2008年12月 アーカイブ

輝く都市

■ライトアップの温熱効果
 12月になると、夜の街がにぎやかになる。耳に響くクリスマスソングだけでなく、視覚的にもライトアップがやたら目に付く。明るく照らされた通りは、長く重苦しい夜の闇から心を解き放してくれるが、また寒い冬の街を暖かく感じさせてくれる効果もありそうである。そう思ったのは、数年前に中国東北地方(旧満州)のハルピンを訪れたときである。まだ10月だったが、夜の冷気は氷点下である。気温としては日中の方が高いに違いないが、視覚を含めた体感温度は夜の方が暖かいかもしれない。最初に見たときは、その大胆な配色に品の無さを感じたが、しばらくすると違和感が無くなり、前述の効果もあって、むしろ好ましく思えてくるから不思議である。

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(写真左)ハルピン中心街の歴史的町並み、中央大街 
(写真右)新華書店角の昼景と夜景


■現実のものとなった映画で見た近未来都市

 前々号で紹介した階段と坂の街、重慶を嘉陵(ジャーリン)江の船上から見た臨江門付近の夜景は、西洋と東洋がミックスした怪しげな情景である。それはSF映画「ブレードランナー」の冒頭のシーンを思い起こさせる。もう四半世紀も前の映画ということになるが、そこで描かれていたのは環境が悪化した地球の近未来都市である。そんな悪夢を連想させる情景が、船上の私たちの眼前に展開したのである。一般に、ライトアップされた光景は細部が打ち消されて現実感が薄れ、ヴァーチャルな、幻想的な体験をもたらしてくれる。重慶で見た洋の東西の渾然としたこの光景はとても異様で、それが今日のちぐはぐな中国の現実を映し出しているようでもあった。

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嘉陵(ジャーリン)江の船上から見た重慶・臨江門付近の夜景

■遊園地化する都市
 エネルギー問題をはずして考えると、最初に述べた心理効果や防犯という面から、街は明るいに越したことはない。郊外にある最寄り駅から自宅まで、暗い道をたどるより、明るい空間の広がりを感じながら行く方が足取りも軽くなる。しかし、最近見かける光の演出には、にわか作りの遊園地のような子供っぽさが感じられる。ディズニーランドのライトアップの方がまだ増しである。街が楽しくなれば良いではないか、と言われればそれまでだが、日本の都市の夜景に、もう少し大人らしい品格が求められないだろうか。
今回のタイトルの「輝く都市」は、建築家、ル・コルビュジエが1930年代に提唱した理想都市を表す言葉でもある。高層ビルとオープンスペース、完備された道路網といった考え方は、20世紀後半の都市で実現されている。しかし今日では、その見かけの輝きに隠された、モダニズムの非人間的な面が批判されている。それと同じように、ライトアップの効果に隠されがちな輝く都市の本当の姿を見失わないようにしたいものである。

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東京近郊の駅周辺で見られるライトアップとディズニーランドのライトアップ

(大野隆造)

高層マンションに住む

■高層の意味
 中南米のある都市はあまりに高地にあるため、低いところに上のクラスの人間が住み、高いところに低い階層の人間が住むという。
 そんな都市の様子をテレビで見たのはまだ20代のころだったけれど、なにかぐらっとするような価値観の転換を覚えた記憶がある。
 ちょっと違うけれど、エホバの神を由来とする宗教では「地獄」は火のイメージだが、それは砂漠という灼熱の地で生まれた宗教だからだ、という。寒い地域の宗教では、地獄は氷のイメージなのだ。では、仏教には熱い地獄と寒い地獄があるけれど、あれはどういう経緯なのか。仏教ではいくつかの民間信仰を取り込んでいったというが、その過程で地獄のかたちもいろいろになっていったのか。人は、どちらの地獄にも恐怖を覚えられるものなのか。
 考えると面白いのだが、話を「住まい」のことに戻そう。高層マンションだ。
 あれが「いいもの」という感覚は、なにに由来するのだろう。
 私たちの文化では、高いところが権力に結びつくからなのか。でも、1965年生まれの私でも、東京タワーや新宿の高層ビル群は見慣れたなかで育った。上から見下ろす街や人はちっぽけに見えるからおもしろかったけど、それだけのことだった。10階建てのマンションも、珍しくはなかった。団地の5階に住む友だちには、「階段の上り下りが大変だね」と同情した。
 高いところはあたりまえにあったから、上から見下ろされても「私は下?」と嫌な感じなんてしない。 
 それとも、ホテルのイメージなのか。もともとホテルでは最上階がスイートだったりして、上に行くほどいい部屋という場合が多い。いま、部屋のデザインも「ホテルみたいに」と発注する人が増えているというから、ホテルに関する感覚と住まいに関する感覚がごっちゃになっているのだろうか。
 それとも、技術の粋ということか。高い技術を生かした場所に住むというのは、それなりのステイタスなのか。
 いずれにしても、「高層マンション」という住まいに関するイメージを取り払って、ごく素直に住環境としてその場にいようとするときに、生の体をもった生き物として、住みやすさを感じられるかどうかはかなり怪しいように思う。そして、すでに育児環境としての検証をはじめ、各種の実証はなされているのだ。

