2008年09月 アーカイブ

広場を形作るファサード

■イタリアの広場
 建物の正面のことをフランス語でファサードと言う。最近は英語でも日本語でも使われるようになったが、元をたどれば、ラテン語の「顔」を意味するfacies、つまりフェイスに通じる。ヨーロッパの美しい街路景観を生み出しているのは、一つ一つの建物の表向きの顔であるファサードである。街路に比べて多くの人が滞在する広場に面する建物となると、そのファサードの重要性は格段に高くなる。
 この夏、東京芸大教授の野口昌夫氏の著書「イタリア都市の諸相」(刀水書房)を携えてイタリアを歩いた。イタリアは4回目だが、いつも気になるのが広場に面する教会のファサードである。それは建物本体の形とは違った形の壁が張り付けられている。悪く言えば、舞台の書き割りや、建物内部とは無関係の擬洋風ファサードをもつ「看板建築」を連想させる。フィレンツェを代表するサンタ・マリア・ノヴェッラ聖堂ですらなぜこうなのか?

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(写真左)看板建築
(写真右)サンタ・マリア・ノヴェッラ聖堂

■表層の自立

 この疑問に野口氏は「表層の自立」と題して丁寧に答えている。イタリアの建物の構造について、外観の表層と整合させる必要のない組積造で作られていることを述べた上で、聖堂のファサードは「広場に所属する」とする。つまり、広場を囲む建物の外壁は、建物の一部には違いないが、むしろ広場の空間を形作る方に主眼があるというのである。それを明快に示す例として挙げられていた、ミラノ近郊の小都市ヴィジェヴァーノのドゥカーレ広場を訪れた。ドゥカーレ広場とそれに面する聖堂の平面図を見ると、それぞれの中心軸が約15度ずれていることがわかる。広場から聖堂のファサードを見た時にこの傾きを解消して完結した広場の形状を作り出すために、湾曲したファサードが作られ、そして左側廊入口にあたる部分には建物はないが壁だけが付け加えられているのである。イタリア人にとって広場がいかに大切な場所であるのか、またその場所の空間を整えるためなら、ここまでするのかと恐れ入った次第である。

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ドゥカーレ広場と聖堂の平面図(野口昌夫著「イタリア都市の諸相」より)  

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(写真左)湾曲したファサード
(写真右)15度振れた聖堂の入口
 

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(写真左)左側廊入口と見える先はローマ通り
(写真右)湾曲ファサードで整形されたドゥカーレ広場

 翻って、わが東京ではどうだろうか。一つ一つの建物のファサードについて、それが作り出す外部空間にどれほど貢献しようと考えられているだろうか。「医者は土で、建築家は緑で失敗を覆い隠す」と言われるが、われわれの都市空間も街路樹によって適当にごまかして作られていないだろうか。ほとんど街路樹のない、それだけに建築のファサードが厳しく問われるイタリアの都市を歩いて、あらためて考えさせられた。

(大野隆造)

居住地を選ぶ視点①

■連載にあたって
 「住む」ということを考えるとき、私は、私たちがあまりにも「住宅の確保」と「住まう」ことを同一視してきたことが悲しくなる。それは、戦後、いやもしかしたら明治以来の人口移動において、都市に住宅を確保することが困難だった歴史がもたらしたものなのだけれど、いまやその違いはかなりの言葉を尽くさなければ理解されないことになっている。こう書いている私自身も、自由業の不安定さから、住宅だけは借金をしてでも確保したいと画策した時期がある。

 さて、言うまでもなく、住むことは、ただ家を手に入れることではない。通勤や通学の便を考えることだけでもない。その土地と縁を結び、その風土や地域社会のなかで自分の人生を築いていくということなのだ。現在、政府は「ワークライフバランス(仕事と生活の調和)」ということを言っているが、その柱には実は住宅の問題が大きく関わっているとも思う。家に帰るのに2時間かかるか、30分で住むかは大きく違うし、一方で家にいるときに住環境を楽しめる家と、家に閉じこもるかレジャーに出かけるかしかない家とではやはり違うのだ。
 この連載では、都市あるいは都市近郊に住むときに、私たちはどのような視点で都市を見、そこに住宅を構えることができるのか、を考えていきたい。

