都市と展望台

■東京タワーから見えるもの
 誰から聞いたのか、正確なところは定かではないが、「初めての街では、まず一番高い塔に登りなさい。」という言葉を覚えている。つまり、高い場所からその街全体を眺めることで街の構成が把握でき、その街でどこを見るべきかが分かる、という意味だったと解釈している。
 先日、東京タワーに登った。もちろん、東京にはもうずいぶん長い間居るので、初めての街という訳ではないのだが、改めて上から眺めてみることで、これまで見えなかったこの街の構成が見えるかもしれないという期待をこめてのことである。しかし残念ながら、登って見た率直な感想は、無秩序に増殖している周辺の高層ビルばかりが目に付き、ますますこの街の構成が分かりにくくなっているという懸念であった。
 高層ビルが増えること自体を批判する気は毛頭ない。それはある意味、都市の健全な発展を示す指標でもあるだろう。しかし、都市の構成が分かるということは、すなわち、その都市が何を目指して計画され、何を重視して発展してきたのか、その一貫性が目に見えて感じられるということなのである。例えば、パリのエッフェル塔であれば、高さ37mに厳格に規制された中心街区の建物の間に放射状の幹線道路が延び、副都心ラ・デファンス地区の高層ビルの塊がその向こうにまるで浮島のようにあるという、明確な街の構成が見える。このことは、街路網と建物景観における中世より続く歴史性を重視した計画の賜物である。また、ニューヨークでは、碁盤目状の街路に摩天楼が林立し、その間にぽっかりとセントラルパークの緑が広がっている様子が一目で把握できる。現代都市の象徴として、可能な限り高層高密度の都市を目指しつつ、生活に必要な緑の場は絶対に確保するという思想がここに表現されているのである。
soeda0811-1.jpg
soeda_081112_2.jpg
東京タワーからの眺め

■都市の方向性
 このような構成が明確な都市において、塔から街を眺めることは、住民自身が自分達の都市が目指してきたものを再認識する機会を与える。先に、パリで市街地の高さ規制を一部撤廃し高層ビルの建築を容認する計画が発表された時、多くの住民が反対の意向を示したというが、塔の上から眺めた街の美しい姿が、それによって乱れてしまうことが簡単にイメージでき、共有できるからではなかったろうか。
 東京もかつては低い街であった。東京タワーのHPに昭和40年代に展望台から撮られた写真があるのだが、これを見ると、皇居の緑を中心として、東京の街が放射状に広がっている様子がよく分かる。この時代に都市として何を目指して発展させていくのかを明確に方向付けできなかったことが、現在の景色に現れてきているのかと思うと残念でならない。
 東京タワーは今年で建設されてから50周年になる。そして、このタイミングで東京タワーの代替として「東京スカイツリー」が2011年の完成を目指して、着工された。東京スカイツリーが完成した後には、東京タワーはその主たる収入源である電波塔としての役割を奪われるため、展望台として生き残るしか道がないという議論がなされている。しかし、展望台として生き残れるかどうかは、東京タワーの高さがスカイツリーに負けるということではなく、実は東京の街が今後、上から眺めるに足る価値を提供できるかどうかにかかっているのだ、と言うのは言い過ぎだろうか。
soeda0811-4m.jpg
東京にある主な展望台の高さの比較
50年前に建設された東京タワーの展望台は、未だに東京で最も高い位置にある。

soeda0811-3m.jpg
東京の主な展望台の配置
東京タワーは山手線の内側にあり、皇居や東京湾を同時に眺められ、他の展望台と比べても、実は東京の構成をもっとも分かりやすく見ることのできる配置にあることが分かる。

(添田昌志)