街の良好なハードを住民がどのように維持していくのか?

編集局 添田昌志

■維持管理の主体
良好な住環境を形成するためには、最初によいハード(住宅、街路、公園、公共施設など)を作ることはもちろんだが、それを良い状態のまま、もしくはさらに良くするために、維持管理していくことがなにより重要である。このことは2年間の東京生活ジャーナルの取材を通して、私自身が一番強く感じたことである。

完成当初は時代の先端を行く雑誌に取り上げられるような素晴らしい街であっても、20年、30年の時が経過するうちに、朽ち果て荒廃してしまっては、持続性という観点から大いに問題である。逆に当初は何の特徴もない街だったところが、良好な維持管理の結果、今では一目おかれる街になることもある。

良好な維持管理を行うためのポイントは、それを行う主体を作り出せるかどうかである。主体が育たない限り、ハードは当初の理念を失ってただ朽ち、荒廃していくのみである。そして住宅地においてこの主体となりえるものは、その地の住民をおいて他にない。

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まちの価値を維持していくこと イントロダクション

編集局 添田昌志

 2月、3月の東京生活ジャーナルは、1980~90年代に計画された東京近郊の住宅街を取り上げます。
 1960~70年代には、住宅不足への対応として、いわゆる「団地」型の開発が大量に行われました。しかし現在、その年代の開発については、住民の高齢化や建物の老朽化ともあいまって、様々な問題が噴出しています。例えば、効率的な供給を実現するため規格化された建物は、白い箱が並んでいるだけで単調と批判され、「近隣住区論」に基づき整備された団地内の近隣商業施設は衰退の一途をたどっています。
 一方で、80~90年代の開発では、上記の年代へのアンチテーゼとして「量より質」を謳い、建物やその周辺環境に様々な工夫が施されていることが特徴となっています。例えば、建物のデザインや住戸プランに特徴を持たせたり、住戸間のスペースにビオトープや共用庭を設けたりといったことが挙げられます。しかし今やそのような住宅街も開発から20~30年が経過しました。計画段階で特徴として取り上げられた様々な工夫は、現在、どのように維持管理されているのでしょうか。
 建物や街も老いていくのが必然です。歴史的に木造住宅に暮らしてきた日本人は、都市型の集合住宅を世代を超えて継承し、維持していくという経験を実はこれまでしたことがありません。つまり、大規模に開発された鉄筋コンクリート造の集合住宅群を良好な環境のまま維持するノウハウはほとんど蓄積されていないのです。開発型社会からストック型社会への転換が唱えられて久しいですが、そこで重要なのは200年持つハードとしての建物ではなく、住民を含めそれを維持管理していくソフトの取り組みにあると考えます。
 良好な住環境の維持のためには、何を考え、何を用意し、何を継続していかなければならないのか、まず今月は景観に配慮した住宅街として有名な、千葉県の「幕張ベイタウン」を通して考えてみたいと思います。

まちの価値を維持していくこと まとめ 価値の維持のために

編集局 添田昌志

金沢シーサイドタウンと幕張ベイタウン、開発された年代は20年ほど違うとは言え、両者の出自はよく似ている。どちらも海沿いの敷地にゼロベースで開発された住宅街であること、計画の初期段階から著名な建築家が関わり、街の構成やコンセプトについて深く議論がされていること、である。
住宅地に限ったことではないが、都市計画や建築といった行為においては、その地の歴史性や地形などといった、場所固有の特性にデザインの拠り所を求めることが一つの王道の手法として存在する。ところが、ゼロベースでフラットな土地にはその拠り所となるものがない。したがって、住宅街としてその場所がどうあるべきか、そして、それをどのように実現していくのか、というコンセプトワークの部分がますますクローズアップされてくる。そういった意味で、この2つの住宅地は、建築家が考えたコンセプトがどう具現化され、どのように受け入れられたのかがシビアに問われる場と言えるだろう。しかし、結論から言えば、どちらの街もそのコンセプトは住民にかなり肯定的に捉えられているようであった。

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工事中を魅せること 都市と工事現場

編集局 添田昌志

■典型的な工事現場の風景
都市には常に工事現場が存在する。ビルなどの建物自体は着工から2-3年で完成するものが多いため、工事現場というと「一時的なもの」というイメージが強いが、都市という視点で見ると、どこかに「常に」存在しているものなのである。
下図は東京・丸の内の工事中の場所を示したものである。丸の内は「丸ビル」の高層化を皮切りにこの十数年間、地域全体の再開発を進めていることもあって、街のどこかに少なからぬ工事現場が存在し続けていることがよく分かる。

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東京丸の内の工事現場の変遷(編集局作成)

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まちを作ること、人を育てること 北本駅西口駅前広場改修計画の概要

編集局 添田昌志

駅前広場の現状と改修計画の概要

 現在の北本駅西口駅前広場は昭和50年に完成されたものである。当時、北本市の人口は増加が著しく、それに対応する交通インフラの整備として行われた。とは言え、当時の駅周辺は商店や住宅はなく、畑の中の広場という感じであったそうである。そこから35年あまりの時が経ち、施設の老朽化やバリアフリーへの配慮、交通量の増加、中心市街地活性化などの課題に対応するために、現在改修計画が進められている。改修計画案では、雨でも濡れずに歩けるようなシェルターの設置、交通機能を整理した機能的なレイアウト、多目的広場や植栽帯の設置など、様々な試みが提案されている。

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まちづくりをどのように評価するか -愛着を測ることの可能性と必要性-

編集局 添田昌志

◇時間をかけたことの効果
 今回のインタビューで山口氏、田島氏がともに強調していたことは、まちづくりにおいては住民と意見を交換して集約していくプロセスこそが大切であり、そのプロセスがあるが故に最終的に整備されたものに対して愛着や誇りが生まれるということであった。そして、そのようなプロセスを踏み、お互いに理解し合い、合意形成していくには時間がかかるので、この時間に対する理解を、整備事業を行う行政の側は持つべきだということが述べられていた。
 おそらく、上記のようなことは行政の中でも一部の担当者は分かっていることかもしれないが、時間をかけたことの効果を何かのデータで示すことによって、より多くの人にその重要性を理解させる必要があるのではないかと、私は考える。

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良好な住宅地であり続けるために 三井所氏+編集局員座談会(1)

 前回は、住政策の専門家である三井所さんにエリアマネジメントという観点から良好な住宅地を維持するための民間事業者の取り組みについてご紹介いただきました。今回は都市計画や建築設計の専門家でもあるジャーナル編集局員を加え、郊外住宅地たまプラーザの課題や価値について議論した座談会の模様をお送りします。

