240 由布院駅(日本)

240 由布院駅

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240 由布院駅
240 由布院駅
240 由布院駅

ストーリー:

 JR九州の久大本線、由布院駅の駅がつくられたのは1925年で、その時は「北由布駅」という名称であった。その後、1950年に「由布院駅」に改称される。
 1990年に新たに駅舎を竣工することになるが、その際、設計を依頼したのは大分県出身の世界的建築家であった磯崎新氏であった。多くの作品を手がけてきた磯崎新氏であったが、駅を設計するのはこれが初めてであった。建設費は約2億円だったと言われるが、その費用は湯布院町(当時)と発足したばかりのJR九州が負担した。JR九州にとっても、観光地のポテンシャルが高い湯布院において、駅がその町のイメージに与えている役割の大きさを理解したのであろう。磯崎新氏の意匠、そして話題性を高く評価していたことが推察される。
 森の町、湯布院をイメージして杉材を使った木造の駅舎は、黒の板張りでまとめられていて、プラットフォームも黒となっている。落ち着いた外観は、湯布院の緑の中にしっくりと調和しているが、その洗練された意匠によって、存在感はしっかりと周囲に放っている。コンコースは12メートルの高さの吹き抜けになっており、太陽光がコンコースに注ぎ込むように設計されている。内観は白い空間であり、コンコースの左側は駅事務室、右側は待合室兼ギャラリー空間となっている。ギャラリー空間はアートギャラリーともなっており、列車を待っている時間も退屈しないような仕掛けとしてだけでなく、公共空間としての駅の価値を高めるような役割をも担っている。この待合室は温泉水を活用した床暖房の整備も整っている。1992年には、鉄道建築協会賞に入選している。
 また、この駅のホームの端には足湯もある。これは足湯券を入場券以外にも購入(その値段は入場券と同額)しなくてはならないが、ちょっと列車を待っている間に足だけ浸かるというのも悪くないと思わせるアイデアである。
 現在の由布院駅は、由布市で最も乗降人員が多く、一日乗降人員は1,025人(2019年)である。特急を含め全列車が停車し、久大本線の中でもターミナル駅を除くと二番目に多い。

キーワード:

由布院駅の基本情報:

  • 国/地域:日本
  • 州/県:大分県
  • 市町村:由布市
  • 事業主体:JR九州
  • 事業主体の分類:民間
  • デザイナー、プランナー:磯崎新
  • 開業年:1990

ロケーション:

都市の鍼治療としてのポイント:

 都市において駅という建築物は特別な存在感を放つ。特にその都市を代表する中央駅、ドイツ語でいうところのハプトバンノフ(Hauptbahnhof)は、その都市の顔であり、象徴的な存在でもある。したがって、その駅がその象徴としての役割をしっかりと担うことで、その都市へも随分と肯定的な影響を及ぼすことができる。これまでの「都市の鍼治療」でも、駅の再生といった観点から幾つか事例を紹介させてもらっているが(「事例番号199: デンバーのユニオン・ステーション再生事業」、「事例番号181: 門司港駅の改修事業」、「事例番号99: 旭川駅」)、これは都市の中央駅をうまく活かすことで、都市の多くの問題を改善させることが可能であるからだ。そのためにも、しっかりとツボを押さえた鍼治療を行うことが重要であり、ここで失敗をすると、その後遺症は大きなものとなる。
 由布院駅は、まさにそういう意味で、中央駅というものの象徴性、玄関口としての機能の重要さをしっかりと理解したうえで、新たにつくられたもので、それはまた国鉄からJRへと民営化されたことで組織がどのように変化したかを極めて適切に発信する役割をも担った。筆者もそれができた翌年にはこの由布院駅を訪れ、小さな記事を雑誌に投稿したことがあるのだが、それはこの駅が湯布院という町、そしてJRにとって極めて重要な役割を果たしていたからだ。
 駅はつくられて30年建ち、隣接して坂茂設計の由布市ツーリスト・インフォメーション・センターが2018年につくられ、それを契機に駅舎は左右対称になるように増築された。また駅前の交通広場も大きく改善された。設計時からは大きく変化をしている同駅ではあるが、その洗練されたデザイン、黒色のシックな板張りでまとめられた外観、そして塔の吹き抜けのあるコンコースは宗教建築のような崇高ささえ漂う。そのデザインは湯布院の風土性と呼応しつつも、無国籍的な空気を漂わせ、湯布院に日本の日常的なものとは遊離されたような洗練された雰囲気をつくり出すことに貢献している。
 湯布院観光のホームページ(http://湯布院観光.com/history.html)で次のような記述がある。

「湯布院は昔から今のような観光地だったわけではありません。『湯布院』という地名でさえ昭和30年に誕生した地名で、それまでは『由布院』『由布院温泉』であり、金鱗湖周辺を主に、九州の温泉観光地として知られていました。今の湯布院の雰囲気や趣きが根付いてきたのは、時代が平成になってからです。鉄道路線や高速道路の整備に伴い、由布院観光も右肩上がりになり、人が人を呼び、ようやく今のような湯布院になったのです。」

 由布院駅はまさに平成元年につくられている。湯布院の雰囲気づくりに重要な役割を同駅が果たしてきたことがこの文章からも読み取れる。地元出身の天才建築家を見事、活かした「都市の鍼治療」事例であると考えられる。

類似事例:

099 旭川駅
199 ユニオン・ステーションの再生事業
セント・パンクラス駅、ロンドン(イギリス)
グランドセントラル・ステーション、ニューヨーク(ニューヨーク州、アメリカ合衆国)
キングス・クロス駅、ロンドン(イギリス)
ユニオン・ステーション、セントルイス(ミズーリ州、アメリカ合衆国)
ライプツィヒ中央駅、ライプツィヒ(ドイツ)
ショッピング・エスタソン、クリチバ(ブラジル)
新・岩見沢複合駅舎、岩見沢市(北海道)
東京駅、千代田区(東京都)
アンダーグランド・アトランタ、アトランタ(ジョージア州、アメリカ合衆国)