学工学部社会デザイン工学科教授の柴田 久へのインタビューをお送りします。
福岡市の警固公園リニューアル事業などでも知られる柴田先生は、コミュニティデザインの手法で公共空間をデザインされています。
今回のインタビューでは、市民に愛される公共空間をつくるにはどうすればいいのか。その秘訣を伺いました。
(地域計画家)
今回の「都市の鍼治療インタビュー」は、九州の都市を中心に都市デザインに携わっている地域計画家の高尾忠志さんへのインタビューをお送りします。優れた景観を守ための開発手法や、複雑な事業を一括して発注することによるメリットなど、まちづくりの秘訣を伺います。
(大阪大学名誉教授)
1970年代から長年にわたり日本の都市計画・都市デザインの研究をリードしてきた鳴海先生。ひとびとが生き生きと暮らせる都市をめざすにはどういう視点が大事なのか。
これまでの研究と実践活動の歩みを具体的に振り返りながら語っていただきました。
(クリチバ市元環境局長)
シリーズ「都市の鍼治療」。今回は「クリチバの奇跡」と呼ばれる都市計画の実行にたずさわったクリチバ市元環境局長の中村ひとしさんをゲストに迎え、お話をお聞きします。
(大阪大学サイバーメディアコモンズにて収録)
お金がなくても知恵を活かせば都市は元気になる。ヴァーチャルリアリティの専門家でもある福田先生に、国内・海外の「都市の鍼治療」事例をたくさんご紹介いただきました。聞き手は「都市の鍼治療」伝道師でもある、服部圭郎 明治学院大学経済学部教授です。
(龍谷大学政策学部にて収録)
「市街地に孔を開けることで、都市は元気になる。」(阿部大輔 龍谷大学准教授)
データベース「都市の鍼治療」。今回はスペシャル版として、京都・龍谷大学より、対談形式の録画番組をお届けします。お話をうかがうのは、都市デザインがご専門の阿部大輔 龍谷大学政策学部政策学科准教授です。スペイン・バルセロナの都市再生に詳しい阿部先生に、バルセロナ流の「都市の鍼治療」について解説していただきました。
(建築家・東京大学教授)
「本当に現実に向き合うと、(統計データとは)違ったものが見えてきます。この塩見という土地で、わたしたちが、大学、学生という立場を活かして何かをすることが、一種のツボ押しになり、新しい経済活動がそのまわりに生まれてくる。新たなものがまわりに出てくることが大切で、そういうことが鍼治療なのだと思います。」(岡部明子)
今回は、建築家で東京大学教授の岡部明子氏へのインタビューをお送りします。
(東京工業大学准教授)
今回の「都市の鍼治療インタビュー」は、東京工業大学准教授の土肥真人氏へのインタビューをお送りします。土肥先生は「エコロジカル・デモクラシー」をキーワードに、人間と都市を生態系の中に位置づけなおす研究に取り組み、市民と共に新しいまちづくりを実践されています。
(東京都立大学都市環境学部教授)
人口の減少に伴って、現代の都市ではまるでスポンジのように空き家や空きビルが広がっています。それらの空間をわたしたちはどう活かせるのでしょうか。『都市をたたむ』などの著作で知られる東京都立大学の饗庭 伸(あいば・しん)教授。都市問題へのユニークな提言が注目されています。饗庭教授は2022年、『都市の問診』(鹿島出版会)と題する書籍を上梓されました。「都市の問診」とは、いったい何を意味するのでしょうか。「都市の鍼治療」提唱者の服部圭郎 龍谷大学教授が、東京都立大学の饗庭研究室を訪ねました。
お話:饗庭 伸 東京都立大学都市環境学部教授
聞き手:服部圭郎 龍谷大学政策学部教授