郊外住宅地としてのたまプラーザの特徴

◇ 質も住民意識も高い住宅地
大澤:まず、三井所さんに、たまプラーザの住宅地としての特徴を伺うところから始めたいと思います。

三井所:たまプラーザは、他の郊外住宅地と比べて何がいいかと言うと、フットパスを自然な形で入れ、クルドサックをしているなど、その当時の計画論を踏まえてきちんと作りこんでいることです。緑も豊かで、道路と敷地の生け垣があり、その手前のところにもまた緑を入れるという二重植栽をやっていて、それを維持しようという意識も持たれています。それが協定委員会の立ち上げや、協定の見直しということに表れています。ですから、ハードの環境とそれを維持しようとするソフトの取り組みということに関しては、ある程度完成された状況になっていると思います。

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よく手入れされた「二重植栽」

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良好な住宅地であり続けるために 三井所氏+編集局員座談会(2)

敷地分割は悪か

◇ 何のための180㎡か
大澤:今、たまプラーザでは敷地分割されている事例が多く見られます。この分割というのは、当然地区協定で定められている「1つの敷地は180㎡以上とする」という制約は守っているわけですが、この敷地分割という事象を、ルールを守っているんだから別に問題ないんだと捉えればいいのか、いや180㎡というのはあくまでも最低限の基準であって、本来のたまプラーザ、美しが丘らしさみたいなものから考えると、望ましい規模は300㎡なんだという風に考えるべきなのか。つまり、敷地分割=悪と単純に捉える傾向もありますが、敷地が細分化されていくことの何が具体的によくないのかを考えてみたいと思うのですが。

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良好な住宅地であり続けるために 三井所氏+編集局員座談会(3)

良好な街であり続けるために

◇ 何をもって価値とするのか
川上:結局、考えていくと、何をもって良好な住宅地が維持されたと評価すればいいのかというところにたどり着きます。やっぱり地価なのでしょうか。

大澤:それも一つの指標かもしれないですよね。

川上:それとも生け垣のある家が立ち並ぶ街の姿なのでしょうか。要するに何をもってこの「たまプラーザプロジェクト」を成功だとするんでしょうね。本来、街というのは自然発生的に出来ているから、色々なものの新陳代謝があることで維持できていると思うんです。例えば佐原みたいに、歴史的な何かを残しましょうという街だと、それが維持できているかどうかを一つの評価軸にできるけれども、一気に建ってしまった郊外住宅地というのは、建物の一つ一つにコンセプトがあるわけでもないですよね。何となくの雰囲気で、いい住宅地でしょ?と言ってみても、結局いい住宅地とは何なんだろうと。

 本来は地価が安いということも一つの評価軸だったのにもかかわらず今はやたらと高くなっていますよね。もともといい住宅地を安く供給したかったという思想もあった訳ですから、安く快適に意識の高い人たちだけで住みましょう、みたいな話でもいいんだと思うんです。結局、何を生活環境の基準とするのか、ということですよね。

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住まいの価値を考える

■アウトレットマンション
 昨秋以降の経済不況が高まって以来、雑誌に「マンション投売り」「マンション底値買い」などといった見出しが躍るようなった。マンションの販売不振により、多くの在庫を抱えた業者が、その整理のために他の業者に売れ残った住戸を半額程度で一括売却し、買い取った業者が経費や利益を上乗せした上で再販を行うという形態(買取再販)が現れ、格安物件が多く放出され始めているのだという。このような物件は「アウトレットマンション」と呼ばれ、大変な人気を集めているそうだ。従来価格に比べ○○%オフ、今が底値でお買い得、買わなくてどうしますか?という訳である。
 確かにモノの値段が安くなるということは、一消費者としては歓迎すべきことであるが、このような記事を読むと、果たして長年の生活の基盤となるべき住宅を買う基準が、割安感・お買い得感だけでいいのだろうかという違和感を素直に感じてしまう。この「アウトレット」という昨今流行の言葉も、まるで衣服や装飾品のように軽く購入するものというイメージを植えつけるために、販売側が意図的に使っているという気さえしてしまう。そもそも、2007年から2008年初頭にかけては、地価や建設資材の上昇によりマンション価格が従来ないくらいに高騰していたという背景を考えると、○○%オフとは言っても、その実態は2006年以前のある意味正常な価格に戻っただけと解釈するのが正しいだろう。ここは今一度冷静に住まいの価値とは何かについて考え直したいものである。

■住まい手の生活の質と不動産価値
 このような住宅の価格の話題が出る時にいつも感じるのは、その価格は実際の住まい手が生活している時に感じる快適さや価値と一致しているのだろうかという疑問である。例えば、中古マンションの価格算定の根拠になっている主な要因は、駅からの距離、築年数、階、面積である。しかし、これだけの要因でそこに住んだ時の快適さが表現されているとはとても思えない。私自身が住み替えのために中古マンションを探していた時の例で言えば、角部屋の3面採光なのか、中間の住戸で1面採光なのかということや、窓の外に緑の並木が見えるのか、隣の住棟が見えるのかというようなことで、価格に差がつくことは一切なかった。毎日の朝食を、朝日に輝く緑を眺めながら取るのか、隣の住戸の視線を気にしてカーテンをしたままの薄暗い部屋で取るのかというのでは、非常に大きな生活の質の差があると思うのだが、そのようなことは不動産価値とはご縁がないようである。
 上記は住戸内部の話であるが、周辺の街の環境についても同様のことが言える。生活者の視点で言えば、住まいとは街と一体なっているものであり、住宅を買うということは、その街の環境を買うということでもある。私達は、本年度「都市居住の価値を探る」という調査研究を行った。そこでは、東京都内の住民に自分が住んでいる街の「いい」「好き」と思う場所を自由に挙げてもらったのだが、非常に多く割合の人が、公園・緑地、川、神社・寺などといった地域のオープンスペースを回答した。そのような場所でくつろいだり、のびのびできたりすることが、生活の質を高めるものとして多くの人に共通して重視されていることが改めて示された。したがって、そのようなオープンスペースが豊かな街、また、そのようなところに安全に、簡単にアクセスできる街は、生活者の視点からは非常に価値が高いと言えるのだが、不動産価値としてはそこまで意味のある要因とはなり得ていない。周辺環境要因として多少の評価はされるものの、支配的な要因はやはり都心からの距離であったりする。

