212 トラファルガー広場の歩行者空間化事業(イングランド)

212 トラファルガー広場の歩行者空間化事業

212 トラファルガー広場の歩行者空間化事業
212 トラファルガー広場の歩行者空間化事業
212 トラファルガー広場の歩行者空間化事業

212 トラファルガー広場の歩行者空間化事業
212 トラファルガー広場の歩行者空間化事業
212 トラファルガー広場の歩行者空間化事業

ストーリー:

 トラファルガー広場は、ロンドンの中心ともいえるウェストミンスター区にある広場であり、ロンドンを代表するランドマークの一つである。それは、聖マーティン教会、南アフリカ大使館、カナダ大使館、ナショナル・ギャラリーという壮麗なる建物に囲まれており、1840年代にチャールス・バリー卿によってデザインされてつくられた。その広場の名前は1805年にイギリス艦隊がスペイン・フランス連合艦隊を駆逐したトラファルガー岬の沖での戦いにちなんで名付けられた。
 バリー卿のデザインは、交通処理の円滑化を考慮し、広場の周囲を道路で囲むものであった。とはいえ、当時のロンドンの交通はおもに馬車であったので、バリー卿のデザインはその後のモータリゼーションの進展などはまったく念頭に置いてはいなかった。しかし、この構造はその後、自動車が普及しても改修されることはなく、トラファルガー広場は三本の自動車交通量の多い道路、そして北側はナショナル・ギャラリーの壁によって囲まれているような状態にあった。そのため、この歩行者が広場に行くためはこの道路を命がけで横断しなくてはならず、広場周辺を移動するにも多くの横断歩道を渡ることを余儀なくされた。さらに、車道のために多くの空間を割いたこともあり、歩道も狭く、歩行者のアクセシビリティという点からは極めて不便な場所となっていた。
 そこで1990年代に、ミレニアム・プロジェクトの一環として、ロンドン市とイギリス政府はこの広場を大きく改造することにした。そして、そのためのマスタープラン「すべての人々のための世界的な広場(World Squares for All)」が1998年に策定され、1999年にはそのプロジェクトを具体化させるためのコンサルタントが任命された。その目標は、自動車交通量が多く、騒音と大気汚染が酷いホスピタビリティのない状態を、快適で歩行者によるアクセシビリティがよく、多くの人々に常時、楽しんでもらえる空間へと変貌するというものであった。
 このプロジェクトのリデザインのプロポーザルを作成し、コンサルタントとして任命されたW.S.アトキンス、フォスター・アンド・パートナーズは、その際、180の企業と100人以上の個人に取材をしたそうだ。その結果、北側にあるナショナル・ギャラリーと広場との間を走っていた道路を閉鎖し、そこに新たなテラス的な空間をつくり、ナショナル・ギャラリーと広場とを空間的に結ばせるようにした。そして、テラスの下部空間には外部空間で飲食できるカフェを新たにつくることにした。これは、トラファルガー広場になかったアメニティを新たに供することも意図した。また、トラファルガー広場を囲む道路の車道幅を狭め、それまで一方通行であったのものを双方向にし(ただし、西側はバスとタクシー以外の一般車両は一方通行のままにしている)、歩道を拡幅した。さらに、トラファルガー広場の南側には新しいラウンドアバウトが設置された(それまではトラファルガー広場が大きなラウンドアバウトのように機能していた)。
 その改造にあたっては、トラファルガー広場の自動車交通と歩行者交通のバランス、日常(ケ)とハレのバランス、そして伝統的なものと新しいもののバランスが意識された。
 広場自体の空間の質を改善させるために、より快適に座れるようにし、また街灯、交通標識、舗装を新しく設計し直した。また、ユニヴァーサル・デザインを意識し、テラスのところに新しく2つのエレベーターを設置した。
 2003年6月にトラファルガー広場の大改造は完了し、公開された。これらの改造によって、それまで快適とはほど遠かったロンドンを代表する公共広場が見事に甦った。
 イギリスの新聞「ザ・タイムズ」は次のように、この事業を評価している。「長く期待され、また多く論争されたフォスター卿によるトラファルガー広場の改修であるが、それは歩行者にとっては大変人気があることが明らかになりつつある」。

