2008年08月 アーカイブ

都市広場の使い方

メキシコの広場
 メキシコの東海岸にあるベラクルスは観光地としてはあまり知られていないが、スペインによる最初の植民都市で、それ以降貿易港として栄え今日に至っている。旧市街地に見る建物や都市の作りは、いわゆるコロニアル(植民地)様式で、さまざまなスケールの広場が点在している。そして、その広場が今日でも実にうまく使われている。市の中心部にあるアルマス広場は大聖堂や市役所などの歴史的建造物に囲まれ、またその一辺はバーやカフェが軒を連ねて、大変活気のある市民の憩いの場所となっている。特に夜になるとステージが設けられ、踊りを楽しむ市民でいっぱいになる。
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アルマス広場

 このアルマス広場から、数分歩くと、今度は規模の小さな町内の広場がある。ここは毎晩ではないが、決められた日にはバンドが入り、やはり屋外のダンス場と化す。広場に面する小さなカフェから出されたテーブルで飲みながら、近所から集まってきた老若男女のダンスと音楽が楽しめる。ここは市の中央広場のミニチュア版である。
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メキシコの都市構成と広場の役割
 ここで、メキシコの都市の作られ方について書かれた論文を思い出した。デニス・ウッドは1971年の論文で、都市の構造が小さな住宅のスケールから、近隣のスケール、そして都市全体のスケールまで同形のパターンの一貫した繰り返しであるとした。彼の調査した都市は、サン・クリストバルでベラクルスではないが、かなり共通している。
 メキシコの住宅は、パティオと呼ばれる中庭が中心にありそれを部屋が囲むコートハウスである。また近隣の単位であるバリオ(Barrio)には中央に小広場がある。さらに、都市の中心には中心に市民広場(ゾカロ)がある。同じような形状の繰り返しの(自己相似的な)空間構成となっている。
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 さらに、興味深いのは、それらの使われ方である。それを論文から引用すると以下のようになる。
「住宅のパティオは子供の主な遊び場であり、町内のバリオ広場は青少年の、街の広場ゾカロは年長の青年や大人のレクレーションの場となっている。政治や宗教、お祭りも同様に、最も下のレベルで学んだことが上位の場所での活動にスムーズに移されてゆく。」
 日本の都市にも「広場」と呼ばれる空間が作られることがある。しかし、そこが上手に使われているという話を聞いたことがない。子供のころから段階を追って公的な空間を他者とどう共有し上手く使うのかを学んだ人たちとの決定的な違いである。メキシコや南欧には伝統的に広場を使う習慣がある、と言ってしまえばそれまでだが、実は子供たちに文化を継承させる、つまり文化化(enculturation)するための空間が段階的に用意されているのである。日本の公共空間をどう作り、どう使うのか、一つのヒントとなりそうである。
(大野隆造)

赤坂サカスよ、赤坂を咲かせ!

東京の新名所・赤坂サカス
 地下鉄赤坂駅からゆるやかな坂を上ったところに東京の新名所、赤坂サカスがある。ここの建物群は六本木ミッドタウンなどと比べ、いい意味で肩の力が抜けた大衆寄りな作りで心地よい感じを受ける。各建物内もなんだか領域がゆるくて歩きやすい印象である。周辺の街との関係も再開発にありがちな閉じた印象が薄く、料亭街の凋落によって衰退していた周囲の街並に、再開発の新しいエネルギーが素直に行き渡っているように見受けられる。ただ、オープン時の目玉であった100本の桜を擁するさくら坂は、並木の向こうに古びた民家の居間が丸見えという不自然な境界を作り出しており、顔であるに関わらず裏的な雰囲気が漂い、調整不足感が否めない点は少々残念ではある。
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赤坂Bizタワー内部

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Sacas広場につながる仲通り
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さくら坂から見える隣地の民家