■生活快適指数
 そもそも、住宅はオフィスビルなどの収益物件とは役割が異なる。本来、そこで語られるべきは、生活者の感じる快適指数のようなものであって、不動産価値(転売したり、賃貸した時の価格)ではないはずである。この住まい(街)は生活快適指数が高いので不動産価値も高いのです、という構図であれば納得もできる。しかし上述した通り、現状では、不動産価値を高めることを追求しても、生活快適指数を高めることにはならないのである。
  欧米では、住まいに手を入れてより快適に住まえるようにすることにより、その価値が評価され、購入時より高く売れるという市場が成立していると聞く。築年数が長くなれば一律に価値が下がるというような現状の日本の不動産評価基準では、住まい手の、よりよくしようという意識も下がる一方であろう。そのような考えを改めるきっかけになるような、生活者側からの価値を測る総合的な生活快適指数を提案できないだろうか、前々からの私の課題である。

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「近くの広場でのびのび遊ぶことができる」「春に桜を眺めることができる」といった生活の潤いにあたる部分はなかなか不動産価値に反映されない。

(添田昌志)

色彩の持つ力

■色に対する説明力
 先日、吉祥寺の楳図かずお邸に対して、周辺住民が「閑静な住宅街の景観が破壊される」として外壁の撤去や損害賠償などを求めた訴訟の判決が出された。判決は、現地周辺には外壁の色に関する法規制がないことや、他にも黒や青など様々な色の建物があることなどから、住民が景観を享受する利益(景観利益)を侵すことにはならないと判断し、「原告に不快感を抱かせるとしても、平穏に生活する権利を侵害するとは言えない」と結論付けた。この建物については、騒動が持ち上がって以来何度かこのコラムでも取り上げてきたが、今回の判決は予想通りのものであった。やはり、事前に何らかの取り決めを作っておかねば、建った後から何を言っても遅いのである。

 裁判には勝った楳図氏ではあるが、しかし、その自邸に対する弁論は、個人的には受け入れ難いものがある。氏はその外観について、「赤白のストライプは私の高校時代からのトレードマーク。自己表現の1つであり、変えることはできない。」と述べている。言うまでもなく建物は個人の財産であると同時に街の共有財でもある。上記の弁論はあくまでも私観のみに基づいた見解であり、共有財として、街の視点から見た時にその建物がどのような意味を持つのかを全く語っていない。

■色による街の活性化
 私は、建物に原色を使うこと自体が間違っているとは思っていない。むしろ色彩により、街を活性化できる場合があるのではないかと考えている。下はオランダの集合住宅の写真である。オランダはその平坦で単調な地形ゆえ、如何にその単調さに変化を与えるかということに力点が置かれ、建物はそれぞれ個性的な形をし、外観もカラフルなものが多い。色の使い勝手がうまく、原色であっても不快な感じはせず、華やかな印象で、明るい気持ちにさせられる。

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 一方、下の写真は私の住んでいる地域にある団地の写真である。先日その外壁が塗り替えられ、旧来の白一色の外壁にアクセントカラーとしてベージュがあしらわれる事となった。しかし、厳しいことを言うようであるが、この配色はなんとも中途半端で、アクセントはつけたいけれど、あまり派手な色は避けたいという、色彩に対する妙な保守性が現れてしまっている(ちなみに、この配色にすることは住民の多数決によって決められている)。結果として、かえって団地の古さを感じさせることになっているのではないだろうか。近年、老朽化した団地の再生ということが頻繁に取り上げられているが、何の特徴もない郊外の団地にこそ、もっと大胆な色使いによる再生・活性化という発想があってもよいと思う。

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 現状、都市景観に関する多くの論説や、各地で制定されつつある景観に関する条例のほとんどは色彩を規制する方向にある。楳図邸に限らず、例えば、九段のイタリア文化会館のように、目立つ色を叩くことは簡単である。しかし、規制するだけが色彩というものが持つ力を活かすことになるとは思えない。景観、景観と騒ぎ立てることで、カラフル=悪という単純な認識が広がっているとしたら、本末転倒なのではないだろうか。
 真の意味の色彩の調和とは、多彩な色を使いこなせるようになってこそだと考える。そして、それによって多様な都市の価値が生み出されるだろう。一昔前のサラリーマンの背広のようにグレー一色に染まった街は決して美しくない。
 実際のところ、都市景観において色彩がもたらす効果をきちんと客観的に説明することは非常に難しい。しかし、色の持つ力を活かした美しい街並みを作るためには、なんとなくベージュの色を選んでしまう人々の視野を広げ、理解を促すことから始めなければならない。そのためには、多くの人が納得できる優れたデザインを提示するとともに、共有財として、街の視点から色彩がどのような価値を持つのかを、難しいけれどもきちんと説明するという姿勢こそが不可欠である。

(添田昌志)

都市とホテル

 この年末年始に旅行に行かれた方も少なからずいらっしゃるだろう。旅行に不可欠なものと言えば、宿泊施設である。今回は、東京のホテル、特に近年開業した高級ホテルについて焦点を当ててみたい。

■2007年問題再燃?
 下表は、近年に開業した東京の高級外資系ホテルの一覧である。これらのホテルは、海外の超一流ブランドを冠し、標準的な客室料金が6~7万円台と、それまでの高級ホテルとも一線を画した非常にグレードの高いものとなっている。この開業ラッシュは当初「2007年問題」として、客室数の供給過剰につながると危惧されていた。しかし、蓋を開けてみると、いずれのホテルも開業時の稼働率は大変好調で、また既存のホテルの稼働率も押し上げられたことから、「外資系高級ホテルの進出によって新しい市場が創出された」とまで言われるようになった。ところが、昨年起こった金融危機による景気の悪化により、主要な顧客であった外資系企業のビジネス利用が減少し、一転、稼働率は低下しているという。米国の「住宅バブル」のように、東京のホテルの「新しい市場」もあっけなく崩れ去ってしまうのだろうか。
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■ホテルの公共性

 個人的には、このような世界に名を馳せる超一流ホテルが東京にできることは、東京の国際的な地位を押し上げ、また利用者にも選択の幅が広がるという意味で歓迎されることとは思う。しなしながら、「高級」、つまり値段が高い、ということだけが売りになってしまっている(ように見える)ことには、強い違和感と危惧を覚える。
 元来、ホテルとは公共的な都市の施設であった。明治期以降の日本のホテルの歴史的経緯を顧みると、外国人向けの宿泊施設として始まりながら、その後多くの貴賓達による様々な会合、宴会が行われるようになり、人々の社交場としての機能を持つようになった。また、大正期においては、市民の交歓の場としての機能が重視され、ダンスや演劇などの催しが繰り広げられ、都市における文化の中心としての一面を持っていた。つまり都市の経済、文化的な役割の一端を担い、都市とともに発展してきたのである。そのような公共的性格を持つが故に、都市を語るに欠かせない著名なホテル(香港:ペニンシュラホテル、東京:帝国ホテルなど)が存在しえるのである。

