075 プリンツィパルマルクトの歴史的街並みの再生 (ドイツ連邦共和国)

075 プリンツィパルマルクトの歴史的街並みの再生

075 プリンツィパルマルクトの歴史的街並みの再生
075 プリンツィパルマルクトの歴史的街並みの再生
075 プリンツィパルマルクトの歴史的街並みの再生

075 プリンツィパルマルクトの歴史的街並みの再生
075 プリンツィパルマルクトの歴史的街並みの再生
075 プリンツィパルマルクトの歴史的街並みの再生

ストーリー:

 ドイツのノルドライン・ヴェストファーレン州にあるミュンスター市。このミュンスター市の中心市街地にあるプリンツィパルマルクトは、ハイエンドな買い物をするショッピング地区として、またイベントが開催される広場として、同市の代表的な「ハレ」の空間である。それは、聖ランバート教会から市役所の塔まで延びている。
 この地区の街並みは、一見するといかにも歴史的なものに見えるが、よく見るとそのほとんどが新しい建物から構成されていることが分かる。第二次世界大戦で102回の空爆を被ったこの地区(アルトシュタット)は、その91%が破壊された。1280年に開発され、ミュンスターで最も歴史ある商店街であるプリンツィパルマルクトも、そのほとんどが破壊されてしまった。保存されたものは、1375年に建設された聖ランバート教会をはじめとしてごく少数であった。
 しかし、戦後、すぐに復興が始まる。そして、建物は破壊される以前のスタイルにできる限り戻すことにした。アーケード(ポルティコ)も、再現されるようにしたのである。唯一の例外は市役所とワイン屋のファサードであり、これは新たな意匠で再建された。元の建物へと復元するために、昔の写真・図版などを活用し、ほとんどの建物が建設材料も同じものを使用した。破壊される以前の区画を維持し、またオリジナルの立面図に忠実に復元させることで、この場所のオーセンティシティと歴史的文脈は保全されることになったのである。
 現在では、土曜日には一時間当たり5,500人の歩行者がここを通る(2011年5月のデータ)。ミュンスター市だけでなく、広域に人々を集客する商業地区、そして観光地として成功している。

キーワード:

中心市街地,歴史保全,アイデンティティ,街並み保全

プリンツィパルマルクトの歴史的街並みの再生 の基本情報:

  • 国/地域:ドイツ連邦共和国
  • 州/県:ノルドライン・ヴェストファーレン州(Nordrhein-Westphalen)
  • 市町村:ミュンスター市
  • 事業主体:ミュンスター市
  • 事業主体の分類:自治体 
  • デザイナー、プランナー:Hans Ostermann, Hans Rohling, Wolgang Patenius, Bernd Kösters
  • 開業年:1947年〜1958年

ロケーション:

都市の鍼治療としてのポイント:

 ノルドライン・ヴェストファーレン州は連合国側との国境のそばに位置していたことやルール工業地域を擁していたこともあり、第二次世界大戦後、ドイツの戦後復興を牽引した州である。そのために、同州の多くの都市は歴史的な街並み保全などは二の次に、とりあえずの復興を優先させた。ドルトムント、エッセン、デュッセルドルフなどである。そのような中、ミュンスターは都市規模がそれほど大きくなかったこと(約30万人)や交通の幹線軸から離れていたこともあり、短期的な視点ではなく長期的な視点で街の再生を実施することを決定した。そして、長期的な街の再生は、戦争によって、これまでミュンスターをつくりあげてきた時間の積み重ねを断絶させないという判断である。つまり、破壊された過去を再び再生することにしたのである。それは、戦争という絶対的な暴力によって、ミュンスターという都市のアイデンティティを強奪させはしない、という強い市民の意志でもある。
 その結果、ドルトムント、エッセンといった都市がアイデンティティの脆弱さによって、いろいろと悩んでいる中、ミュンスターはしっかりとした都市の格を有している。都市にとって、そのアイデンティティがいかに重要であるかを改めて我々に知らしめる貴重な事例である。

類似事例:

118 黒壁スクエア
131 スティーフン・アヴェニュー
159 聖母教会の再建
165 ハガ地区の街並み保全
195 ギャルリ・サンテュベール
214 ヴィクトアーリエンマルクト
・ レーマー広場、フランクフルト(ドイツ)
・ 王宮広場、ワルシャワ(ポーランド)
・ ドブロブニク旧市街、ドブロブニク(クロアチア)
・ ローテンブルク・オプ・デア・タウバー旧市街、ローテンブルク・オプ・デア・タウバー(ドイツ)