313 ブウキエンニツァ通りのリデザイン(ポーランド共和国)

313 ブウキエンニツァ通りのリデザイン

313 ブウキエンニツァ通りのリデザイン
313 ブウキエンニツァ通りのリデザイン
313 ブウキエンニツァ通りのリデザイン

313 ブウキエンニツァ通りのリデザイン
313 ブウキエンニツァ通りのリデザイン
313 ブウキエンニツァ通りのリデザイン

ストーリー:

 ポーランドの中部にあり、ワルシャワから鉄道で一時間ほど西にいったところにウッチ市は位置する。ウッチはポーランド王国の小さな農村であったが、ロシア統治下の19世紀前半に工業都市としての開発が検討され、織物工業・繊維工業の中心地として位置づけられると急速に発展していく。第二次世界大戦の直後には30万人ほどの人口であったが、ソ連に併合されたポーランド東地域から多くの移民がここに定住するとさらに人口が増加する。しかし、社会主義国家が崩壊した直後の1992年頃に人口のピーク(83万人強)を記録した後、ウッチの人口は急速に減少し、それから30年の間に20%の人口を失った。1992年時点ではワルシャワに次いでポーランドで二番目に人口が多い都市であったのが、クラクフに抜かれ、最近ではブロツワフにまで抜かれてしまっている。
 ブウキエンニツァ・ストリートはウッチの都心部にある300メートルと短い通りであるが、ウッチ市では有名な通りである。それは、ここが犯罪の巣窟のような場所であり、お酒(当時のポーランドでは違法)や売春などが行われるようないかがわしい場所であったからだ。「最も悪名高き通り」という名称もあったそうである。
 上に述べたようにウッチでは人口減少が進むのだが、それと歩みを合わせるように、ウッチの都心部では空き家が増え始めた。ブウキエンニツァ・ストリートはウッチの都心部でも特に衰退が激しく、空き家も多く生じた。通り沿いの建物の多くは大幅な修繕が必要な状況であった。
 さて、しかし、ただ修繕しただけでは空き家率が減る訳ではない。そのイメージの悪さなどを払拭するようなアプローチも必要であった。そこで、ファサードをより洗練されたものにした。古い建物はリフォームされ、新しく住宅、オフィス、店舗として使えるようにリニューアルされた。ファサードはデザイン的には格段によくなったが、昔の工業都市の面影を残すような配慮もなされたので、ウッチの工業時代の華やかなりし時代を想起できる。
 また、ブウキエンニツァ・ストリートと平行して通る、商店などが立地し、交通量も多いメイン・ストリート的な機能を有するヤラッチャ通りとを結ぶ広場的な回廊を設けた。これによって、ブウキエンニツァ・ストリートへのアクセスが随分と向上した。この広場の名称は、19世紀後半にウッチ市役所の建築家を務め、この通りを最初に設計したヒラリー・マジェウスキーの名前に由来している。また、多くの街路樹が植えられ、花壇やベンチなども設置された。
 今日、ブウキエンニツァ・ストリートは地元住民が散策して楽しむような場所になっている。通りの入り口には、ウッチ市の中心街であるペトロカフスカ通りのようなネオンの横断幕さえ設置されている。通りにはカフェやレストラン、店舗、アート・ギャラリー、美容院までもが立地している。
 歴史的な建物と新しい意匠の建物がほどよく混在して、この通りに独特な個性をもたらしている。

キーワード:

建築保全,アイデンティティ,世界遺産

ブウキエンニツァ通りのリデザインの基本情報:

  • 国/地域:ポーランド共和国
  • 州/県:ウッチ県
  • 市町村:ウッチ市
  • 事業主体:ウッチ市
  • 事業主体の分類:自治体 
  • デザイナー、プランナー:Hilary Majewski(オリジナル)
  • 開業年:2022

ロケーション:

都市の鍼治療としてのポイント:

 ブウキエンニツァ・ストリートはウッチの暗黒面の象徴とも言われていた。そこは売春が横行し、禁止されていたアルコール類のやり取りもされていた。それが、現在では見違えるようになっている。廃屋のような建物は、改修され、カラフルな色にペンキで塗られ、ビフォア・アフターの写真を見ても、同じ場所だとはとても思えない。犯罪の巣窟であった空き地は芝生のある広場となり、ベンチなどが設置されている。通りは小石で舗装され、歩道も綺麗に舗装された。
 ジャイメ・レルネル氏は生前、よく「問題は解決だ(A problem is a solution)」と言っていた。問題を放置しておけば問題のままであるが、その問題に取り組めば、それは解決に繋がる。ブウキエンニツァ・ストリートはウッチ市にとって大きな問題であった。それは、大通りから一本入った小道であり、いかがわしい商売をするのには勝手がよかったのであろう。ブウキエンニツァ・ストリート通りをグーグルで調べると、犯罪者が取り締まれたり、天井に隠していた酒が見つかって店主が慌てていたり、全裸の女性が連行されたりしている写真が多くみつかる。まさに犯罪の巣窟のような場所であった。
 社会主義国家が崩壊したことなどで、そのような悪所の需要がなくなり(ある意味で露骨にそのような商売ができるようになったともいえる)、ブウキエンニツァ・ストリートで行われた商売も衰退をし、さらに人口減少によって住宅需要も減る。ウッチの建築物の特徴としては、19世紀から20世紀の初頭のアール・ヌーヴォーの建物が多く建てられていることである。これは中世、ルネッサンスのスタイルが多かった他のポーランドの都市とは一線を画す。ブウキエンニツァ・ストリートも例外ではない。これらの建物は長い間、放っておかれ、2010年頃の写真もウッチ市の資料等でみることができるが、スラムのような酷い状態であった。
 それを一挙に改修するようにしたのである。しかも、地域暖房を新たに導入したり、ネット回線を敷いたりするなどして、建物の価値を大幅に高めるようにした。また、通りもボンネルフとして人間優先とし、街路樹や花壇などを設置し、公共空間としての魅力を大幅に向上するようにした。それまでのマイナスの側面を一挙にプラスの側面に変える、オセロに例えれば、黒駒を一挙に白駒にするような斬新な政策を採ったのである。まさにレルネル氏がいう「問題は解決である」を地でいったような政策である。
 と、ここまで書いて思い出したのだが、ウッチ市はレルネル氏の両親の出身地である。ウッチ市にはレルネル氏的な思考をする人達が他の地域に比べて多くいるのかもしれない。

【参考資料】
Tomasz Jabłoński “Express ilustrowany”の記事(14 października 2023, 18:18)
https://expressilustrowany.pl/oto-jedna-z-najbardziej-znanych-ulic-w-lodzi-ulica-wlokiennicza-kiedys-ulica-kamienna-przez-lata-strach-bylo-tamtedy-chodzic/ar/c1-17644293
Finding Polandのウェブサイト
https://findingpoland.com/regeneration-lodz-city-centre/

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