■都市再開発と複合する意味
 仮に、現在のホテルが、富裕層の自尊心をくすぐり、単なる個人的な消費の対象としてしか存在し得ないのであれば、ホテル本来の役割とは合致しないだろう。そこには都市への眼差しが必要なのではないだろうか。
 上に述べたホテルのもう1つの共通点は大規模な再開発とセットになっている点である。いずれの再開発も「独自の」都市の新しい複合形態を目指すと謳っている。そこに高級ホテルがセットされている意味を改めて捉え、新しい複合のあり方、ホテルの公共的位置付けを提示することこそ、あっけなく崩壊してしまう「市場」に寄らない、普遍的なホテルの存在意義につながるものと期待したい。
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ザ・ペニンシュラ東京

(添田昌志)

参考文献:
東洋経済オンライン http://www.toyokeizai.net/
勝木祐仁:「明治・大正・昭和初期の都市に建設されたホテルの平面計画の実態」東京工業大学博士論文(2001)

都市とイルミネーション

 今年も早や12月となった。この時期の街の風物詩と言えば、やはりイルミネーションだろう。ということで、今回は東京の各地のイルミネーションについて、その特徴を語ってみたいと思う。


■新旧商業地対決

 一昔前は、イルミネーションというと、大通りの街路樹に電飾を飾って、というのが定番だった気がするが、今では、それに留まらない様々な仕掛けが多く見られる。それらを牽引しているのが近年開発された商業施設達である。中でもすごいのが六本木の大規模再開発である東京ミッドタウンと六本木ヒルズだ。ミッドタウンでは、隣接する桧町公園を取り込んで大々的なイルミネーションが行われている。特に、公園の芝生に張り巡らされた電飾ネットはもはやイルミネーションの枠を超えたアートに近いものである。ヒルズでは午後5時の一斉点灯が話題を呼んでおり、それを目当てに観光客が押し寄せるほどの名物になっている。これらの施設はイルミネーションによって集客を図りたいという事業者側の強い思惑があるため、このような派手な演出の傾向は今後も続いていくだろう。
 これに対して、銀座や丸の内、横浜元町といった有名どころの通りは、よく言えば控え目で上品な、悪く言えば少し寂しい感じのイルミネーションになっていた。銀座などはそもそも日本のクリスマスイルミネーション発祥地とも言われているだけに、もう少し盛り上がっているのかとも思ったが、背後のブランドビルの、ファサード全面を使ったディスプレイに負けている感じがして、やや肩透かしだった。しかし、これは見方によっては集客をイルミネーションなどに頼らなくてもやっていける老舗の余裕と言えるのかもしれない。

■ストリートイルミネーションの意味
 渋谷の道玄坂は電飾に負けない背後のビルの賑やかさが特徴的だ。それにしても、イルミネーションなど必要ないくらいに煌々としたこのカオス状態の通りに、電飾が付加されるだけで何か一体感が生まれるように見えてしまうのは新鮮だった。
 最後に表参道。ここは1990年代には通りのシンボルであるケヤキを使ったイルミネーションを行い、イルミネーションといえば表参道といわれるぐらいの盛り上がりを見せた場所である。それが、あまりの混雑による近隣住民からの苦情などに配慮して中止され、一時形を変えて再開されたこともあったものの、今年は写真のような暗い姿になっていた。イルミネーションの有無でこんなにも通りの印象が変わるのかと驚かされると同時に、イルミネーションの意味、-果たして誰のための、何を伝えたいためのイベントなのか-について改めて考えさせられる場所であった。

■東京各地のイルミネーション達
 このように多種多様なイルミネーションが見られるのは、近年のLEDの普及により電飾の色が豊富になったという技術的な背景も大きい(ちなみに、今年の注目色は赤だそうだ)。

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新宿サザンテラス

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東京ミッドタウン

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六本木ヒルズ

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銀座

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丸の内

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横浜元町

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渋谷道玄坂

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表参道(表参道ヒルズの電飾ばかりが目立つ暗い通りになっている)

(添田昌志)

都市と展望台

■東京タワーから見えるもの
 誰から聞いたのか、正確なところは定かではないが、「初めての街では、まず一番高い塔に登りなさい。」という言葉を覚えている。つまり、高い場所からその街全体を眺めることで街の構成が把握でき、その街でどこを見るべきかが分かる、という意味だったと解釈している。
 先日、東京タワーに登った。もちろん、東京にはもうずいぶん長い間居るので、初めての街という訳ではないのだが、改めて上から眺めてみることで、これまで見えなかったこの街の構成が見えるかもしれないという期待をこめてのことである。しかし残念ながら、登って見た率直な感想は、無秩序に増殖している周辺の高層ビルばかりが目に付き、ますますこの街の構成が分かりにくくなっているという懸念であった。
 高層ビルが増えること自体を批判する気は毛頭ない。それはある意味、都市の健全な発展を示す指標でもあるだろう。しかし、都市の構成が分かるということは、すなわち、その都市が何を目指して計画され、何を重視して発展してきたのか、その一貫性が目に見えて感じられるということなのである。例えば、パリのエッフェル塔であれば、高さ37mに厳格に規制された中心街区の建物の間に放射状の幹線道路が延び、副都心ラ・デファンス地区の高層ビルの塊がその向こうにまるで浮島のようにあるという、明確な街の構成が見える。このことは、街路網と建物景観における中世より続く歴史性を重視した計画の賜物である。また、ニューヨークでは、碁盤目状の街路に摩天楼が林立し、その間にぽっかりとセントラルパークの緑が広がっている様子が一目で把握できる。現代都市の象徴として、可能な限り高層高密度の都市を目指しつつ、生活に必要な緑の場は絶対に確保するという思想がここに表現されているのである。
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東京タワーからの眺め

■都市の方向性
 このような構成が明確な都市において、塔から街を眺めることは、住民自身が自分達の都市が目指してきたものを再認識する機会を与える。先に、パリで市街地の高さ規制を一部撤廃し高層ビルの建築を容認する計画が発表された時、多くの住民が反対の意向を示したというが、塔の上から眺めた街の美しい姿が、それによって乱れてしまうことが簡単にイメージでき、共有できるからではなかったろうか。
 東京もかつては低い街であった。東京タワーのHPに昭和40年代に展望台から撮られた写真があるのだが、これを見ると、皇居の緑を中心として、東京の街が放射状に広がっている様子がよく分かる。この時代に都市として何を目指して発展させていくのかを明確に方向付けできなかったことが、現在の景色に現れてきているのかと思うと残念でならない。
 東京タワーは今年で建設されてから50周年になる。そして、このタイミングで東京タワーの代替として「東京スカイツリー」が2011年の完成を目指して、着工された。東京スカイツリーが完成した後には、東京タワーはその主たる収入源である電波塔としての役割を奪われるため、展望台として生き残るしか道がないという議論がなされている。しかし、展望台として生き残れるかどうかは、東京タワーの高さがスカイツリーに負けるということではなく、実は東京の街が今後、上から眺めるに足る価値を提供できるかどうかにかかっているのだ、と言うのは言い過ぎだろうか。
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東京にある主な展望台の高さの比較
50年前に建設された東京タワーの展望台は、未だに東京で最も高い位置にある。