■居住地選択とは
 居住する地域を選ぶ時、多くの人は通勤、通学の便を考えるだろう。または、その人にとって重要なポイントにおける利便性を考えるだろう。ある私の知人は、子どもを育てることを考えて、両親の住む家と勤務地との中間に家を買い、通勤に2時間をかけることを選択した。一方で、このところのずっと続くトレンドとしては、かつて郊外に持ち家一戸建てを購入し、子育てを終えたシニア世代が、都心回帰する傾向がある。戦後の新しい世の中の枠組みの中で、ようやく「住宅は一生ものではない」「居住地はライフステージによって選択していけばいい」という感覚が育ってきたように思う。
 言い方を変えれば、「いま住みたいところに」「いま住めるところに」住宅があればいい、と考える軽やかさが受け入れられてきたと言える。これは、住宅を個人のストックと捉える視点から、社会のストックと捉える視点への転換とも言えるだろう。

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郊外の戸建住宅地と都心のタワーマンション

(辰巳 渚)

北千住はどこに向かうのか

■駅前の活気
 先日、久しぶりに北千住を訪れた。駅前は見違えるほど整備され、良く言えば画期的に利便性が向上し、悪く言えば地方の中核都市の「駅前に良くある風景」となっていた。しかし、平日の午前中に訪れたにも関わらず、街には活気があり(この感想自体が現在の「東京」に毒されているようにも思うが)、人々が「住んでいる」実感を受けた。

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 北千住は、江戸時代より日光街道の起点であった千住宿から発展した街である。やっちゃ場と呼ばれた青物市場もあったことで古くから活気にあふれた街だったのだろう。また、松尾芭蕉の「奥の細道」のスタート地点としても知られる。それ故に北関東や東北各県から東京への出入口的要素が強く、北千住駅は、今ではJR常磐線、営団千代田線、営団日比谷線、東武伊勢崎線、TXつくばエキスプレスが入り乱れるターミナルとなっている。かつては、やたらと混雑する駅とのイメージが強かったが、今では乗り換え動線も整理され、多くの乗降客に適応できているように感じられた。

■新旧の混在
 駅ビルを出て、整備されたペデストリアンデッキを降りると、駅前には駅内の行き交う雰囲気を受け入れるような細かい飲食店が並ぶエリアが広がっている。地下鉄駅の入口はまるでテナントのような様相であり、整備前の雰囲気が伝わってくる。このような元々建物が密集しているエリアにこのようなターミナル駅が存在することは予期せぬ面白い関係性を生み出すことがある。新しい街と旧い街のコンフリクトの効果である。

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 さて、駅前を荒川に向かって進むと旧日光街道沿いの宿場町が商店街になっている。駅に近い本陣跡などは名残すら感じられないが、高札場跡を過ぎた頃から旧い町家がぽつぽつ増えてくる。ここでも新旧の取り合いがまだ程よく残っているといえる。おそらく観光客が集まる歴史風情の残る街並みというわけにはいかないが、散策がてらに視覚的楽しみをもたらすものとしては十分であり、住人にとってのある種の誇りや愛着形成には寄与するだけの効果は持ち合わせていると思う。こう書くと語弊があるが、「東京」としての魅力が低かったために開発の対象として放置され、その結果、自然な新陳代謝が行われている街である、との印象を受けた。

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 少し進んで日光街道(国道4号線)沿いまで足を延ばすと、そこはもうマンションが建ち並び、既視感漂う画一的な幹線道路の風景である。下町的雰囲気を客寄せのコピーにして開発される周囲に、下町本体までが飲み込まれてしまっては元も子もない気がする。駅の反対側には東京電機大が神田からの移転を決めたようであり、まだまだ変化する街となりそうである。今の活気が似非とならぬか心配である。今ならまだ間に合う街並なのだから。

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(川上正倫)

都市と花火大会

 今年も早や9月となった。まだまだ残暑が厳しいとは言え、季節は確実に秋へと向かっていっている。ところで、過ぎ去りし夏の日の思い出は?と問われれば、「花火大会」を挙げる人も多いのではないだろうか。今回はこの「花火大会」というものを通して都市の地理や景観について考察してみたい。