放送局の「城下町」
 ところで、最近話題の再開発は、台場-フジ、汐留-日テレ、六本木ヒルズ-テレ朝など、放送局新社屋がセットになっていることが多い。今回歩いた赤坂サカスもそんな例に漏れずTBSとセットになっている。これらの再開発は皆、放送局を極とした各局の「城下町」を形成しているというのは少々穿った見方だろうか。最新情報を常に発信する放送局の役割と新しい街づくりの利害が一致し、各街のイメージ=各局の主義主張となっているようにすら見える。2010年のデジタル放送化で多チャンネル化するとそのような地域性の傾向はなお強まっていくかもしれない。
 それにしても、これらの放送局の足下には必ずといっていいほどイベント広場が設けられている。テレビという仮想空間の中から飛び出して観客と肌が触れ合うことのできるリアルな空間として、番宣も兼ねたメディアとしての効果が期待されているからなのであろうか。それ故サカスの特徴もイベント広場たるsacas広場に集約されているように感じた。
 ただ、リゾートであるお台場ならいざ知らず、放送局の番宣イベントを仕掛けて観光客の動員を狙ったところで、持つのはせいぜい1年ではなかろうか。六本木ヒルズはその建物の複雑さと元からある六本木の街の風潮がマッチし、周辺住民を常連客として定着させつつあるように、サカスはやはり赤坂の風潮にあわせた坂と広場の使い方が利用者の定着を図る勝負点となろう。
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Sacas広場の風景。TV局の番宣イベントが行われていた。

街ぐるみのインタラクティブなイベント
 実はこの広場は、広場空間としては珍しいくらい不利な立地となっている。坂上の行き止まりに設けられているが故に、広場からの見渡しはいいが、広場を見上げる通りからはその雰囲気が分かりにくく、広場に対する求心性は築かれにくい。また、TBS本社ビルのちょっと歪んだ形や赤坂Biz Towerの極めてシンプルなファサードなどに押され、広場自体は強い象徴性や軸性を持たない空間となっている。
 ここではその不利を逆手にとって、周囲のビルからの見下ろしに期待したい。この地の起伏を利用してなんぼである。六本木ヒルズのテレ朝前広場はすり鉢状になっており、イベントが見下ろせるので楽しそうな雰囲気が伝播しやすく、相乗的に人を呼び込む効果があり成功しているように思う。この赤坂も同様に、周囲を拠点とする人にとってなくてはならない栄養剤としてのイベントを行い、そこを見下ろす周りのビルの人々を呼び込むべきである。隣のビルには大手広告代理店だって入っている。彼等がこぞって行きたくなるようなイベントを打ってこそ、エンタメ主体の街に文化や特殊性が培われ、場所性を帯びた新しい価値が生まれるだろう。
 イベントだからといって、ステージとそれを眺める観客という固定的な形に束縛される必要性は全くない。道路境界や建物の内外、また再開発地区の内外に捕らわれることなく、360度の空間・都市的な関係にまで入り込めば、イベントは街ぐるみのインタラクティブな関係性を築くこともできよう。そして、その街ならではの価値を楽しむ人々(街のプレイヤー)を作り出すことで、さらには彼等を見たい人、彼等と共に参加したい人が街に賑わいをもたらすことになる。聞く所によると周辺の寿司屋を巻き込んだ食べ歩きイベントのようなものも開催されているらしく、その蕾みは開きかかっているようである。
 サカスとは赤坂に多い坂の複数形「坂s」と花を「咲かす」をかけたネーミングだそうだ。赤坂サカスとは自分が咲くのではなく、赤坂の街全体を咲かす!という宣言なのだとすると少々応援したくなってくる。
(川上正倫)