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東京の主な展望台の配置
東京タワーは山手線の内側にあり、皇居や東京湾を同時に眺められ、他の展望台と比べても、実は東京の構成をもっとも分かりやすく見ることのできる配置にあることが分かる。

(添田昌志)

「団地再生」で再生すべきもの

 近年、「団地再生」という言葉をたびたび耳にするようになった。これは、昭和30~40年代に建てられ現在は老朽化してしまっている団地を、建て替え等によって新しく蘇らせようというものである。「日本一の大家さん」といわれるUR都市機構は、自身が管理する賃貸団地77万戸のうち、16万戸あまりをこの「団地再生」するべき対象として位置づけている。
 今回、その対象の1つになっている足立区の花畑団地を見に行った。昭和38年(1963年)から供給された全78棟2725戸の大規模な団地である。現在、ここでは再生計画(建て替え)に向けて9年間新規の入居が停止され、約1000戸が空家の状態となっている。また、居住者の65%が65歳以上で、高齢化も大きな問題となっている。そのため、やはり生活環境としては既に限界に来ているのであろうか、団地内の商業施設は閉鎖され、人気は少なく、巡回のおまわりさんばかりが目立つというかなり寂しい状況であった。再生は急務であると実感した。
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東西800mあまりにわたって伸びる花畑団地
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直線的に整然と並ぶ住棟

■再生の手法 
 方々で言われていることだが、この時代の団地はそのゆとりある配置計画に特徴がある。日照に配慮して隣棟との間隔は非常に広いものとなっている。このゆとり、つまり、余裕ある容積率を活かして、床(階数)を増やすというのが、これまでに見られる一般的な再生(建て替え)手法である。増えた床に新しい入居者を募ることによって、建て替えの事業費用を捻出しようとするもので、団地に限らず、再開発では常識的に使われる手法である。また、土地の一部を民間に切り売りし費用を捻出することもある。この団地の周辺は、民間のマンションも多く建設されており、土地の買い手や新しい住戸の借り手はいくらでも現れそうである。まだ詳細な計画は明らかにはなっていないが、この団地でも同様の手法が採られるものと思われる。
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非常にゆとりのある住棟間のスペース

 しかし、このような手法で「再生」された団地は、良くも悪くもその辺でよく見る「普通のマンション」になってしまっている。高層化することで、5階建ての低層住棟ならではのヒューマンスケール感が失われ、また、車に配慮して駐車場や進入路を整備することで、緑と土のオープンスペースが失われてしまっている。
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高層化によって再生された団地(埼玉県松原団地)

■団地ならではの価値
 私は、団地とは、その時代を超えた「新しい住まいの価値観」を示すものであったと考える。昭和30年代当時の団地は、洋式のダイニングキッチンや水洗トイレなどを取り入れたモダンで革新的な住宅であり、なによりも都市における新しい居住形態を示したものであった。それが50年近い時を経て、いつしか周辺のマンションに先を越されたため、今慌ててそこに追いつこうとしているように見える。しかし、目指すべきは「現在の標準」でいいのだろうか。単に現在に追いついただけでは、またすぐに取り残されてしまうことは目に見えているのではないだろうか。
 そもそも、今から50年後には日本の人口は現在の約6割の7500万人程度になると予測されている。そのような時代を見据えた時に、床を増やすことを前提とした計画自体に危機感を感じてしまう。採るべきは50年先にも「持続可能な」手法であって、現在の建て替え時の資金捻出に汲々とすることではないと思われる。50年先にようやく元が取れるというぐらいな長期的な視点に立って、50年先にもこの団地に住みたいと思わせるための、団地にしかない「新しい住まいの価値観」を作り出して欲しい、というのは、素人の浅はかな考えだろうか?
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窓一面に広がる緑のスペースは50年先も変わらぬ価値を提供し得ないだろうか

(添田昌志)

都市と花火大会

 今年も早や9月となった。まだまだ残暑が厳しいとは言え、季節は確実に秋へと向かっていっている。ところで、過ぎ去りし夏の日の思い出は?と問われれば、「花火大会」を挙げる人も多いのではないだろうか。今回はこの「花火大会」というものを通して都市の地理や景観について考察してみたい。

■都市のオープンスペース
 下図は、東京都と神奈川県で行われる花火大会の場所を示したものである。当然のことではあるが、花火大会を開催するには、安全の確保と10万人単位の人が観覧するという観点から非常に広い場所が要求される。それと同時に、これらの人々を捌くことのできる交通手段が確保されていなければならない。広い場所は必要だけれども、不便な場所ではダメで、適切な交通アクセスが求められる。その意味で、開催場所の分布はすなわち、「都市」におけるオープンスペースの分布を表しているといえる。この図を見ると、東京都では開催場所が、主に多摩川、荒川、隅田川、江戸川といった川沿いに分布している一方で、神奈川県では多くが海岸沿いに分布しており、それぞれの地理的特徴がよく表れている。東京では河川敷が唯一残されたパブリックオープンスペースとしての役割を担っていることが改めて捉えられるのだが、河川敷や海岸での花火大会は、都会では貴重な広い空を体感する機会を与えてくれるものとなっている。
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東京都の花火大会

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神奈川県の花火大会

■都市景観の非日常性
 一方、河川敷や海岸で催されるものとは一線を画した、都市ならではの情景を味わえる花火大会として「東京湾大華火」と「横浜国際花火大会」を取り上げたい。これらはいずれも、都心部の港湾地区で行われるものであるが、打ち上げられる花火の背景に都市のランドマークが眺められるという点に特色がある。観覧する場所によって見えるものは違えど、東京湾では、レインボーブリッジや東京タワー、汐留のビル群、横浜では、みなとみらい、赤レンガ倉庫、大桟橋といった日本を代表するランドマークを見ることができる。実際に観覧した私の友人は、花火の打ち上げを待っている間に眺める、これらのランドマークが夕暮れに映える姿は、格別にムードを盛り上げてくれるものであり、他では絶対に味わえないものだと言っていた。
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「東京湾大華火」の打ち上げ場所と観覧場所

