152 森の墓地(スコーグシュルコゴーデン) (スウェーデン王国)

152 森の墓地(スコーグシュルコゴーデン)

152 森の墓地(スコーグシュルコゴーデン)
152 森の墓地(スコーグシュルコゴーデン)
152 森の墓地(スコーグシュルコゴーデン)

152 森の墓地(スコーグシュルコゴーデン)
152 森の墓地(スコーグシュルコゴーデン)
152 森の墓地(スコーグシュルコゴーデン)

ストーリー:

 森の墓地は、ストックホルムの南の郊外にある共同墓地である。それは、北欧近代建築の礎を築いたエーリック・グンナール・アスプルンドが30歳の時に、友人であるシーグルド・レヴェレンツと共同で応募した「ストックホルム南墓地国際コンペ」で一等を獲得してつくられた作品だ。これは実質的に彼のメジャー・デビュー作品となる。彼は、その後、1920年に「森の礼拝堂」、1940年には「森の火葬場」を設計し、後者はアスプルンドの最後の作品となった。アスプルンドの死後は、一時はこのプロジェクトから手を引かされたレヴェレンツが、自身が亡くなるまでその仕事を引き継ぐ。
 その後、これらの一群の作品群は「森の墓地」と呼ばれるようになり、1994年にはユネスコの世界遺産に登録される。これは20世紀以降の建築としては、最初の世界遺産登録になった。
 このように、スウェーデンを代表するアスプルンドが生涯をかけて手がけたのが、この「森の墓地」であり、採石場跡地につくられたこの墓地は建築的要素と植物とを見事に融和させ、その地形の特徴を見事にランドスケープ・デザインにて表現しつつも、墓地としての役割をしっかりと果たしてもいる。
 それは、同時代に設計された他の墓地の多くがイギリス庭園を彷彿させるようなものであったのに対し、この墓地はより原始的な荘厳さのような空間をつくりあげていた。森の中を移動するための歩道の空間への干渉は最低限に抑えられ、デザインも人工的な要素を極力排除したものとなった。そのデザインは洗練されたものではないが、より中世のノルディック地方の墓地を彷彿させるようなものであった。
 それは、環境と調和する建築というコンセプトを具体化した事例としては極めて秀でたものであり、そこにある建築物は周囲の環境がなければ、尊厳さを含めたその意味の多くを失うであろう。そして、アスプルンドとレヴェレンツが成功した美術・建築的な価値と自然環境との見事な統合は、その後の世界中の墓地デザインに大きな影響を与えることになる。
 森の墓地は、それを設計した建築家が亡くなった後でも、その意匠、形態、材料、機能などをしっかりと維持させることで、そのオーセンティシティを保全している。植物も同じ植生を維持させることで、その空間の特性を維持できるように留意をしている。現代的な墓地に対する需要に対応するうえでは、十二分にその影響を配慮することで、その影響を最小限に抑えるようにもしている。
 その面積は108ヘクタール。森の墓地は、歴史環境法(1988)、埋葬法(1990)、建築計画法(1987)、環境規定(1998)などによって保全されている。それは、ストックホルム市の共同墓地部によって所有され、管理されており、その管理費と維持費は埋葬税によって賄われている。また、ビジターセンターやガイド・ツアーなどの管理運営は、ストックホルム市立博物館が担っている。

キーワード:

墓地, 都市公園, グンナール・アスプルンド, 世界遺産

森の墓地(スコーグシュルコゴーデン) の基本情報:

  • 国/地域:スウェーデン王国
  • 州/県:ストックホルム県
  • 市町村:ストックホルム市
  • 事業主体:ストックホルム市
  • 事業主体の分類:自治体 
  • デザイナー、プランナー:エーリック・グンナール・アスプルンド、シーグルド・レヴェレンツ
  • 開業年:1918年

ロケーション:

都市の鍼治療としてのポイント:

 私の好きな著書に『空間体験』という建築学会が出した本がある。そこに、この「森の墓地」が紹介されているのだが、まさに、この森の墓地は心が洗われるような空間体験をすることができる。
 「森の墓地」はそのシンボル性の高さから入り口から入った十字架の写真がよく紹介されているが、空間体験的な真骨頂は、森の中の墓地群であろう。そこは、建築の流行などというものを超越した、人は生まれれば死ぬ、という不変的事実を受け入れる場所としての墓地を具体化させたこと、特に北欧人にとって精神的な拠り所でもある「森」へ再び戻るという深層意識を空間的に表現した、まさに聖なるランドスケープである。人もまさに環境の一要素であるということが自覚され、またそれは死への恐怖を安らげるような安心感をも与えてくれる。この墓地は、これを設計したアスプルンドはもちろんだが、ハリウッド映画の伝説的なスターであるグレタ・ガルボも埋葬されていることで知られるが、このような墓地であれば魂も安らげるのではないかと思わされる。その自然と見事に共存したかのような空間設計は、死を運命として受け入れさせるようである。それは北欧人ではないが、やはり森がその文化形成に重要な役割を担った日本人にも共振するところが多いランドスケープではないだろうか。
 また、初めて火葬を行うことになった墓地ということで、その親族や友人にとっては極めてプライバシーを優先したい行事において、火葬場において他者と出会わないような動線計画なども配慮したうえで設計がされている。そこからは、設計者の他者への思いやりという情が伺える。
 建築家の堀部安嗣は「森の墓地」を著書『建築を気持ちで考える』にて、次のように評している。「北欧の人々にとって森は神聖な場所で、アスプルンドが設計した墓地も森の中に墓が並びます。森の空気に包まれながら、森に差し込む光に守られながら、故人は静かに眠ります」(p.29)。
 堀部が指摘するように、森の墓地に流れる静謐な空気は、死を意識させつつも生きているものに安らぎを与えてくれるということをこの場に立つと感じることができる。そして、それは都市という命でさえ物質的、デジタルに捉えるような硬直なシステムを、再び生命的なものへと回帰させる、まさに素晴らしい「都市の鍼治療」であると考えられる。

【参考資料】堀部安嗣『建築を気持ちで考える』
【参考ウェブサイト】世界遺産のHP(http://whc.unesco.org/en/list/558/)

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・ ボストン・コモン、ボストン(マサチューセッツ州、アメリカ合衆国)
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