人が集まる場としての駅空間  副都心線渋谷駅から考える

副都心線・渋谷駅
 この6月に開業した副都心線渋谷駅を見に行く。この駅には、建築家安藤忠雄氏が設計した吹き抜け空間がある。地下鉄駅に吹き抜け空間を設けるといった大胆な発想はこれまでなかった、と諸メディアでも報じられ話題となっているものである。氏曰く、この吹き抜け空間は「そこを行き交う電車や人々が眺められ、都市のダイナミズムを体感する場所」であり、そして「子供達がこんな場所があるなんてすごいなあ」と感動し、夢を馳せる場所であるとのことである。
 私はかなりの期待を抱いてその場を訪れたのだが、率直な感想を言えば、氏の思いは殆ど実現されていなかった。その原因は、この吹き抜けがホームの端のごく一部に設けられたものであり、そのスケールがあまりにも小さいことや、人々の主動線から外れていることなどが挙げられるだろう。地下鉄駅の吹き抜け空間としては、横浜のみなとみらい駅の方が、はるかに「感動的」である。しかし、ここではこの空間の欠点を挙げ連ねることは主旨ではない。きっと、様々な空間的制約、法的制約を乗り越えた精一杯の実現範囲がこれであったと前向きに捉えたい。
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副都心線渋谷駅の吹き抜け空間
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みなとみらい駅の吹き抜け空間
上階のショッピングモールからホームに入ってくる電車が眺められるスケールの大きな空間。


魅力的な駅空間とは
 そもそも駅とは、人々が集まり、行き交う、都市ならではの場所である。氏が言うように「都市のダイナミズムを体感できる場所」なのである。そして、そこには、出会いや感動、発見があり、空間もそれを演出するものであるべきだ。例えば、ニューヨークのグランドセントラル駅のように。
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グランドセントラル駅

 もちろん、グランドセントラルのような長距離旅客用の駅と圧倒的に乗降客数の多い日本の通勤駅とを比較してもらっては困るという指摘もあろう。しかし、通勤駅だからと言って、単純に多くの人を捌くという発想しか持たないのであれば、東京の全ての駅はただの通路になってしまうだろう。
 一方で、今、この日本ならではの通勤駅にエキナカ商業を展開するということがもてはやされている。商業が駅空間を単なる通過場所から魅力的な楽しい場所に変えるというのである。確かにそれも一理あろう。しかし、その実は、人通りが多いところに店を出せば必ず儲かるという安易な発想だったりしないだろうか?それ故、本来人を捌くべき通路に人を滞留させる店舗を配置するといった理に反した空間作りになっていたりはしないだろうか?
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多くの乗降客で混雑する通路に設けられたエキナカ商業施設

 私は、目先の商業主義を乗り越えて、駅ならではの人が集まる空間を創造して欲しいと思う。そろそろ、人をモノで集めるという発想から、場所の魅力で集めるという発想に切り替える時だと思うのである。駅とは、自ずと人が集まり行き交う場所である。安藤氏が言うような、そこにしかない空間を創ることのできるポテンシャルを持った場所なのである。そして、他にはない魅力的な駅空間の存在が、その街のアイデンティティを高め、ひいてはその都市の価値を高めることに繋がると信じている。
 そう思うと、この渋谷駅の吹き抜けの周りにカフェを設けてみたら、そして、そこから電車とともに外の空が眺められたらどんなに魅力的だっただろう、との妄想を禁じえないのである。
(添田昌志)

六本木の価値をはかる(3):再開発トライアングルを見る

再開発における民の志と公の怠慢
 既に多くの人が述べているが、この種の再開発は、床面積を可能な限り稼ぎ収益を上げることが至上命題になっている。したがって、高層のビル群を抱え、オフィス、商業、美術館などといった複合用途のコンプレックスシティを作らなければならない。人を集め、お金を落としてもらなければならないのだ。そのことの是非については他に譲るとするが、そのような厳しい制約の中で、それぞれに可能な社会性・公益性を追求していることは認めるべきだと思う。
 ヒルズでは、多くの地権者を1民間業者が束ね、住宅のみならず公道までも整備しているし、ミッドタウンでは誰もが立ち寄れる広大な緑地を整備した。いわば身を削って、周囲のために提供している訳である(もちろん、その見返りとして、容積率緩和や補助金交付があるのだが)。
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六本木けやき坂通りは、民間が整備した公道の初事例。東京タワーを眺めるいい軸線を取っている。
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ミッドタウンの緑地率は60%(4ha)。都心で空の広さを感じられる場所になっている。前面歩道も大きくセットバックして憩いの場所になっている。