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「横浜国際花火大会」の打ち上げ場所と観覧場所

 花火大会は今や夏のイベントとして完全に定着した感がある。この時、都市は何十万人という人を収容する一大劇場と化す。あくまでも、花火の背景あるいは前座なのかもしれないが、都市の景観が最も多くの人に注目される瞬間となる。都市景観が人々に非日常性を演出する瞬間である。体験する時間は短いけれど、永く思い出に残る瞬間でもある。この晴れやかな舞台に相応しい景色とはどうあるべきか、という視点で都市景観を考えることもきっと必要なことだ。

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横浜国際花火大会での1コマ

(添田昌志)

人が集まる場としての駅空間  副都心線渋谷駅から考える

副都心線・渋谷駅
 この6月に開業した副都心線渋谷駅を見に行く。この駅には、建築家安藤忠雄氏が設計した吹き抜け空間がある。地下鉄駅に吹き抜け空間を設けるといった大胆な発想はこれまでなかった、と諸メディアでも報じられ話題となっているものである。氏曰く、この吹き抜け空間は「そこを行き交う電車や人々が眺められ、都市のダイナミズムを体感する場所」であり、そして「子供達がこんな場所があるなんてすごいなあ」と感動し、夢を馳せる場所であるとのことである。
 私はかなりの期待を抱いてその場を訪れたのだが、率直な感想を言えば、氏の思いは殆ど実現されていなかった。その原因は、この吹き抜けがホームの端のごく一部に設けられたものであり、そのスケールがあまりにも小さいことや、人々の主動線から外れていることなどが挙げられるだろう。地下鉄駅の吹き抜け空間としては、横浜のみなとみらい駅の方が、はるかに「感動的」である。しかし、ここではこの空間の欠点を挙げ連ねることは主旨ではない。きっと、様々な空間的制約、法的制約を乗り越えた精一杯の実現範囲がこれであったと前向きに捉えたい。
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副都心線渋谷駅の吹き抜け空間
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みなとみらい駅の吹き抜け空間
上階のショッピングモールからホームに入ってくる電車が眺められるスケールの大きな空間。


魅力的な駅空間とは
 そもそも駅とは、人々が集まり、行き交う、都市ならではの場所である。氏が言うように「都市のダイナミズムを体感できる場所」なのである。そして、そこには、出会いや感動、発見があり、空間もそれを演出するものであるべきだ。例えば、ニューヨークのグランドセントラル駅のように。
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グランドセントラル駅

 もちろん、グランドセントラルのような長距離旅客用の駅と圧倒的に乗降客数の多い日本の通勤駅とを比較してもらっては困るという指摘もあろう。しかし、通勤駅だからと言って、単純に多くの人を捌くという発想しか持たないのであれば、東京の全ての駅はただの通路になってしまうだろう。
 一方で、今、この日本ならではの通勤駅にエキナカ商業を展開するということがもてはやされている。商業が駅空間を単なる通過場所から魅力的な楽しい場所に変えるというのである。確かにそれも一理あろう。しかし、その実は、人通りが多いところに店を出せば必ず儲かるという安易な発想だったりしないだろうか?それ故、本来人を捌くべき通路に人を滞留させる店舗を配置するといった理に反した空間作りになっていたりはしないだろうか?
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多くの乗降客で混雑する通路に設けられたエキナカ商業施設

 私は、目先の商業主義を乗り越えて、駅ならではの人が集まる空間を創造して欲しいと思う。そろそろ、人をモノで集めるという発想から、場所の魅力で集めるという発想に切り替える時だと思うのである。駅とは、自ずと人が集まり行き交う場所である。安藤氏が言うような、そこにしかない空間を創ることのできるポテンシャルを持った場所なのである。そして、他にはない魅力的な駅空間の存在が、その街のアイデンティティを高め、ひいてはその都市の価値を高めることに繋がると信じている。
 そう思うと、この渋谷駅の吹き抜けの周りにカフェを設けてみたら、そして、そこから電車とともに外の空が眺められたらどんなに魅力的だっただろう、との妄想を禁じえないのである。
(添田昌志)

六本木の価値をはかる(3):再開発トライアングルを見る

再開発における民の志と公の怠慢
 既に多くの人が述べているが、この種の再開発は、床面積を可能な限り稼ぎ収益を上げることが至上命題になっている。したがって、高層のビル群を抱え、オフィス、商業、美術館などといった複合用途のコンプレックスシティを作らなければならない。人を集め、お金を落としてもらなければならないのだ。そのことの是非については他に譲るとするが、そのような厳しい制約の中で、それぞれに可能な社会性・公益性を追求していることは認めるべきだと思う。
 ヒルズでは、多くの地権者を1民間業者が束ね、住宅のみならず公道までも整備しているし、ミッドタウンでは誰もが立ち寄れる広大な緑地を整備した。いわば身を削って、周囲のために提供している訳である(もちろん、その見返りとして、容積率緩和や補助金交付があるのだが)。
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六本木けやき坂通りは、民間が整備した公道の初事例。東京タワーを眺めるいい軸線を取っている。
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ミッドタウンの緑地率は60%(4ha)。都心で空の広さを感じられる場所になっている。前面歩道も大きくセットバックして憩いの場所になっている。

 一方、公の象徴である、国立新美術館はどうだろう?ファサードは美しいと思うし、収蔵庫を持たないギャラリーとしての運営手法もありうるものだろう。しかし、それは周辺に対して開かれているだろうか?何か身を削って提供しているだろうか?もはや、フェンスで囲って威厳を誇示する時代ではないと思うのだが。設計した黒川氏は「森の中の美術館」というのだが、見た目には塀の中の美術館だろう。
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 まず、美術館正門から向かいの歩道へまっすぐ渡る横断歩道がない。それでも渡る人が多いのだろう、横断禁止の幕と、人々を迂回路へ誘導するためにガードマン配置されている。ガードマンを雇う金があるなら、横断歩道をつけるぐらいできると思うのだが。公の本業である道路整備ですらこの状態だ。
また、ミッドタウンから国立新美術館へ向かう道は、歩道が狭く歩きにくい。そこに向かう人を出迎える、高揚感を演出するという発想など全くない。管理が違うと言ってしまえばそれまでだが、そこを何とかするべきではないだろうか。
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六本木はどこへ向かうのか?
 六本木の街を何度も歩いた感想は、結局のところ、これからこの街はどちらの方向に進むのだろう?という疑問であった。大規模再開発の宿命として、オフィス、住宅、美術館、商業施設、ホテルなどなどを複合させてはみたものの、それ故に街として目指す方向性が分かりにくくなってしまっている。もちろん、再開発によって、道路やオープンスペースなど、従来なかったものが提供されたことは評価に値する。しかし、そもそも、この街をどうするための再開発だったのかがどうも見えてこない。
 歓楽街であった六本木を、働く街にしたいのか?買い物の街にしたいのか?それとも、アートの街にしたいのか?ミッドタウンは、キャンティにセレブが集った70年代の古き良き六本木に戻したいと言うのだが。。。個人的には、どの方向性も、街の骨格とはずれているこれら再開発の位置取りと同様、何かずれているような気がしてならない。
 思えば、都心に郊外を作りたかった「豊洲」、三菱のブランド価値を高めたかった「丸の内」は、そのコンセプトと空間づくりの手法が明快に一致していた。六本木がこれからどう変化し、人々にどう認知されていくのか、その答えを知るにはもう少し観察を続けるしかないのだろう。