■慣れと感覚
 私は、人がどのくらいまで生体としての我慢ができるのか、わからなくなることがある。通勤だって、慣れてしまえば苦痛はほとんどなくなったけれど、慣れるのは自分のなにかを殺すということなんだなあと恐怖したことがある。慣れてしまえる人は幸せなのか、慣れられずに逃げ出す人が幸せなのか。イメージによって自分の感覚を遮蔽できる人が強いのか、自分の感覚がイメージを覆せる人が強いのか。くどいようだけれども、住宅の話である。

(辰巳 渚)

都市とイルミネーション

 今年も早や12月となった。この時期の街の風物詩と言えば、やはりイルミネーションだろう。ということで、今回は東京の各地のイルミネーションについて、その特徴を語ってみたいと思う。


■新旧商業地対決

 一昔前は、イルミネーションというと、大通りの街路樹に電飾を飾って、というのが定番だった気がするが、今では、それに留まらない様々な仕掛けが多く見られる。それらを牽引しているのが近年開発された商業施設達である。中でもすごいのが六本木の大規模再開発である東京ミッドタウンと六本木ヒルズだ。ミッドタウンでは、隣接する桧町公園を取り込んで大々的なイルミネーションが行われている。特に、公園の芝生に張り巡らされた電飾ネットはもはやイルミネーションの枠を超えたアートに近いものである。ヒルズでは午後5時の一斉点灯が話題を呼んでおり、それを目当てに観光客が押し寄せるほどの名物になっている。これらの施設はイルミネーションによって集客を図りたいという事業者側の強い思惑があるため、このような派手な演出の傾向は今後も続いていくだろう。
 これに対して、銀座や丸の内、横浜元町といった有名どころの通りは、よく言えば控え目で上品な、悪く言えば少し寂しい感じのイルミネーションになっていた。銀座などはそもそも日本のクリスマスイルミネーション発祥地とも言われているだけに、もう少し盛り上がっているのかとも思ったが、背後のブランドビルの、ファサード全面を使ったディスプレイに負けている感じがして、やや肩透かしだった。しかし、これは見方によっては集客をイルミネーションなどに頼らなくてもやっていける老舗の余裕と言えるのかもしれない。

■ストリートイルミネーションの意味
 渋谷の道玄坂は電飾に負けない背後のビルの賑やかさが特徴的だ。それにしても、イルミネーションなど必要ないくらいに煌々としたこのカオス状態の通りに、電飾が付加されるだけで何か一体感が生まれるように見えてしまうのは新鮮だった。
 最後に表参道。ここは1990年代には通りのシンボルであるケヤキを使ったイルミネーションを行い、イルミネーションといえば表参道といわれるぐらいの盛り上がりを見せた場所である。それが、あまりの混雑による近隣住民からの苦情などに配慮して中止され、一時形を変えて再開されたこともあったものの、今年は写真のような暗い姿になっていた。イルミネーションの有無でこんなにも通りの印象が変わるのかと驚かされると同時に、イルミネーションの意味、-果たして誰のための、何を伝えたいためのイベントなのか-について改めて考えさせられる場所であった。

■東京各地のイルミネーション達
 このように多種多様なイルミネーションが見られるのは、近年のLEDの普及により電飾の色が豊富になったという技術的な背景も大きい(ちなみに、今年の注目色は赤だそうだ)。

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新宿サザンテラス

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東京ミッドタウン

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六本木ヒルズ

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銀座

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丸の内

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横浜元町

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渋谷道玄坂

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表参道(表参道ヒルズの電飾ばかりが目立つ暗い通りになっている)

(添田昌志)

汐留に流れは来るのか?

