304 北村韓屋保存地区(大韓民国)

304 北村韓屋保存地区

304 北村韓屋保存地区
304 北村韓屋保存地区
304 北村韓屋保存地区

304 北村韓屋保存地区
304 北村韓屋保存地区
304 北村韓屋保存地区

ストーリー:

 ソウル市北部にある景福宮と昌徳宮に挟まれた「北村」(Bukchon)は、地理的なメリットだけでなく、日当たりや排水も優れ、南側の素晴らしい景観が得られることもあり、昔から都城内で最もよい住宅地として知られていた。
 北村は、1920年代までは大きな変化もなく経過してきたが、1930年代になるとソウルが急激に拡張し始め、圧倒的な住宅不足に悩まされることになる。そこである不動産屋が北村の広大な敷地に目をつけ、それらを購入し、それまでの大邸宅に比べるとはるかに小規模な韓屋(hanok)(伝統的な韓国の住宅)を大量に建設した。ただし、これらの韓屋は板の間にガラス扉を設けたり、軒を並べてトタンの日差しを付けるなど、新たな材料を用いたことから「改良韓屋」と呼ばれた。それらの、ほとんどは50坪未満の狭い敷地に建てられ、土地を有効に活かすために敷地の境目に家を配置し、その内側に中庭を位置させたためにL字またはコの字の形態を取っている。それは、伝統的な韓屋が持っているキャラクターは継承しつつ、新たな生活ニーズに対応した新しい韓屋であった。
 これらの韓屋は、伝統的な韓屋に比べると歴史的な価値は劣るものの、20世紀前半のソウル市の都市住居形態と文化を良好な状態で維持している。さまざまなタイプの韓屋が並びつつも街並みとしては調和されており、「近代的な住居地構造と伝統的な住居類型がひとつの有機的な全体を形成しているという点からは、独特な価値を有している」(宋、2005 )。
 しかし、そのような優れた街並みの保全活動は順風満帆では決してなかった。ソウル市は、1980年代には、この北村の街並みを守るべく保存事業を展開する。1983年の第四種美観地区の指定を皮切りとして、1984年には美観地区内の建築制限を規定するなどして保全施策を展開する。しかし、これらの施策は、住民の合意を得ぬままに強引に進められたため、地域住民の反対運動が起きる。1988年には「嘉会洞韓屋保存地区解除推進委員会」が組織され、1991年には第四種美観地区内の住宅に対する制限は緩和され、1994年には高度地区内の高度制限が緩和され、1999年には美観地区内の建築審議の手続きがなくなる。それに伴い、北村地域の韓屋はどんどんと壊されて、それまでの北村の優れた景観や住居環境は急激に破壊されていった。この地区には2,500ほどの敷地があるのだが、韓屋保存地区が解除された後、約600戸の韓屋が建て直されてしまった。
 当初、韓屋保全施策に反対していた住民たちも、この急激な環境変化は予想外であった。そして、この環境変化は自分達にとっても大きなマイナスであるということに気づき、1999年にはむしろ住民がソウル市に北村地域の保存対策をして欲しいとお願いすることになった。これを受けて、2001年より官民協働型まちづくりとしての「北村づくり事業」が始まる。
 「北村づくり事業」のモットーは「住みたい北村、訪ねたい北村」である。そして、地域住民の自発的な意思を尊重するための施策「韓屋登録制」を導入した。これは、韓屋登録をすると、様々な支援とメリットを享受できるのだが、その代わり、一定の義務を付与する制度である。これを導入した3年後には残っている韓屋の三分の一が登録された。
 もう一つの施策の柱は「韓屋の修繕工事費の支援」である。これは、韓屋はよく使われてこそ、その生命力が維持されるという考えのもとに提案された。屋根、中庭、道に面している韓屋の概観を公的領域として認識し、その修繕費用としてソウル市から3,000万ウォン限度内で工事費の3分の1に該当する費用を無償補助するというものだ。
 また、市役所は直接、北村にある韓屋または一般建物を買い入れ、その後、地域の伝統文化的な価値を高めるために工匠が利用できるような工房やギャラリーとして活用できるようにした。
このような施策を通して幾つかの成果が得られた。まず、韓屋の滅失率が減少した。1985年から2000年の間に571軒の韓屋が失われたが、2001年以降はわずか13軒のみとなった。また、韓屋の保存状態の改善がみられた。2000年時点は947軒のうち全体の34.5%に相当する327軒の韓屋の保存状態が不良であったが、その後、その比率は27.5%に減った。さらに街路景観の向上がみられた。特に路地沿いでは伝統的な街並みが再生されている。そして、韓屋が多様な用途として活用されるようになった。これは、積極的に住宅のためにつくられた韓屋を現在のニーズに対応するように使い、保全の道を探っていく試みとして高く評価できると考えられる(鄭、2008)。
 2009年からは段階的に韓屋保全地区は拡張していくようになり、同年にはユネスコのアジア太平洋伝統賞を受賞する。2015年には韓屋支援センターが設立され、2016年にはソウル大都市圏行政が、韓屋を始めとする伝統的建築の景観価値の強化条例を制定するなど、最近でもその保全のための施策は展開している。