 一方、公の象徴である、国立新美術館はどうだろう?ファサードは美しいと思うし、収蔵庫を持たないギャラリーとしての運営手法もありうるものだろう。しかし、それは周辺に対して開かれているだろうか?何か身を削って提供しているだろうか?もはや、フェンスで囲って威厳を誇示する時代ではないと思うのだが。設計した黒川氏は「森の中の美術館」というのだが、見た目には塀の中の美術館だろう。
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 まず、美術館正門から向かいの歩道へまっすぐ渡る横断歩道がない。それでも渡る人が多いのだろう、横断禁止の幕と、人々を迂回路へ誘導するためにガードマン配置されている。ガードマンを雇う金があるなら、横断歩道をつけるぐらいできると思うのだが。公の本業である道路整備ですらこの状態だ。
また、ミッドタウンから国立新美術館へ向かう道は、歩道が狭く歩きにくい。そこに向かう人を出迎える、高揚感を演出するという発想など全くない。管理が違うと言ってしまえばそれまでだが、そこを何とかするべきではないだろうか。
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六本木はどこへ向かうのか?
 六本木の街を何度も歩いた感想は、結局のところ、これからこの街はどちらの方向に進むのだろう?という疑問であった。大規模再開発の宿命として、オフィス、住宅、美術館、商業施設、ホテルなどなどを複合させてはみたものの、それ故に街として目指す方向性が分かりにくくなってしまっている。もちろん、再開発によって、道路やオープンスペースなど、従来なかったものが提供されたことは評価に値する。しかし、そもそも、この街をどうするための再開発だったのかがどうも見えてこない。
 歓楽街であった六本木を、働く街にしたいのか?買い物の街にしたいのか?それとも、アートの街にしたいのか?ミッドタウンは、キャンティにセレブが集った70年代の古き良き六本木に戻したいと言うのだが。。。個人的には、どの方向性も、街の骨格とはずれているこれら再開発の位置取りと同様、何かずれているような気がしてならない。
 思えば、都心に郊外を作りたかった「豊洲」、三菱のブランド価値を高めたかった「丸の内」は、そのコンセプトと空間づくりの手法が明快に一致していた。六本木がこれからどう変化し、人々にどう認知されていくのか、その答えを知るにはもう少し観察を続けるしかないのだろう。


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街の骨格とずれたアートトライアングルは、人々の心にトライアングルを認知させることはできない。今後予定されている六本木一丁目の再開発も、骨格とずれていることに変わりはない。

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トライアングルに囲まれた地域は六本木とは思えないような古い住宅街で、ここに何かが起きる予感は今のところしない。

(添田昌志)

六本木の価値をはかる(2):再開発トライアングルを見る

やっぱり分かりにくいヒルズ
 六本木ヒルズは分かりにくい。私の知る限り、近年建設された商業ビルでここまで分かりにくい例は思いつかない。このことは計画段階でかなり予想されていたと思われるのだが、どうして改善されなかったのだろうか。各建物の設計を外国人に分離発注したしわ寄せなのか。しかし、全体の建物レイアウトは森ビルが計画しているので、そもそも、分かりにくくすること自体がコンセプトだったのか。色々と資料を調べてはみたものの、明確にそれについて述べているものは結局見当たらなかった。きっと、「都市とは迷宮である」というようなコンセプトを持って計画されたに違いないのだが、「迷宮」であることが果たして全ての人に受け入れられたとは思えないのである。
 何を狙っていたのかは釈然としないのだが、一応専門家の端くれとして、以下に、この建物が分かりにくい原因を整理してみたい。

