209 ノルドシュテーン・パーク(ドイツ連邦共和国)

209 ノルドシュテーン・パーク

209 ノルドシュテーン・パーク
209 ノルドシュテーン・パーク
209 ノルドシュテーン・パーク

209 ノルドシュテーン・パーク
209 ノルドシュテーン・パーク
209 ノルドシュテーン・パーク

ストーリー:

 ノルドシュテーン・パークはルール地方のゲルゼンキルヘン市にある公園である。それは、1993年まで操業していたツェヒェ・ノルドシュテーン炭鉱跡地につくられた。この炭鉱が操業を中止する以前の1990年にゲルゼンキルヘン市は、この場所を会場とした連邦庭園博覧会を1997年に開催する申請を提出していた。さらに、1989年からルール地方を対象としたIBAエムシャー・パークが10年の期間で実施されていたこともあり、同炭鉱が閉鎖する1993年に、炭鉱の建物をどのように活用すべきかのコンペを実施することにした。炭鉱がまだ操業している時点で、その後の利活用について計画的に検討していたのである。
 連邦庭園博覧会を開催して、都市基盤を整備し、その都市再生のスプリング・ボードとして利用するというのは、ドイツの都市計画の十八番である。ノルドシュテーン炭鉱は土壌汚染や水質汚染などが激しかったので、それらを浄化させるためには、相当の投資が必要であった。連邦庭園博覧会はゲルゼンキルヘン市にとっては喉から手が出るほど実現させたいイベントであったのだ。しかし、庭園博覧会を開催し、土壌汚染や水質汚染の問題が解消できても、その後、その跡地をどのように活用するか、その将来指針を策定することが必要である。それをゲルゼンキルヘン市は、IBAエムシャー・パークを活用し、そのコンペを実施することで対応することにした。その結果、庭園博覧会後も建物は保全され、観光そしてビジネスとして利活用されることが決定した。
 また、ノルドシュテーン炭鉱が操業していた時、ここはゲルゼンキルフェン市を物理的に大きく二分させるような障害物であった。さらに、この炭鉱に沿って東西に流れていたエムシャー川とライン・ヘルネ運河は、その空間的分断を強化することとなっていた。そのため、炭鉱が公園へとその利用が変わることで、それまで分断させていたこの場所が、むしろ統合させるような役割を担うことが期待され、実際のデザインでもそれが実現できることが考慮された。さらには、ノルドシュテーン炭鉱がシンプルで機能的な建築物であったので、それをデザイン・モチーフとするべきだとの判断もなされた。具体的には、視覚が広がるように真っ直ぐな直線を用い、明確で幾何学的な空間構造とするように設計された。また、エムシャー川、ライン・ヘルネ運河という物理的障壁を解消するために新たに5つの橋が架けられた。これらの橋は、またこの公園のランドマークとしても人々に印象づけられるような個性ある意匠のものとなっている。
 ノルドシュテーン炭鉱はノルトラインヴェストファーレン州から、その運営費に関する補助金をも受けており、人口減少に悩むゲルゼンキルヘン市に新たな価値を提供することが期待されているプロジェクトとして位置づけられている。

キーワード:

産業遺産, 世界遺産, アイデンティティ, 連邦庭園博覧会, IBAエムシャーパーク

ノルドシュテーン・パークの基本情報:

  • 国/地域:ドイツ連邦共和国
  • 州/県:ノルトラインヴェストファーレン州
  • 市町村:ゲルゼンキルヒェン市
  • 事業主体:ゲルゼンキルヘン市、Nordsternpark Gesellschaft für Immobilienentwicklung und Liegenschaftsverwertung mnbH(ノルドシ
  • 事業主体の分類:自治体 
  • デザイナー、プランナー:Thomas Sieverts(都市計画)、Wedig Pridik (ランドスケープ・アーキテクチャー)等
  • 開業年:1997

ロケーション:

都市の鍼治療としてのポイント:

 「ヨーロッパの工場」といわれたルール地方は1960年代頃から産業構造の転換の影響を受けるようになり、昔の栄華が失われ、大きな地域構造の変換を余儀なくされてきた。そのような状況下、1989年から1999年までの10年間、IBAエムシャー・パークという事業をルール地方全体で展開し、「成長しない持続的開発」というコンセプトのもとに、この地域に新しい「種」を蒔いてきた。それらの試みは、都市の鍼治療的なアプローチのものも多く、このデータベースでも多くを紹介させてもらってきている。
 ゲルゼンキルヘン市は、総じて衰退トレンドにあるルール地方の中でも特に衰退が顕著であった。これは地域全体が縮小していく中、エッセン、ドルトムント、ボーフムといった高速公共交通の利便性が高く、また大学等が立地している都市への集積が進み、ゲルゼンキルヘン市やレクリングハウゼン市など相対的に競争力が低い都市は、ルール地方の中では負け組のような状況に甘んじることとなる。
 そのような中、この100ヘクタールにも及ぶノルドシュテーン炭鉱跡地を公園へと再生することは、ゲルゼンキルヘン市にとって失敗できない事業であった。ノルドシュテーン炭鉱は、それまで雇用や経済的豊かさはもたらしてはいたが、公害の源であり、また空間的にも市を分断していた。その炭鉱がもたらしていた経済的豊かさは失われたが、それと同時に公害はなくなり、公園とすることで、空間的にも分断していた地域を統合させることが可能となった。そして、そのためにIBA(国際建築展)だけでなく、連邦庭園博覧会までをも活用することになった。これは、いわば万博とオリンピックを同時に開催するようなもので、ある意味、非常に贅沢なことではあるが、逆にいえば、それだけゲルゼンキルヘン市がここの事業において失敗は許されないという自覚があったことの裏返しであったのではないかとも推察される。
 果たして、連邦庭園博覧会という起爆剤を用いつつ、それで変容した土地の価値を継続させるような方針をしっかりとIBAのコンペで策定した。「都市の鍼治療」の比喩でいえば、ツボを二つ押さえるような治療法ではあったのだが、現在のノルドシュテーン公園を訪れると、しっかりと二つ押さえただけの成果が得られたのではないかと思われる。特にドイツで最も汚染されていたエムシャー川の畔を歩いたりすると、そう思う。

類似事例:

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009 ツォルフェライン
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