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街の骨格とずれたアートトライアングルは、人々の心にトライアングルを認知させることはできない。今後予定されている六本木一丁目の再開発も、骨格とずれていることに変わりはない。

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トライアングルに囲まれた地域は六本木とは思えないような古い住宅街で、ここに何かが起きる予感は今のところしない。

(添田昌志)

六本木の価値をはかる(2):再開発トライアングルを見る

やっぱり分かりにくいヒルズ
 六本木ヒルズは分かりにくい。私の知る限り、近年建設された商業ビルでここまで分かりにくい例は思いつかない。このことは計画段階でかなり予想されていたと思われるのだが、どうして改善されなかったのだろうか。各建物の設計を外国人に分離発注したしわ寄せなのか。しかし、全体の建物レイアウトは森ビルが計画しているので、そもそも、分かりにくくすること自体がコンセプトだったのか。色々と資料を調べてはみたものの、明確にそれについて述べているものは結局見当たらなかった。きっと、「都市とは迷宮である」というようなコンセプトを持って計画されたに違いないのだが、「迷宮」であることが果たして全ての人に受け入れられたとは思えないのである。
 何を狙っていたのかは釈然としないのだが、一応専門家の端くれとして、以下に、この建物が分かりにくい原因を整理してみたい。

まず、建物を分かりやすくするためには以下の点に配慮する必要がある。
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 これらは、上の項目ほどより重要で、しかも計画の初期段階から配慮しておくべきものである。インフォメーションは後で付加することが可能であるが、あくまでも補助的手段である。空間の形状がシンプルで見通しが利けば、サイン情報に頼る必要などない。それに対して、ヒルズでは、最も重要な1.~4.の要素が全て欠けており、いくらサイン情報を付加しても効き目がなく、どうしようもない空間となってしまっている。

 まず全体構成が分かりにくい。曰く、森タワーを中心とした「円環構造」を取っているらしいのだが、「環」が見えない。同じく「円環構造」のディズニーランドとは決定的に異なる。建物の面白さを高めるために「迷宮」を計画するということを一概に否定したくはない。しかし、その場合でも「骨格」を明確にすることで、迷った場合でもここまで戻れば大丈夫というような場所を担保し、人々の安心感を確保することは不可欠である。
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六本木ヒルズ
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ディズニーランド

 分かりやすいかどうかはアプローチとエントランスでほぼ決まるといっても過言ではない。そこで全体構成が見渡せることにより、定位(自分がどこにいるかの把握)ができ、その先のプランが立てられるからである。
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地下鉄からアプローチして正面に見えるのはオフィス棟の入口。しかも、入口を入るまではそこがオフィス棟とは気付かない。それ以外へはどうやって行けばいいのだろう?
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オフィス棟手前、右手に商業棟の入口が見えているのだが、「WESTWALK」だけでは何のことやら。なんとか商業棟の中に入ってそこでまた愕然。お店はどこにあるの?上の階へはどうやって行けばいいの?

 こうなると、なんとか分かりやすくするために、サインだ看板だを、やたらとつけまくることになる。しかし、それは情報過多の混乱に陥れるだけになってしまう。やはり「分かりにくい」という声が多いのだろう。分厚いガイドブックが山のように置かれているが、この地図を解読してお店にたどり着ける人はどれくらいいるだろう?図中の「簡単にわかります」という言葉が空しく響く。

 まさかその複雑な権利関係の変換を空間で表現したかった訳ではないだろうが、自身の商売のためにも、建物の分かりやすさにはもう少し配慮するべきだった。残念ながら、できてから気付いた時には手遅れだったという典型的な事例と言える。

対するミッドタウンは・・・?
 ミッドタウンの見学ツアーに参加して、ガイドの言葉に思わず吹き出してしまった。「ミッドタウンの特徴は分かりやすいことです。」明らかにヒルズを意識したその言葉に偽りはないと思う。しかし、それって胸を張って言うほどのことだろうか。。。
 とは言え、ヒルズを反面教師に、分かりやすさには最大限の注意を払っていることは見て取れる。まず、決定的にヒルズと異なるのは、空間構成が非常にシンプルなことだ。また、どの入口からも、吹き抜けを通して全体が見渡せるようになっている。さらに、上下階への動線も分かりやすい場所(見える場所)に配置されている。上下階は同じ配置構成で理解・類推しやすい。この辺りの手法は、郊外の大型ショッピングモールで得たノウハウなのだろう。
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モールには4方向に窓が配置されており、外部の景色を眺められる。これにより、建物内で自分がどちらの方向に向いているのか、方向感を保持することができる。
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店のサインも統一して、通りから認識できるように掲出。一方で、店の間口は均等割りで単調。郊外のショッピングモールを連想させ、高級感には欠ける危惧もある。
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 分かりやすさを可能な限り追求しているミッドタウンは好感を持てるが、同時に、やや単調でどこかで見た空間という印象も拭えない。一度行けば大体の様子は分かってしまうので、リピーターを取り込めるのかといった危惧もある。一定の分かりやすさを確保しつつ、意外性や発見の楽しみも提供すること、つまり「アンビギュアス」な空間を作ることはなかなか難しい。

(添田昌志)

丸の内の価値をはかる(4)街の軸-2

■新しい軸を人々に認知させるということ
歴史的には存在しなかった、もしくは、通用路的な位置付けにあった通りを、新しいメインストリートとして広く認知させることは容易ではない。ここでは、以下に示す複数の手法を駆使しているのだが、それらはどれも多大なコストのかかることである。しかし、それをやってのけることが三菱の力なのだろう。
・手法1:イベントの開催=東京ミレナリオ
・手法2:商業の誘導(ブランドショップ)
・手法3:街路空間の一体的整備(街路樹、ペーブメント、ストリートファニチャー、看板規制、交通規制)
・手法4:情報発信(仲通りHP、ガイドブック)
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東京ミレナリオ:1999年から2005年まで、7回に渡って行われた。メディアにも大きく取り上げられ、累計1770万人が訪れた。丸の内仲通りの存在を世に知らしめた効果は計り知れない。


