303 トンデムン・デザインプラザ(東大門デザインプラザ)(大韓民国)

303 トンデムン・デザインプラザ(東大門デザインプラザ)

303 トンデムン・デザインプラザ(東大門デザインプラザ)
303 トンデムン・デザインプラザ(東大門デザインプラザ)
303 トンデムン・デザインプラザ(東大門デザインプラザ)

303 トンデムン・デザインプラザ(東大門デザインプラザ)
303 トンデムン・デザインプラザ(東大門デザインプラザ)
303 トンデムン・デザインプラザ(東大門デザインプラザ)

ストーリー:

 トンデムン・デザインプラザは2014年4月にソウルのトンデムン(東大門)運動場跡地につくられたソウルの新しいランドマークである。いかにもザハ・ハディドらしい非線形的なデザインが特徴的な建築である。その総面積は8.5ヘクタールにも及び、それは「アートホール」、「ミュージアム」、「デザインラボ」、「デザインマーケット」、そして「トンデムン歴史文化公園」との5施設から構成される。「アートホール」では国際フォーラムや制作発表会、ファッションショーなどの大型イベントが開催される。「ミュージアム」は、韓国のオリジナルなデザインや世界の先端トレンドを発信する役割を担っている。「デザインラボ」はデザインビジネスの拠点として位置づけられ、そこにはデザイン・ショップも併設されている。そして「デザインマーケット」では、文化体験やショッピングが楽しめる。さらにトンデムン・デザインプラザに隣接して、プラザに先行して2009年に整備された「東大門歴史文化公園」があり、李朝時代の城壁がここにあったことを展示するようなソウルの歴史を理解できる歴史文化テーマ公園といった性格をも有している。現在のソウル、そして将来のソウルの都市イメージを決定づけるような、斬新でいて、しかし、周囲とも調和している印象を与えるランドマークである。
 東大門運動場は、プロ野球の試合などが行われる野球場があり、また隣接した競技場はサッカー場としても使われたこともあり、サッカーの日韓戦も行われたりして、ともに韓国のスポーツを語るうえでは欠かせない重要な場所であった。一時期は老朽化した野球場をドーム球場に建て直すことも検討されたが中止された。
 トンデムン・デザインプラザがつくられた重要な要因として、1994年に導入された韓国の観光特区制度がある。これによって、トンデムン・ファッションタウン観光特区が2002年に指定される。これはソウル市では3番目の観光特区であった。そして、同年、社団法人トンデムン・ファッションタウン観光特区協議会が民間団体として設立される。トンデムンには、外国人観光客が年間300万人も訪れる。これは、この地区がファッション・クラスターとなっているからで、2000年から始まったトンデムン・ファッション・フェスティバルも2007年から大規模イベント化する。そのような中、東大門運動場の再開発を検討するうえで、近くにある東大門市場をアパレル関係の巨大卸売りマーケットとしてだけでなく、それをファッションより、さらに高次のデザイン拠点としても位置づけようという都市戦略が策定された(富澤、2011)。
 そして、トンデムン・デザインプラザが企画される。ソウル市の支援も受け、2007年に開始、2009年に着工した。これはデザインの一大拠点としての可能性をトンデムンに与えることになる。2010年には「世界デザイン都市サミット」がソウルで開催され、そこで「ソウルデザイン都市宣言」がなされる。このように、トンデムン・デザインプラザは、世界の都市間競争に勝ち残り、ファッション産業を基幹産業として位置づけ、さらには東大門市場を中心とする地区をデザインと観光の戦略的地域にするための一大プロジェクトとして位置づけられたのである(富澤、2011)。
 2012年に竣工する予定であったトンデムン・デザインプラザであるが開業したのは2014年3月であった。ザハ・ハディドの奇抜ではあるが、圧倒的な存在感を纏う建築と、そこに入ったテナント群、博物館、イベント等の魅力に惹かれ、オープン以降、一日3万人が訪れる集客施設となっている。

キーワード:

ザハ・ハディド,アイデンティティ,ランドマーク,都市再開発

トンデムン・デザインプラザ(東大門デザインプラザ)の基本情報:

  • 国/地域:大韓民国
  • 州/県:ソウル特別市
  • 市町村:中区
  • 事業主体:ソウル市役所
  • 事業主体の分類:自治体 
  • デザイナー、プランナー:ザハ・ハディド
  • 開業年:2014

ロケーション:

都市の鍼治療としてのポイント:

 ソウルの繊維産業のクラスターである東大門市場。そこに隣接して、東大門運動場はあった。周囲にファッション産業が集積していることや、都市におけるポジショニング的には東京でいえば国立競技場+神宮球場という感じである。もちろん、国立競技場の周辺のファッション産業は裏原宿に代表されるように洗練されたものであるのに対して、東大門市場は日暮里周辺のような下町的なファッション産業という違いがあるが、ともにこの10年のうちの再開発をしたという点、さらには東京も当初はザハ・ハディドがその跡地を設計することになっていた点、といった共通項があることは興味深い。
 さて、しかし、現時点ではこの二つのスポーツ競技場のその後の運命は大きく転換した。一つは、そのまま国立競技場として同じ機能を維持した。そして、一つはザハ・ハディドが設計した建築が実現されたが、もう一つは実現されなかった。国立競技場跡地に、また新たに国立競技場をつくる、という選択をしたことが間違っているとは思わない。しかし、本当にあの場所においての最適解が国立競技場であるかは検討の余地があるかもしれない。原宿はファッション産業としての創造クラスターとして、東京だけでなく日本のファッション産業をリードしてきた。その勢いが大きく減速し、また、若手に新たな創造の機会を与えることが難しくなっていることが指摘されている。国立競技場跡地のような広大な敷地は、地価が高騰しているあの一帯においては、この街の100年スパンでの可能性を大きく変革させるようなプロジェクトを具体化する千載一遇のチャンスを提供できたのである。一方のソウルは、そのような機会を見事、提供することに成功した。 
 東大門周辺のイメージは、トンデムン・デザインプラザによって見事に刷新された。庶民的で下町的、東アジア的な同地区のイメージは、尖った先端的で挑戦的なものへと大きく変換させた。これは、ザハ・ハディドの建築がもたらす魔法のような効果である。アメリカの著名な都市社会学者であるシャロン・ズーキン(『Landscape of Power』、『Loft Living』等の著作で知られる。『都市はなぜ魂を失ったか』は邦訳されている)は都市のオーセンティシティは、その都市で時間とともに蓄積されてきた伝統的な歴史的資源、もしくは最先端の価値のどちらかでつくられる、と述べている(ハイライフ研究所:https://www.hilife.or.jp/6689/)。トンデムン・デザインプラザは、まさに後者の典型的な事例であり、その効果は現地を訪れると一目瞭然である。また、隣接する東大門歴史文化公園は、ソウルという都市の歴史的アイデンティティに触れる施設であり、これは前者の典型的な事例である。この二つが一箇所に共存する、ということで、東大門運動公園はソウルにとって過去と未来の「魂」を繋ぐような、極めて重要な場所へと生まれ変わったのである。
 ソウルにおいても、ザハ・ハディドが提案したデザインは賛否両論で、反対意見も多かった。特に「この地区のキャラクターにそぐわない」といった強い意見があったが、ザハは「そんなに後生大事にしなくてはいけないようなキャラクターではないだろう」と反論したそうだ。実際、完成したトンデムン・デザインプラザは、そのデザインの斬新さにもかかわらず、周囲と見事に溶け込んでいて違和感を覚えない。
 天才建築家の天才性を見事に活かした素晴らしいプロジェクトであり、鍼治療にしては鍼が随分と太いが、その費用対効果という観点から「都市の鍼治療」事例に加えたい。
 
【参考資料】
ソウル・ナビの資料
https://www.seoulnavi.com/miru/2363/

富澤修身、「ソウル東大門ファッション関連複合大集積の適応的展開:創造的展開に受かって」、『経営研究』62(2)号、大阪市立大学経営学会、2011

類似事例:

009 ツォルフェライン
055 ビルバオ・グッゲンハイム美術館
081 フンデルトヴァッサー・ハウス
085 マグデブルクの「緑の砦」
158 ベルリン市立ユダヤ博物館
・ グッゲンハイム美術館、ニューヨーク(ニューヨーク州、アメリカ合衆国)
・ 科学博物館、ヴォルフスブルク(ドイツ)
・ サグラダ・ファミリア、バルセロナ(スペイン)
・ エルベ・フィルハーモニー、ハンブルグ(ドイツ
・ クライスラー・ビル、ニューヨーク(ニューヨーク州、アメリカ合衆国)
・ エッフェル塔、パリ(フランス)
・ デンバー美術館、デンバー(コロラド州、アメリカ合衆国)
・ 舞州工場、大阪市(大阪)
・ 踊るビル、プラハ(チェコ)
・ ウォルト・ディズニー・コンサート・ホール、ロスアンジェルス(カリフォルニア州、アメリカ合衆国)
・ オンタリオ美術館、オンタリオ(カナダ)
・ スペース・ニードル、シアトル(ワシントン州、アメリカ合衆国)
・ EPM博物館、シアトル(ワシントン州、アメリカ合衆国)