キーワード:

伝統家屋,歴史保全

北村韓屋保存地区の基本情報:

  • 国/地域:大韓民国
  • 州/県:ソウル市
  • 市町村:ソウル市
  • 事業主体:鐘路区役所
  • 事業主体の分類:自治体 
  • デザイナー、プランナー:N/A
  • 開業年:2001年(「北村づくり事業」開始年)

ロケーション:

都市の鍼治療としてのポイント:

 ソウルを外国人として観光する時、そのハイライトは何かと問われると、世界遺産の昌徳宮とそれに隣接する北村の韓屋保存地区を挙げる人は多いのではないだろうか。北村の韓屋保存地区の魅力は、現在も時間の流れとともに鼓動を続ける生命力を訪れるものに感じさせることではないだろうか。
 ソウル市役所が北村の韓屋保存事業に積極的に取り組むきっかけとなったのは1988年のオリンピックがソウルにて開催することが決まってからだ。しかし、それはそこで生活する住民を顧みないものであったために、オリンピックが幕を閉じると住民の反対運動が起き始める。そして、市役所はその保存施策の多くを断念する状況に追い込まれる。しかし、住民はそれらが撤廃されることで、むしろ自分達の生活環境が悪化していくことを目の当たりにする。北村の真の価値が生み出される契機となったのは、住民達が自分達の考えの過ちを認め、市役所とともに北村のまちづくりに取り組み始めたからである。
 市役所と住民が協働して策定した基本目標は、北村の歴史景観と韓屋の生命力を回復するというものであった。それは韓屋が織りなす景観を維持しつつ、その内部は豊かな生活を支えるようなものへと改善するという試みであった。
 北村には北村伝統工芸体験館、コプタ韓服体験館などの博物館的な要素も多くあるが、そこに流れる時間は止まってない。さらに、同じ北村内であっても、地区ごとに、その景観は異なっており、そこで感じられるのは都市としての生命力のような鼓動と、違う楽器が音を奏でていながら、それらが織り重なると見事なハーモニーを生み出すような調和である。そして、それは押しつけではなく、自発的な住民の関わりがあって初めて可能となったものだ。
 類似の都市的な伝統的空間の保全をするうえで多くの示唆を与えてくれる素晴らしい事例であると考えられる。

【参考資料】
北村観光案内所にての取材調査(2023年8月25日)
ソウル市役所の資料
https://hanok.seoul.go.kr/front/eng/town/town01.do

ソン・インホ(宋 寅豪) 「ブクチョン(北村)の 都市韓屋の再生」『都市住宅学』48号、2005
https://www.jstage.jst.go.jp/article/uhs1993/2005/48/2005_37/_pdf

鄭一止等「伝統住宅の再生で地域がよみがえる」『Sustainable Site Design 100 Case』東京大学出版会、2008

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