116 ポルト・マラビーリャ (ブラジル連邦共和国)

116 ポルト・マラビーリャ

116 ポルト・マラビーリャ
116 ポルト・マラビーリャ
116 ポルト・マラビーリャ

116 ポルト・マラビーリャ
116 ポルト・マラビーリャ
116 ポルト・マラビーリャ

ストーリー:

 2016年にオリンピックを開催することが決定すると、リオデジャネイロは長年温めていた都市再生プロジェクトをフルスロットルで具体化させ始める。それは、オリンピックの会場となった郊外の四つのクラスター地区だけではない。リオデジャネイロの都心部にあるウォーターフロントのポルト・マラビーリャ地区も大胆な再開発計画を策定し、見事に再生することに成功した。
 ポルト・マラビーリャは日本語で訳すと、「素晴らしい港」。グァナバーラ湾に面する延長3500メートル、面積では28.7ヘクタールという巨大な地区が再開発の対象となった。再開発の目的は、大規模な港湾地区を住宅および商業・レジャー用途へ変換させることであった。
 港湾地区は歴史的には、リオデジャネイロの都市の発展に経済面では大きく寄与してきたし、文化面でもここでサンバやショーロが生まれたのである。ただし、20世紀後半からこの地区は衰退し始めた。クルーズ船は相変わらずここに寄港していたのだが、港と都心部の間を走る高架の高速道路によって、人々の往来は随分と制限された。
 そのような状況であったため、30年も前から当地区の再開発は検討されてきたのだが、縦割り行政や財政的な問題もあって状況は膠着していた。それを一挙に突破させる契機となったのがオリンピックであった。オリンピックの開催決定とともに事業は動き始め、この高速道路を地下化させ上部空間を公共広場として整備する事業が進展することになったのである。
 最初に手がけられたのがポルト・マラビーリャの象徴ともいえるマウア広場とマウア埠頭である。マウア埠頭にはスペイン人の建築家サンチャゴ・カラトラバが設計した未来博物館が2015年に建築され、すぐにリオデジャネイロの絵葉書に使われるランドマークとして人々に受け入れられた。
 2.5ヘクタールの規模があるマウア広場は、その中心に噴水広場を設け、高速道路が撤去され都心部と空間的にも視覚的にも直結されたこともあって、未来博物館とグァナバーラ湾、そして対岸のニテロイの都市を展望できる素晴らしい公共広場として2015年9月に再生した。公開されると同時に、ここはリオの中心地区の象徴的な空間として親しまれることになった。加えて、このマウア広場と空港とを結び、さらにウォーターフロント沿いを走るライトレールも整備し、2016年6月に開業した。
 この開発を進めるにあたって、リオデジャネイロ市役所はバルセロナとブエノスアイレスを参考にした。特に1992年のバルセロナ・オリンピックでの都市再開発事業には影響を受け、当時のバルセロナのプランナーをリオに招き、そのアドバイスを仰いだ。
 現在(2017年)は第一段階がほぼ終了したような状況であり、今後はさらに北部のウォーターフロントから都心のオフィス街にかけて再開発は計画されており、延長40キロメートルの道路の整備とそれに伴う下水道整備、電灯の設置、植栽、歩道の整備、さらに自転車専用道路の整備、上水道ネットワークの整備、マングー運河の汚水改善などが考えられている。
 ポルト・マラビーリャはオリンピックのイベントでは使用されなかったにも関わらず、リオデジャネイロの新しい都市の象徴として、オリンピック最大の「都市のレガシー」として輝き続けるであろう。

キーワード:

アイデンティティ,都市デザイン,オープン・スペース,ウォーターフロント

ポルト・マラビーリャ の基本情報:

  • 国/地域:ブラジル連邦共和国
  • 州/県:リオデジャネイロ州
  • 市町村:リオデジャネイロ市
  • 事業主体:リオデジャネイロ市
  • 事業主体の分類:自治体 
  • デザイナー、プランナー:リオデジャネイロ市役所
  • 開業年:2015年

ロケーション:

都市の鍼治療としてのポイント:

 このプロジェクトを「都市の鍼治療」に入れることは難しい。それは大手術といっていいほどの再開発プロジェクトであるからだ。しかし、オリンピック開催という千載一遇の機会を捉え、このリオデジャネイロの30年以上に及ぶ都市課題を一挙に開発したという観点からは、それは極太の鍼治療として捉えられなくもない。
 そして、その費用対効果は絶大である。それは、大げさではなくリオデジャネイロを100年間は延命させることを可能にしたプロジェクトである。世紀という時間単位を考慮し、またその効果の大きさを考えれば、それは「都市の極太の鍼治療」として捉えることもできるであろう。
 インパクトが大きかったのは、ウォーターフロントに沿って走っていた高速道路を地下化させたことであろう。それによって、創出された新たな空間は、公園などの公共空間として新たに整備することができた。そこには、数百メートル置きに高速道路を地下化する事業のビフォア・アフターの写真が貼られた看板が設置されているのだが、この事業がいかに素晴らしくリオデジャネイロのウォーターフロントを蘇らせることに貢献したのかを理解することができる。
 また、もう一つのポイントとしては、ウォーターフロントに沿って多くの土地を有していた海軍が、ウォーターフロントに接している10メートルの幅を公共のために市に提供してくれたことである。これによって、マウア広場からウォーターフロントに沿った素晴らしいプロムナードを整備することができた。ポルト・マラビーリャの計画ではアクセシビリティを強く意識し、人が主人公であるような公共空間づくりを目指した。自動車のハンプを多く設け、歩道と道路との段差はフラットにし、歩行者はもちろんだが、車椅子での移動も円滑に行えるようにした。また、電灯なども再設置するなど、都市デザインという側面からは随分と改善することができた。
 ポルト・マラビーリャが成功した重要な要因としては、同地区における再開発事業に関しては税金を免除するようにしたことが挙げられる。その結果、市民の税金ではなく、民間の投資によって多くの事業は進められた。開発をするうえで財源的な制約に悩まされたリオデジャネイロ市にとって、この税金を免除する法律を通したことが起死回生の策となった。
 リオの市長は「都市のためにオリンピックがあるのだ。オリンピックのために都市がある訳ではない」と頻繁に市民に伝えていたそうである。オリンピック自体がある意味で、極太の都市の鍼治療であるともいえよう。リオデジャネイロは、見事、このオリンピックを用いてオリンピック会場以外であったポルト・マラビーリャをも「治療」し、再生させてしまった。バルセロナに倣ったというだけあって、オリンピックを見事に、都市開発のための手段として活用した、世紀の「都市の鍼治療」事例であると考えられる。

【取材協力】Claudia Grangeiro (リオデジャネイロ市、オリンピック・プロジェクト担当者)

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