色彩の持つ力

■色に対する説明力
 先日、吉祥寺の楳図かずお邸に対して、周辺住民が「閑静な住宅街の景観が破壊される」として外壁の撤去や損害賠償などを求めた訴訟の判決が出された。判決は、現地周辺には外壁の色に関する法規制がないことや、他にも黒や青など様々な色の建物があることなどから、住民が景観を享受する利益(景観利益)を侵すことにはならないと判断し、「原告に不快感を抱かせるとしても、平穏に生活する権利を侵害するとは言えない」と結論付けた。この建物については、騒動が持ち上がって以来何度かこのコラムでも取り上げてきたが、今回の判決は予想通りのものであった。やはり、事前に何らかの取り決めを作っておかねば、建った後から何を言っても遅いのである。

 裁判には勝った楳図氏ではあるが、しかし、その自邸に対する弁論は、個人的には受け入れ難いものがある。氏はその外観について、「赤白のストライプは私の高校時代からのトレードマーク。自己表現の1つであり、変えることはできない。」と述べている。言うまでもなく建物は個人の財産であると同時に街の共有財でもある。上記の弁論はあくまでも私観のみに基づいた見解であり、共有財として、街の視点から見た時にその建物がどのような意味を持つのかを全く語っていない。

■色による街の活性化
 私は、建物に原色を使うこと自体が間違っているとは思っていない。むしろ色彩により、街を活性化できる場合があるのではないかと考えている。下はオランダの集合住宅の写真である。オランダはその平坦で単調な地形ゆえ、如何にその単調さに変化を与えるかということに力点が置かれ、建物はそれぞれ個性的な形をし、外観もカラフルなものが多い。色の使い勝手がうまく、原色であっても不快な感じはせず、華やかな印象で、明るい気持ちにさせられる。

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 一方、下の写真は私の住んでいる地域にある団地の写真である。先日その外壁が塗り替えられ、旧来の白一色の外壁にアクセントカラーとしてベージュがあしらわれる事となった。しかし、厳しいことを言うようであるが、この配色はなんとも中途半端で、アクセントはつけたいけれど、あまり派手な色は避けたいという、色彩に対する妙な保守性が現れてしまっている(ちなみに、この配色にすることは住民の多数決によって決められている)。結果として、かえって団地の古さを感じさせることになっているのではないだろうか。近年、老朽化した団地の再生ということが頻繁に取り上げられているが、何の特徴もない郊外の団地にこそ、もっと大胆な色使いによる再生・活性化という発想があってもよいと思う。

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 現状、都市景観に関する多くの論説や、各地で制定されつつある景観に関する条例のほとんどは色彩を規制する方向にある。楳図邸に限らず、例えば、九段のイタリア文化会館のように、目立つ色を叩くことは簡単である。しかし、規制するだけが色彩というものが持つ力を活かすことになるとは思えない。景観、景観と騒ぎ立てることで、カラフル=悪という単純な認識が広がっているとしたら、本末転倒なのではないだろうか。
 真の意味の色彩の調和とは、多彩な色を使いこなせるようになってこそだと考える。そして、それによって多様な都市の価値が生み出されるだろう。一昔前のサラリーマンの背広のようにグレー一色に染まった街は決して美しくない。
 実際のところ、都市景観において色彩がもたらす効果をきちんと客観的に説明することは非常に難しい。しかし、色の持つ力を活かした美しい街並みを作るためには、なんとなくベージュの色を選んでしまう人々の視野を広げ、理解を促すことから始めなければならない。そのためには、多くの人が納得できる優れたデザインを提示するとともに、共有財として、街の視点から色彩がどのような価値を持つのかを、難しいけれどもきちんと説明するという姿勢こそが不可欠である。

(添田昌志)