まず、建物を分かりやすくするためには以下の点に配慮する必要がある。
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 これらは、上の項目ほどより重要で、しかも計画の初期段階から配慮しておくべきものである。インフォメーションは後で付加することが可能であるが、あくまでも補助的手段である。空間の形状がシンプルで見通しが利けば、サイン情報に頼る必要などない。それに対して、ヒルズでは、最も重要な1.~4.の要素が全て欠けており、いくらサイン情報を付加しても効き目がなく、どうしようもない空間となってしまっている。

 まず全体構成が分かりにくい。曰く、森タワーを中心とした「円環構造」を取っているらしいのだが、「環」が見えない。同じく「円環構造」のディズニーランドとは決定的に異なる。建物の面白さを高めるために「迷宮」を計画するということを一概に否定したくはない。しかし、その場合でも「骨格」を明確にすることで、迷った場合でもここまで戻れば大丈夫というような場所を担保し、人々の安心感を確保することは不可欠である。
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六本木ヒルズ
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ディズニーランド

 分かりやすいかどうかはアプローチとエントランスでほぼ決まるといっても過言ではない。そこで全体構成が見渡せることにより、定位(自分がどこにいるかの把握)ができ、その先のプランが立てられるからである。
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地下鉄からアプローチして正面に見えるのはオフィス棟の入口。しかも、入口を入るまではそこがオフィス棟とは気付かない。それ以外へはどうやって行けばいいのだろう?
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オフィス棟手前、右手に商業棟の入口が見えているのだが、「WESTWALK」だけでは何のことやら。なんとか商業棟の中に入ってそこでまた愕然。お店はどこにあるの?上の階へはどうやって行けばいいの?

 こうなると、なんとか分かりやすくするために、サインだ看板だを、やたらとつけまくることになる。しかし、それは情報過多の混乱に陥れるだけになってしまう。やはり「分かりにくい」という声が多いのだろう。分厚いガイドブックが山のように置かれているが、この地図を解読してお店にたどり着ける人はどれくらいいるだろう?図中の「簡単にわかります」という言葉が空しく響く。

 まさかその複雑な権利関係の変換を空間で表現したかった訳ではないだろうが、自身の商売のためにも、建物の分かりやすさにはもう少し配慮するべきだった。残念ながら、できてから気付いた時には手遅れだったという典型的な事例と言える。

対するミッドタウンは・・・?
 ミッドタウンの見学ツアーに参加して、ガイドの言葉に思わず吹き出してしまった。「ミッドタウンの特徴は分かりやすいことです。」明らかにヒルズを意識したその言葉に偽りはないと思う。しかし、それって胸を張って言うほどのことだろうか。。。
 とは言え、ヒルズを反面教師に、分かりやすさには最大限の注意を払っていることは見て取れる。まず、決定的にヒルズと異なるのは、空間構成が非常にシンプルなことだ。また、どの入口からも、吹き抜けを通して全体が見渡せるようになっている。さらに、上下階への動線も分かりやすい場所(見える場所)に配置されている。上下階は同じ配置構成で理解・類推しやすい。この辺りの手法は、郊外の大型ショッピングモールで得たノウハウなのだろう。
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モールには4方向に窓が配置されており、外部の景色を眺められる。これにより、建物内で自分がどちらの方向に向いているのか、方向感を保持することができる。
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店のサインも統一して、通りから認識できるように掲出。一方で、店の間口は均等割りで単調。郊外のショッピングモールを連想させ、高級感には欠ける危惧もある。
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 分かりやすさを可能な限り追求しているミッドタウンは好感を持てるが、同時に、やや単調でどこかで見た空間という印象も拭えない。一度行けば大体の様子は分かってしまうので、リピーターを取り込めるのかといった危惧もある。一定の分かりやすさを確保しつつ、意外性や発見の楽しみも提供すること、つまり「アンビギュアス」な空間を作ることはなかなか難しい。

(添田昌志)