キーワード:

広場, 歩行者空間, ランドマーク

トラファルガー広場の歩行者空間化事業の基本情報:

  • 国/地域:イングランド
  • 州/県:ロンドン県
  • 市町村:ロンドン市
  • 事業主体:ロンドン市
  • 事業主体の分類:自治体 
  • デザイナー、プランナー:Charles Barry(オリジナル), W.S. Atkins, Foster + Partners(改修案マスタープラン)、PWP Landscape Architecture(改修案ランドスケ
  • 開業年:2003

ロケーション:

都市の鍼治療としてのポイント:

 ロンドンを初めて訪れたのは1980年である。私はまだ高校生であったが叔母がロンドンに住んでいたので訪れた。そして、その時にトラファルガー広場に行っている。トラファルガー広場の周囲は自動車道路で囲まれており、そこに行くのに難儀をしたことを覚えている。トラファルガー広場には、ネルソン記念柱や2つのゴージャスな噴水があり、この大改造以外にも多くのイベントや催しが為される場所であったが、そのイメージは決していいものではなかった。自動車交通という海に囲まれたあまり魅力ない島のようなものであった。天気の関係もあったかもしれないが、灰色の汚い鳩がやたら多くいる陰鬱な気分になるような広場、というようなものであった。
 それから23年後、トラファルガー広場は大きく改造される。2002年にロンドンを訪れた時は、ここは大工事中であったが、その時、別件で取材をさせてもらった都市デザイン関係者が、トラファルガー広場が大きく変貌することを熱く語っていたことを覚えている。そして、改造後にここを訪れたのは2014年であったが、それは昔のトラファルガー広場のイメージを刷新するような、というか、生まれ変わったかのような、まったく違うイメージの広場となっていた。特にトラファルガー広場とナショナル・ギャラリーの間の空間が、ものの見事にアメニティ溢れる歩行者空間へと変貌したことには感銘を受けた。
 改造のポイントであり、成功の最大の理由は「歩行者のアクセス」を大幅に改善したことであろう。というか、それ以前は最悪に近かったので、改善することはそれほど難しくはなかったかもしれないが、自動車交通を大きく制限するというアプローチはデザイン的にはともかく社会的には難しかったかと思われる。
 そういうことを意識してか、このトラファルガー広場の大改造に関しては、市民参加に非常に力を入れた。大規模なアンケート調査などを実施し、その結果、75%の市民が大改造案を支持することが判明した。また、その際得られた市民の意見なども有効なものはデザインに反映させるようにした。
 自動車交通を制限するということは、バスのルートも大きく変更しなくてはならない。幸いにロンドンの公共バスはすべてロンドン市営であるので、それにおいては特に大きな障害とはならなかった。ただ、車道幅を制限したこともあり、新たにバス停留所のための停車スペースなどがつくられた。
 歩行者へのアクセスを改善し、アメニティを向上させるために、トラファルガー広場は知恵の輪のように、複雑に絡み合った様々な問題を一つ一つ丁寧に解きほぐしていった。このアプローチが成功へと導いたとも言えるであろう。
 ロンドンにはちゃんとした広場がない、と揶揄されてきたが、トラファルガー広場の大改造によって、素晴らしい広場がロンドンにおいて出現した。それは、またロンドンの都市に新たな象徴的なランドマークの誕生をも意味している。見事な「都市の鍼治療」事例である。

【参考文献】
野口祐子『誰のための広場か?』京都府立大学学術報告(人文・社会)第60号(2008年12月)
フォスター・アンド・パートナーズのWebサイト
https://www.fosterandpartners.com/projects/trafalgar-square/
Farshid Kamali and Tony Earl “The Pedestrianisation of Trafalgar Square”, Association for European Transport

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