300 コヨアカン歴史センター(イダルゴ広場とセンテナリオ庭園)(メキシコ合衆国)

300 コヨアカン歴史センター(イダルゴ広場とセンテナリオ庭園)

300 コヨアカン歴史センター(イダルゴ広場とセンテナリオ庭園)
300 コヨアカン歴史センター(イダルゴ広場とセンテナリオ庭園)
300 コヨアカン歴史センター(イダルゴ広場とセンテナリオ庭園)

300 コヨアカン歴史センター(イダルゴ広場とセンテナリオ庭園)
300 コヨアカン歴史センター(イダルゴ広場とセンテナリオ庭園)
300 コヨアカン歴史センター(イダルゴ広場とセンテナリオ庭園)

ストーリー:

 コヨアカン歴史センター(Coyoacán Historic Center)は「新スペイン国」の首都が瞬間的にだが置かれた場所であり、メキシコ・シティにとっても極めて重要な場所である。それはメキシコ・シティの都心部から10キロメートルほど南にある。この歴史センターの街区は植民地時代に区画割をされていたのが今日まで維持されており、それを構成する道路空間、公共空間、そしてその周囲を彩る商店、成熟した木々、石畳の歩道、建築群は、極めて個性的な雰囲気を醸し出している。
 そして、この歴史センターの中心にある象徴的な空間がイダルゴ広場とセンテナリオ庭園である。この広場と庭園は道を隔てはいるが、ほぼ連続した空間として機能しており、地元の人達は、これら二つを合わせてコヨアカンのセントラルパークであると捉えている。ただ、センテナリオ庭園の方が木々は生い茂っており落ち着いた雰囲気を有しているのに対して、イダルゴ広場はより明るい広場的な雰囲気を有している。
 センテナリオ庭園とイダルゴ広場は合計すると2.4ヘクタールの広さになる。2008年に修繕工事がされていて、火山岩によって舗装され、緑地部分もリデザインがされた。この修繕工事には2億3,000万円(8,830万ペソ)ほど費用がかかっている。
 イダルゴ広場に隣接して「コルテスの家」と呼ばれる元市役所であった18世紀につくられた建物が北側に建っている。コルテスとは、スペインのコンキスタドールでアステカ帝国を征服したエルナン・コルテスのことである。ここにコルテスが住んだという証拠はない。しかし、この場所に役所を建てろと指示したことは間違いがないようだ。コルテスが指示した建物は18世紀に、現在の建物に作り替えられた。この建物は現在、非常に丁寧に保全されている。そして、広場の南、庭園の東にあたる所には、サン・ファン・バウティスタの教会が建っている。これはメキシコ・シティの中でももっとも古い教会の一つであり、スペイン・バロック建築の優れた事例でもある。
 イダルゴ広場の中央には、1900年に当時のディアズ大統領によって寄贈されたキオスク(東屋)が置かれている。これは、メキシコ独立100周年を祝してのもので、16のステンド・グラスから構成される窓と鷲の像がその特徴である。また、広場には「メキシコ独立の父」といわれるミゲル・イダルゴが叫んでいる銅像がある。これは1980年に設置された。イダルゴ広場では、11月2日の「死者の日」やタマレス祭りなど、多くのイベントが開催される。
 そして、このイダルゴ広場を見事に補完しているのが、センテナリオ庭園である。それは、イダルゴ広場の西に位置し、面積的には少しだけ小さい。イダルゴ広場とはカリジョ・プエルト通りで隔たれているが、自動車はゆっくりと走行するので、この二つの公共空間の連続性が維持されている。ここは、植民地時代にはサン・ファン・バティスタ教会の大きな中庭であった。庭園の中央には、二匹のコヨーテの銅像が設置されている噴水がある。この庭園の南側は多くのレストランやカフェが立地しており、北側には大きな工芸市場が置かれている。
 アメリカの都市空間研究機関である「プロジェクト・フォア・パブリック・スペーシス(公共空間プロジェクト)」は、ここを北米のベスト都市空間の一つとして選出している(2005年)。メキシコで唯一、選出された都市空間である。コヨアカン歴史センターは、週日は比較的落ち着いているが、週末には多くの人がここに来て賑わう。メキシコ・シティでもゾカロ地区に次いで観光客が訪れるスポットにもなっており、毎週末には7万人の人が訪れる。

キーワード:

公共空間,広場,歴史的空間,ヒューマン・スケール

コヨアカン歴史センター(イダルゴ広場とセンテナリオ庭園)の基本情報:

  • 国/地域:メキシコ合衆国
  • 州/県:ディストリト・フェデラル
  • 市町村:メキシコ・シティ市
  • 事業主体:コヨアカン市(現在はメキシコシティ)
  • 事業主体の分類:自治体 
  • デザイナー、プランナー:N/A
  • 開業年:N/A

ロケーション:

都市の鍼治療としてのポイント:

 メキシコ・シティにはコヨアカン地区というユニークな場所がある。強烈なセンス・オブ・プレイスを発している地区だ。「コヨーテの場所」という意味の名称のこの地区は、エルナン・コルテスがアステカ帝国との戦争の拠点とした場所でもある。そして、1521年から1523年の短い期間であったが「新スペイン国」の最初の首都が置かれた場所でもある。
 このような歴史を有するコヨアカンは、植民地時代はメキシコシティから独立した自治体であった。メキシコシティに併合されるのは、1857年である。そして1928年、メキシコシティが16の区を設置した際、コヨアカン区となる。その後、メキシコシティは市街地を拡大させ、コヨアカン区にまで広がっていき、コヨアカン区の農地や森林は住宅地となったが、旧来の村からの街区、そして狭い道路、広場のほとんどは保全された。これらは16世紀から20世紀初頭につくられた空間構造である。
 このようにコヨアカンは自動車が普及する以前につくられた空間構造を維持しているために、ヒューマン・スケールであり、とても居心地がよい。そして、このコヨアカン地区の空間アメニティの快適性を象徴するのが、センテナリオ庭園とイダルゴ広場である。そこは都市の広場が魅力的になるべき、ほぼすべての要素が含まれている。
 センテナリオ庭園とイダルゴ広場の優れたアーバニティはどうして実現されたのか。まず、この広場を取り巻く周囲が素晴らしい。役所という行政の中心、教会という宗教の中心、そして市場という消費空間の中心に囲まれている。アーバニティ溢れる要素がこの広場周辺に集積しているのだ。
 さらに、この周辺地区の成り立ちも大きく影響しているであろう。コヨアカン地区はメキシコ・シティと合併した後も、その歴史的なユニークさをしっかりと維持させている。石畳で狭い道路、ブーゲンビリアやプリンセス・フラワーが咲く庭や、色彩豊かなファサードの建物群。そして、この地区に惹かれて住民となったフリーダ・カーロや彼女の旦那である壁画家のディエゴ・リベラ、ロシアの革命家トロツキーなどが、この土地にボヘミアン的な芸術、文化、思想を育んだ。その歴史の蓄積は、この地区にメキシコ・シティだけでなく、メキシコという国のアイデンティティのようなものを発露させている。
 また、公共空間としてのアメニティに優れていることも特筆に値する。この広場と庭園には、座る場所が多く提供されている。ここで時間を過ごす老若男女は、皆、リラックスして楽しそうにしている。さらに、狭い道路、石畳の舗装、歩行者の多さが、ここを通過する自動車の走行速度を極めてゆっくりなものとしている。 
 個人的にも非常に好きな公共広場の一つであり、その優れたアーバニティは都市研究者、都市デザイナーに多くのことを教えてくれる。
 
【参考資料】
メキシコ・シティ市役所のホームページ
https://mexicocity.cdmx.gob.mx/category/historic-sites-buildings/

Project for Public Spacesのウェブサイト
https://www.pps.org/places/plaza-hidalgo

類似事例:

115 ミラノ・ガレリア
212 トラファルガー広場の歩行者空間化事業
233 グラン・プラス
259 ゴスラーの市場広場(Marktplatz des Goslar)
・ スタニラス広場、ナンシー(フランス)
・ カンポ広場、シエナ(イタリア)
・ 市場広場、クラカウ(ポートランド)
・ 市場広場、マインツ(ドイツ)
・ レイマー広場、フランクフルト(ドイツ)
・ マジョール広場、マドリッド(スペイン)
・ エスパーニャ広場、セヴィリア(スペイン)
・ バーリントン・アーケード、ロンドン(イギリス)
・ ザ・パサージュ、ザンクト・ペテルスブルク(ロシア)
・ モスクワ広場、モスクワ(ロシア)
・ 市民広場、プラハ(チェコ)
・ 旧市街市場広場、ワルシャワ(ポーランド)