■都市のオープンスペース
 下図は、東京都と神奈川県で行われる花火大会の場所を示したものである。当然のことではあるが、花火大会を開催するには、安全の確保と10万人単位の人が観覧するという観点から非常に広い場所が要求される。それと同時に、これらの人々を捌くことのできる交通手段が確保されていなければならない。広い場所は必要だけれども、不便な場所ではダメで、適切な交通アクセスが求められる。その意味で、開催場所の分布はすなわち、「都市」におけるオープンスペースの分布を表しているといえる。この図を見ると、東京都では開催場所が、主に多摩川、荒川、隅田川、江戸川といった川沿いに分布している一方で、神奈川県では多くが海岸沿いに分布しており、それぞれの地理的特徴がよく表れている。東京では河川敷が唯一残されたパブリックオープンスペースとしての役割を担っていることが改めて捉えられるのだが、河川敷や海岸での花火大会は、都会では貴重な広い空を体感する機会を与えてくれるものとなっている。
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東京都の花火大会

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神奈川県の花火大会

■都市景観の非日常性
 一方、河川敷や海岸で催されるものとは一線を画した、都市ならではの情景を味わえる花火大会として「東京湾大華火」と「横浜国際花火大会」を取り上げたい。これらはいずれも、都心部の港湾地区で行われるものであるが、打ち上げられる花火の背景に都市のランドマークが眺められるという点に特色がある。観覧する場所によって見えるものは違えど、東京湾では、レインボーブリッジや東京タワー、汐留のビル群、横浜では、みなとみらい、赤レンガ倉庫、大桟橋といった日本を代表するランドマークを見ることができる。実際に観覧した私の友人は、花火の打ち上げを待っている間に眺める、これらのランドマークが夕暮れに映える姿は、格別にムードを盛り上げてくれるものであり、他では絶対に味わえないものだと言っていた。
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「東京湾大華火」の打ち上げ場所と観覧場所

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「横浜国際花火大会」の打ち上げ場所と観覧場所

 花火大会は今や夏のイベントとして完全に定着した感がある。この時、都市は何十万人という人を収容する一大劇場と化す。あくまでも、花火の背景あるいは前座なのかもしれないが、都市の景観が最も多くの人に注目される瞬間となる。都市景観が人々に非日常性を演出する瞬間である。体験する時間は短いけれど、永く思い出に残る瞬間でもある。この晴れやかな舞台に相応しい景色とはどうあるべきか、という視点で都市景観を考えることもきっと必要なことだ。

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横浜国際花火大会での1コマ

(添田昌志)

丸の内の価値をはかる(7)文化財による価値-3

東京駅
 東京駅の保存が、丸の内の超高層化のひとつの契機であることは間違いない。しかし、法律を変えてまで実現させた保存に異議を唱える人は少なかろうが、その方法に疑いがないわけではない。1914年に政府の威信をかけて作られた辰野金吾の代表作。重要文化財にも指定され、戦時中に壊された屋根を修復することも決定した、などと聞くと良いこと尽くしのような気もする。
 しかし、戦時中の爆撃で壊されたとして、ほんの30年間しかオリジナルの姿をとどめていなかったのである。その後60年もの間、我々にとっての思い出たる東京駅は、実は2階建て仮設屋根の東京駅なのである。三菱1号館同様に正解のない悩みである。保存や復原などとオブラートに包まず、美的改修と呼んできちんと責任をとってはいかがだろう。象徴的な建物とは言え、駅舎という建物特性上、幅が長い。目の前を歩いていると、象徴性よりも界隈性の方を感じてしまうのが不思議である。
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東京中央郵便局
 東京駅正面にあるこれぞモダニズムというきれいな建物が、今取り壊しの危機に瀕している。吉田鉄郎による東京中央郵便局であるが、機能的な建物が機能性を失った時の主張は、もう歴史的価値しかない。果たして、歴史をウリにする覚悟をした丸の内に、この建物が救えるのか。文化財を抱えることによる超高層とセットでの点的な計算はしていよう。今こそ、それらの連環としての面的な経済効果を評価して欲しい。
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皇居から
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 丸の内を外から眺めると非常にきれいな街並だと思う。色合いも高さもバラバラではあるが、決して不快な光景ではない。しかしながら、皇居はだだ広い。丸の内のビルを眺めて大きいな!と思っていたのがうそのように、おもちゃの積み木のようにも見える。
 この一大緑地とそこに集う人々ののどかな風景に「公」の可能性を少し感じた。
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(川上正倫)