■徹底した空間整備
仲通りは上記のような、イベントや情報発信によって、通りの存在をまずメディアを通じて人々に認識させる手法をとっている。メディア先行型であると言えるが、大切なのは、そのようなメディアを見て、実際にその場所を訪れた人に、ここがその「特別な場所」ですよと、直感的に分からせることである。そのために、徹底した空間のデザインコントロールが行われている。
例えば、看板・標識の類は完全にコントロールされ、袖看板は一切排除されている。このことは、景観的には非常にすっきりとした落ち着いた雰囲気を醸し出すが、お店を探すという情報探索の観点からは非常に不利である。店の前まで行かない限りは、それが何の店か分からないからだ。効率よくたどり着くためには、事前の情報探索や地図などが不可欠で、そういう意味では、冷やかしのお客はお断りし、店としてのブランド性、ステータスを高めているということなのかもしれない。
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通りの端から端までデザインが統一されたペーブメントと街路樹。袖看板のない景色。
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多様で豊富なストリートファニチャーとアート
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12:00~13:00は歩行者天国になる
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袖看板が表れると、そこは丸の内ではなくなったという証し
(添田昌志)


丸の内の価値をはかる(3)街の軸-1

街の骨格-あばら骨を背骨に変えた仲通り再整備
 丸ビル、新丸ビルといった超高層ビルの建設とともに、丸の内再開発計画の中核となっているのは、丸の内仲通りの整備である。いまや、すっかりブランドストリートとしての地位を確立しているこの通りはしかし、再開発される以前は、オフィスビルの間の通用路というイメージがしっくりくるような通りだったろうし、さらに歴史を遡ると通り自体が存在していないものであった。

丸の内地区の認知の変化(江戸城→東京駅→仲通り)
 そもそも、丸の内地区は江戸時代には、大名屋敷が立ち並んでいた場所である。江戸時代の地図を見ると、お城の門前として、御三家をはじめとする大大名の武家屋敷が建ち並んでいる場所であった。つまり、丸の内は、お城(江戸城)に従属して存在する場所だった訳である。
 明治時代には大名屋敷がなくなり、一時は野原となっていたのであるが、大正初期に東京駅が建設され、昭和に入って鉄道交通が盛んになるに連れ、建物が建てこみ、丸の内地区は東京駅前のオフィス街としての地位を確立していく。地区の形が完成し、仲通りの原型も見られるようになるのはこの頃である。つまり、江戸から昭和に時代が下るにつれ、従属するものが江戸城から東京駅へと変化していったのである。しかし、何かに従属した地区であるという意味では変わりはなかったと言える。
 今回の仲通りの再整備は、城(皇居)や駅への従属から脱却、独立し、自らアイデンティティとしての軸(背骨)を持つのだという決意の表れのように捉えられる。そして、そのことは、他では真似できないであろう、様々な大仕掛けによって実現されていくのである。


現在の丸の内地区の地図:仲通りの幅員が周辺の道路に比べて、かなり狭いことが見て取れる。また、皇居や東京駅ともつながっておらず、本来地区の軸とはなりにくい。縦の幹線をつなぐ文字通りあばら骨のような通りである。
(添田昌志)

楳図邸騒動から景観を考える(2)

 前回、マスコミ諸氏は周辺の景観と合わないと言いながら、「周辺の景観」については誰も論じていない、とここに書いた。それを知ってか知らずか(もちろん知らないと思うけれど)、9月1日付の朝日新聞がこの件に関して興味深い特集記事を書いていた。「もっと知りたい 楳図かずお氏新居巡り騒動」と題されたその記事では、記者が周辺を歩いて家並みの壁の色を調べた図が掲載されている。写真を使わないのは、やはりプライバシーに対する配慮なのだろうだが、周辺の住宅がどのような色をしているのか言葉で表現することを試みている。言葉では実際の様子がなかなか伝わりにくい面ももちろんあるが、このような周辺へのまなざしは評価したい。

■表現の自由VS公序良俗
 この件は、先日、楳図氏が地裁からの和解提案を「自己表現のひとつ。変えることはできない」と拒否し、さらに混迷の一途をたどるようである。氏は赤白縞について、「生命感が感じられ、すごく好き。ハッピーな色」とかなりの思い入れがあるようだ。表現の自由VS公序良俗という構図がここに見られる。ところで、表現の自由といった場合、今回、気になるのは、表現そのもの(つまりここでは赤白縞の家)の妥当性が批評されているのではなく、表現者個人のイメージが槍玉にあげられている感じがする点である。「気持ち悪い漫画を書く人が建てる家だから気持ち悪いに違いない」という短絡的な決め付けが少なからず見受けられる。万が一、これが著名建築家が設計したものであれば、どのような判断になるのだろうか?やはり赤白縞はおかしいと真っ向から訴え、マスコミもきちんと対処したのであろうか・・・?それとも著名建築家なんだから、これは素晴らしい作品なのだと通ってしまわないだろうか?何が本質的問題で、議論すべきは何かということを、しっかりと見据え、伝えることが少なくとも私たち専門家には求められている。
(添田昌志)

楳図邸騒動から景観を考える(1)

 今、ワイドショーやニュースで話題になっている、楳図かずお氏の自邸の建設現場を見に行く。紅白のストライプの外観と「まことちゃん」を模した塔が周辺の景観を破壊するとして、周辺住民2名が工事差し止めの仮処分申請を申し立てたというものである。
 現場を見ると、その外観はまだ完成していない。訴えた住民はどうやら工事関係者から聞いた情報を基に、完成予想スケッチを自ら作成したようである。実際にどのような外観になるのか、今はまだ分からないというのが本当のところのようだ。
 マスコミは楳図氏の独特のファッションや創作物に絡めて、この一件を面白おかしく取り上げているように見える。報道を見ていて、奇妙に思ったのは、周辺の景観と合わないと言いながら、映像や写真では楳図邸だけ切り取って写したり、周辺の建物にはモザイクをかけていたりするということである。もちろん、周辺住民のプライバシーに配慮してという意図なのだろうが、これでは、その建物が周辺景観に対して本当にどうなのかという議論はできないだろう。つまり、単独の建物が一方的に攻撃されるのみで、「周辺の景観」については誰も論じていないのである。実際現地に行ってみると、問題の建物の数件先には真っ青な住宅が忽然と現われたりするのだが、こちらは問題になっていないようだ。そこに、この手の景観紛争の難しさを見る思いがする。
(添田昌志)