■汐留の歴史と現状
 汐留は江戸時代には大名屋敷が立ち並ぶ武家屋敷街であったなどと、今の街並を見て想像がつくだろうか。明治になって政府に接収され鉄道の拠点となった。それからしばらく鉄道貨物駅として機能していたが、80年代後半に廃止され、跡地が再開発されることになった。武家屋敷の遺跡発掘などでしばらくは更地だった。学生時代に工事現場に忍び込み、敷地境界までビッチリと建物が建ち並ぶ様、銀座のネオンと敷地の暗さの対比を眺めながら都市の不思議さを友人たちと議論した記憶がある。2000年代になりようやく超高層が生え始め、都市らしくなってきた。それでも2008年12月現在で未だに工事中の部分が散見される。
 さて、歩いてみて感じるのは、街としての寂しさ。大勢のサラリーマンが働くビルがこれだけ建っているのに人の気配が薄い。昼になるとランチを食べにビルから人が一斉に降りて来ると「こんなに人がいたのか!」と驚かされる。実は地表レベルは車優先となっており、地下に潜ると現実には人が大勢行き交っている。ビルの中、地下の活気が地表に表れてこないのがこの街を異様な雰囲気にしている。その感覚をより強くしているのが、交通網による視覚的、身体的な断絶感である。もともと鉄道拠点だったこともあり、新幹線は通るわ、ゆりかもめはすり抜けて行くわ、おまけに首都高までといった具合で何やら曲線をえがく高架が多い。その高架の隙間に超高層が乱立する様はまるで屏風を立てたようで、汐風をとめてヒートアイランドを引き起こしているとの批判も真偽の程はともかく視覚的に頷けてしまう。
 この超高層が立ち並ぶ様もそれぞれの建築計画的な成功はさておき、東京の無計画さを表層するものとなっている。更地からの再開発なのだからうまくやれるはずなのに、と思わずにはいられないが、逆に設計者としては超高層を成立させるのに全力を注ぎながらも、隣に建つ超高層がどんなものになるかという相互関係は考える余地がなかった事情も理解できる。アムステルダムの再開発事業を鑑みて、このような相互関係が成立する再開発には、行政の強権が必須となる。デザインに口を出さないまでも、全体の運営に口出ししてコントロールする権力が必要なのである。まあ、汐留に君臨する日本の大企業群の前では行政もなかなか言いたいことも言えないのであろうが。

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(写真左)方向性がバラバラの超高層がつくる屏風
(写真中)足下を断絶する交通網
(写真右)多少人々が行き交う地下部分

■「イタリア」の意味 
 そんな都市計画のあり方について思いを馳せながらシオサイトエリアを歩いていると、線路向こうに列柱を貼付けた巨大なJRAの建物が目に入った。工事中で線路下を渡れないので、汐留の一部とは思えないくらいアクセスが悪いのだが、再開発エリアに含まれていたので大回りして行ってみた。近づくと周囲のコンクリートの白基調のビル群とは一線を画すヴィータイタリアと名付けられた一角であった。パステル調の建物群に囲まれた広場的スペースがあり、脈略のなさは東京であってもかなり上位に位置づくであろうが、JRAの警備員がちらほらいる他には、ここもまた閑散としていてなんだか不思議な街である。この一角はシオサイトと異なりある意味相互関係がとれている。「イタリア!」というキーワードの下に事業者が同じ方向を持って建築している。感想として日本でもやればできるんだという気持ち半分、なぜ「イタリア」なんだという気持ち半分。
 新橋へ戻りがてら超高層の足下の旧新橋停車場の遺構を用いた建物を眺めながら、恵比寿で感じた歴史を伝達することの難しさを感じた。都市計画のあらゆる難しさを体感できる街が汐留であるといって過言ではないだろう。いずれにせよ、新しモノ好きの日本人をしてもまだ汐留ブームを起こし得ていない。流れが訪れるかどうかは、まだ余地の残る開発途上の地で、視覚的にも歴史的にも起こっている断絶をいかに連続させていくかにかかっているように感じる。

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(写真左)オリジナリティを感じない地下イベントスペース
(写真中)超高層に囲まれて逆に脈略を失っている
(写真右)歴史建造物としての旧新橋停車場

(川上正倫)