観光資源の創造に関する事例

220 出島表門橋

(日本)

出島表門橋は、物理的に現在の長崎市と復元されつつある出島を結ぶというだけではない。それは現代の長崎と鎖国時代の長崎とを時間を越えて結ぶ役割をも担っている。それは、忘れられていた出島という都市の記憶を現在へと繋ぐタイムマシーンのようなものだ。そして、その役割を見事に象徴させているのが、この橋のデザインであると考えられる。

218 松應寺横丁にぎわいプロジェクト

(日本)

松應寺横丁には、戦後の闇市発祥の商店街と木造のアーケード、狭隘な路地が残っており、それらが昭和30年代のレトロな雰囲気を醸しだし、訪れる人々に強烈な郷愁を誘う。しかし、同プロジェクトが開始される前は、ここはもはや崩れかける寸前のような状態であった。それを、地元のNPOが住民と丁寧なコミュニケーションを重ねることで、その問題をテキスト化し、人々に共通した問題意識を持たせることに成功した。

217 ハルデ・ラインエルベ

(ドイツ連邦共和国)

閉山したラインエルベ炭鉱のぼた山を中心とする50ヘクタールの地区を公園とするプロジェクト。彫刻家のヘルマン・プリガンが10メートルの高さの芸術作品を設置し、「ヒンメルストレッペ」(天国への階段)と名付けられた。それまで何もなかったぼた山の頂上にランドマークがつくられたこと、そして周辺が森と変容したことで、市民が憩える空間となった。

216 いわき震災伝承みらい館

(日本)

地震、津波に加えて、原発事故が重なるという未曾有の複合災害に襲われたいわき市の震災経験を次代に継承し、震災の記憶や教訓を風化させず、危機意識や防災意識の醸成等を図ることを目的とした「いわき市震災メモリアル事業」の中核拠点施設。

211 モエレ沼公園

(日本)

モエレ沼公園は、札幌市の北東に位置する公園。マスタープランを策定したのは、世界的彫刻家であるイサム・ノグチである。ノグチ氏の急逝など、様々なハードルを乗り越えて2005年に開園した。多くの人に楽しんでもらいつつ、芸術作品をしっかりと次代に継承していくという、両立が難しい二つのバランスを取りながら市民に親しまれている。

207 長門湯本温泉の再生マスタープラン

(日本)

長門湯本温泉は長門市の南部、音信川の渓谷沿いに広がる温泉街である。開湯は1427年と温泉としての歴史は古い。宿泊者数は1983年の39万人をピークに減少し、2014年には18万人とピーク時の半分以下となる。さらに2014年、150年の歴史を有する老舗ホテルが廃業し、温泉街の中心には広大な廃墟ビルが残る苦境に追い込まれる。そのような状況の下、市長は星野リゾートの誘致に乗り出し、大胆なプロジェクトを開始する。

205 柳川市の堀割の復活

(日本)

福岡県柳川市は市内を堀割が縦横に流れている水郷都市である。堀割には一切の柵がなく、家などの建築物と見事に調和した田園景観をつくりだしている。人と自然環境とが見事に共存できている素晴らしい事例だと、ここを初めて訪れた人達は思うだろう。まさか、この堀割が埋め立て工事によって消滅寸前の危機に直面したことがあったなどということは想像できないのではないだろうか。

194 テトラエーダー

(ドイツ連邦共和国)

IBAエムシャーパークの事業として、ボットロップ市のバーテンブロック地区のぼた山の上に1995年につくられた。それは鋼鉄でできた一辺60メートルの三角錐の建築構造物で、底面は地面から9メートルの高さに浮いている。ここからはまさに360度のルール地方の展望を得ることができる。

192 ファニュエル・ホール・マーケットプレイス

(アメリカ合衆国)

フェスティバル・マーケットプレイスの父と言われたジェイムス・ラウスが手がけ、1976年に開業した商業複合施設。都市再開発事業の成功例として広く知られているが、もう一方で、歴史的建築物を保全する意義、そして、そのことで経済的価値も生み出すということを広く示したことで、その後のアメリカの都市再開発に極めて大きな影響を与えた。

189 ポンピドー・センター

(フランス共和国)

パリはホーブール地区の市場跡地に、ポンピドー大統領の指示によって1977年につくられたモダン・アート(現代美術)のための文化施設。そのデザインは、当時、随分と突飛な印象を人々に与えた。設計者のレンゾ・ピアノはその意図を「いかめしい文化施設のイメージを破壊したかった」(Figaro, 2017年2月)と述べている。

180 門司港レトロ

(日本)

門司港レトロとは、JR門司港駅周辺地域にある歴史的建造物を中心に、大正レトロを意識して修繕、空間演出をした事業である。門司港レトロを訪れた人は、「良くこれだけ歴史建築物が残っていた」と感心するそうだが、これらのほとんどが取壊の瀬戸際に立たされていた。

169 ジュビリー・ウォーク

(シンガポール共和国)

ジュビリー・ウォークは、シンガポールの建国50周年を祝して整備された延長8キロメートルの歩道である。この歩道は、フォート・カニングの丘、シンガポール川、行政地区、マリーナ・ベイといったシンガポールの過去、現在、将来の物語を象徴するような23のランドマークを結んでおり、ここを歩くことでシンガポールという都市国家を形成した人々やコミュニティの営みが理解でき、その都市形成の歴史を学習できるように意図されている。

163 サントスの珈琲博物館

(ブラジル連邦共和国)

港町サントスは、珈琲の出荷港として20世紀前半には大変栄えていた。1922年にそこにつくられた珈琲取引所の建物はサントス市内でも、最も華美な建物として捉えられていた。この珈琲取引所を珈琲博物館にしたことで、サントス市は由緒ある歴史的建築物を有効に活用することに成功した。

162 シンガポール中心市街地照明マスタープラン

(シンガポール共和国)

都市の格が急上昇しているシンガポールであるが、世界都市としての歴史が浅いため、そのアイデンティティが確立できていないことが、そのアキレス腱ともなっている。そこで、夜間照明のデザインのマスタープランを策定することで、シンガポールの新しい都市像を創造することが企画された。

144 センター・フォア・アルタナティブ・テクノロジー

(ウェールズ)

センター・フォア・アルタナティブ・テクノロジー(C.A.T.)の特筆すべきところは、代替技術の新しいアイデアを湧き水のように次から次へと生み出しているという点である。このような創造的な組織へと成長した要因は、「人を惹きつける純粋さ」と「自己革新を伴う進化プロセスを内包していること」だと考察される。

130 ヴァルカン地区再開発

(ノルウェー王国)

雑草が生い茂り、オスロ市内でも最もイメージの悪い地区の一つとなってしまったるヴァルカン地区。しかし、2004年にAspelin Ramm、Anthon B Nilsen Property Developersというデベロッパー会社によって、ほぼ100%民間主体でミックスドユース地区へと再開発され、オスロ市内でも有数のアーバニティ溢れる人気のスポットへと変貌している。

128 おかげ横丁

(日本)

おかげ横丁を訪れて感じるのは、ここの魅力は伊勢という地域の文化をコンセプトとして徹底させていることにあると感じる。伊勢でしかあり得ない、伊勢らしい街並みの中、伊勢の食材でつくった料理に舌鼓を打つ。

127 下北沢カレーフェスティバル

(日本)

まず、その始めたきっかけがいい。思いつきで仲間内でやってみたら楽しかったので、街レベルでやってしまおうという、「街を自らが楽しもう」という街の人の意識。さらには、それにIT技術を活用しようという、新しいものに挑戦する創造性。そして、そのような企画に乗っかる店舗群の腰の軽さ。

123 アジタゲダ

(ポルトガル)

空に浮かぶ無数の色とりどりの傘の群れ。何も資源がない町でも、アートを使えば新しい魅力を創出できるということを広く世に知らしめた素晴らしい鍼治療の事例。

056 ブロードウェイの歴史的街並みの再現

(アメリカ合衆国)

ロスアンジェルス市の都心において忘れられたアイデンティティを再生するプロジェクト。アメリカを代表する大都市であるにも関わらず、都心にある空きビル。これらをうまく有効活用するためのプロジェクト、それがブリンギング・バック・ブロードウェイなのだ。

055 ビルバオ・グッゲンハイム美術館

(スペイン)

スペインは北東部に位置するバスク州の首都ともいえるビルバオ。鉄鋼業や造船で栄えるも、1970年代以降、これら産業が衰退すると同時に人口も縮小しはじめる。工業都市からサービス産業へと産業構造の大転換を図ることになり、そのために大きく都市開発を推進するのだが、その起爆剤となったのがビルバオ・グッゲンハイム美術館であった。

046 ギネス・ストアハウス(ギネスビール博物館)

(アイルランド)

ギネスのビール醸造所は1902年から1904年の間にダブリンの近郊にて建造された。それは、ビールの醸造所としてアーサー・ギネス・サン会社によってつくられた。シカゴ・スタイルの巨大な構造物はアイルランド最初の鉄鋼でつくられた高層建築であった。それは、ダブリンの西地区のランドマークとして人々に親しまれていた。しかし、1980年代には醸造所としては時代遅れとなり、この醸造所を移転して、ストアハウスは1986年に閉鎖された。

027 ギラデリ・スクエア

(アメリカ合衆国)

ギラデリ・スクエアはサンフランシスコの北部にあるフィッシャーマンズ・ワーフ地区にある、歴史的建造物であるチョコレート工場を再利用した商業施設である。サンフランシスコのウォーターフロントの歴史、そしてアイデンティティを体現するウォーターフロントのランドマークとして隣接するキャナリー・ワーフとともに重要な役割を担っている。そして、この施設はアメリカでも工場等の建物を商業施設として再利用した最初の事例でもあるのだ。

024 北浜アリー

(日本)

高松港の貨物保管場所のために、昭和初期に建設された古い倉庫群がある。これらの倉庫は、宇高連絡船が営業中止になり、その結果、その役割を果たさなくなった。そして、周辺も人々に忘れられた賑わいのない地域へと変貌してしまった。その古い倉庫を活用して商業開発をして、新しい情報も発信するようにして、地域もまた人々に目を向けさせるようにしたのがこの北浜アリーである。

023 ランドシャフツ・パーク

(ドイツ連邦共和国)

ドイツはノルトライン・ヴェストファーレン州にあるデュースブルクの北部地区にあったティッセン社の製鉄所跡地を公園として再生した事例である。この製鉄所は1985年に操業を停止した後、周辺を汚染したまま放置されていた。

021 大横川の桜並木

(日本)

墨田区と江東区を流れる運河、大横川。見事な桜並木を誇り、4月の開花時期には大勢の花見客で賑わう。この花見の季節には、土曜日と日曜日に地元商店街が「お江戸さくら祭り」を開催し、大横川には花見客を乗せた和船が行き来し、失われつつある江戸の下町情緒を感じさせる、ちょっとした地元の風物となっている。

インタビュー

ジャイメ・レルネル氏インタビュー

(建築家・元クリチバ市長)

「よりよい都市を目指すには、スピードが重要です。なぜなら、創造は「始める」ということだからです。我々はプロジェクトが完了したり、すべての答えが準備されたりするまで待つ必要はないのです。時には、ただ始めた方がいい場合もあるのです。そして、そのアイデアに人々がどのように反応するかをみればいいのです。」(ジャイメ・レルネル)

鳴海邦碩氏インタビュー

(大阪大学名誉教授)

1970年代から長年にわたり日本の都市計画・都市デザインの研究をリードしてきた鳴海先生。ひとびとが生き生きと暮らせる都市をめざすにはどういう視点が大事なのか。
これまでの研究と実践活動の歩みを具体的に振り返りながら語っていただきました。

中村ひとし氏インタビュー

(クリチバ市元環境局長)

シリーズ「都市の鍼治療」。今回は「クリチバの奇跡」と呼ばれる都市計画の実行にたずさわったクリチバ市元環境局長の中村ひとしさんをゲストに迎え、お話をお聞きします。

対談 福田知弘 × 服部圭郎

(大阪大学サイバーメディアコモンズにて収録)

お金がなくても知恵を活かせば都市は元気になる。ヴァーチャルリアリティの専門家でもある福田先生に、国内・海外の「都市の鍼治療」事例をたくさんご紹介いただきました。聞き手は「都市の鍼治療」伝道師でもある、服部圭郎 明治学院大学経済学部教授です。

対談 阿部大輔 × 服部圭郎

(龍谷大学政策学部にて収録)

「市街地に孔を開けることで、都市は元気になる。」(阿部大輔 龍谷大学准教授)
データベース「都市の鍼治療」。今回はスペシャル版として、京都・龍谷大学より、対談形式の録画番組をお届けします。お話をうかがうのは、都市デザインがご専門の阿部大輔 龍谷大学政策学部政策学科准教授です。スペイン・バルセロナの都市再生に詳しい阿部先生に、バルセロナ流の「都市の鍼治療」について解説していただきました。

岡部明子氏インタビュー

(建築家・東京大学教授)

「本当に現実に向き合うと、(統計データとは)違ったものが見えてきます。この塩見という土地で、わたしたちが、大学、学生という立場を活かして何かをすることが、一種のツボ押しになり、新しい経済活動がそのまわりに生まれてくる。新たなものがまわりに出てくることが大切で、そういうことが鍼治療なのだと思います。」(岡部明子)

今回は、建築家で東京大学教授の岡部明子氏へのインタビューをお送りします。

土肥真人氏インタビュー

(東京工業大学准教授)

今回の「都市の鍼治療インタビュー」は、東京工業大学准教授の土肥真人氏へのインタビューをお送りします。土肥先生は「エコロジカル・デモクラシー」をキーワードに、人間と都市を生態系の中に位置づけなおす研究に取り組み、市民と共に新しいまちづくりを実践されています。