051 ホートン・プラザ(アメリカ合衆国)

051 ホートン・プラザ

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051 ホートン・プラザ

051 ホートン・プラザ
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051 ホートン・プラザ

ストーリー:

 サンディエゴのダウンタウンに位置するホートン・プラザは、サンディエゴ市の再開発局の業務を代行する都心部開発公社(Center City Development Corporation)と民間デベロッパーのハーン社(Ernest W. Hahn, Inc.)との官民パートシップによって実現されたプロジェクトである。4.6ヘクタールの複合用途開発は、4つの百貨店(マービンズ、ロビンソンズ、ブロードウェイ、ノードストロム)と140 の専門店からなるショッピング機能だけでなく、オフィス、ホテル、娯楽そして文化的アメニティといった従来の中心市街地が持っているものをすべて押し込んだようなものとなった。
 このような大規模な複合商業施設を中心市街地に整備した背景には、空洞化して失業者がたむろしていた空間を市民に取り戻すという理由があった。ホートン・プラザは、百貨店形式のテナントを導入しつつも、フェスティバル・マーケットの形式の商業空間を演出し、劇場などとも複合化させた米国における最初の事例である。その結果、衰退していたダウンタウンに本格的な百貨店形式の商業を呼び戻し、多くの人を再び都心へと集め、ダウンタウンには新たに住宅、公共交通、コンベンション・センターが立地し失われた賑わいを取り戻すことに成功した。初年度に900万人が来れば大成功だという予測を大きく上回り、3000万人がこの新しい複合商業施設を訪れることになる。
 その特徴としては、見事に協働した官民パートナーシップと、建築家ジョン・ジャーディによる素晴らしい商業空間の創出の二点が挙げられる。特に後者に関しては、建設当時、ニューヨーク・タイムズの記者が「ボストンのファニュエルホール・マーケットプレイス以来の快挙」と賞賛したり、ウォール・ストリート・ジャーナルの記者は「次世代のショッピング・センターの先駆者」として高く評価したりした。
 ジョン・ジャーディにとっても、設計事務所を独立させて最初に手掛けた商業施設であった。初めての都心における本格的な商業施設のプロジェクトでもあったが、そこでジャーディは従来のショッピング・モールのデザインの常識を破るまったく新しい空間をつくることとした。彼は、ショッピングという場所にエンタテインメント性を加えるだけでなく、空間的にもそれまでの直線による空間把握をしやすいデザインを根本から覆し、曲線を多用して方向感覚をむしろ失わせるようにしたり、屋根を取り払ったりして、ショッピングする空間を楽しむという新たな価値観をつくりだすことに成功した。ショッピング・モールを再定義した建築家の最初の代表的な作品であり、それはサンディエゴという大都市を大きく変革させる力をも有していたのと同時に、ジョン・ジャーディを世界的に有名にすることになった。

キーワード:

都心再開発,官民パートナーシップ,集客施設,ジョン・ジャーディ,アイデンティティ,都市観光

ホートン・プラザの基本情報:

  • 国/地域:アメリカ合衆国
  • 州/県:カリフォルニア州
  • 市町村:サンディエゴ市
  • 事業主体:サンディエゴ都心部開発公社(Center City Development Corporation)、ハーン社(Ernest W. Hahn, Inc.)
  • 事業主体の分類:自治体 民間
  • デザイナー、プランナー:Jon Jerde (初期段階はFrank Hope)
  • 開業年:1985

ロケーション:

都市の鍼治療としてのポイント:

 日本の都市デザインの大家、大阪大学の鳴海邦硯元教授をして「ショッピング・モールのデザインの達人」と言わしめるジョン・ジャーディが設計した、このホートン・プラザ。ショッピング・モールという買い物以外には魅力がない都市空間を、ものの見事に散策が楽しい空間へとデザインの力で変貌させることに成功させた。
 デザインの味噌は、三日月型に開いた歩行者空間にある。この三日月状の円弧に沿って歩くとシークエンスが変化してき、多様な空間性をそこに感じることができる。単調な直線と円とでつくられていた今までのショッピング・モールからすると、それは別世界のような斬新な空間であった。さらには、新たにお店を始めたい若者を募って、ワゴンショップでの営業の機会も提供したという。
 フリーデン等が著した「Downtown Inc.」においてホートン・プラザは次のように描写されている。
「そのプランは、一方の端から他の端を見通すことができない。モールの幅も従来と違って、10メートルに統一されていなく、床の高さも様々に変化している。それは広域ショッピング・モールの利用者が慣らされていた判断基準をことごとく無視していた」。
 それは、まさにショッピング・モールの常識を覆す空間革命であり、ショッピングに新しい価値を創造することにジョン・ジャーディは成功した。
 ジョン・ジャーディはその後、日本においても福岡のキャナル・シティを筆頭に、川崎のラ・チッタデッラ、大阪のなんばパークスなど多くのショッピング・モールを手がけ、もはやその斬新性を我々は感じなくなってしまった。しかし、このホートン・プラザをつくった当時は、歩いてもつまらないショッピング・モールに見事、空間デザインという「鍼治療」することで、楽しい空間へと変貌させたのである。

類似事例:

027 ギラデリ・スクエア
111 ハッピー・リッツィ・ハウス
128 おかげ横丁
・博多キャナル・シティ、福岡市(福岡)
・なんばパークス、大阪市(大阪)
・川崎ラ・チッタデッラ、川崎市(川崎)
・リバーセンター、サンアントニオ(テキサス州、アメリカ合衆国)
・ファニュエルホール・マーケットプレイス、ボストン(マサチューセッツ州、アメリカ合衆国)
・インナー・ハーバー、ボルティモア(メリーランド州、アメリカ合衆国)
・クリチバ・ショッピング・エスタソン、クリチバ(パラナ州、ブラジル)
・ユニオン・ステーション、セント・ルイス(ミズーリ州、アメリカ合衆国)
・アンダーグランド、アトランタ(ジョージア州、アメリカ合衆国)
・フレモント・ストリート・エクスペリエンス、ラスベガス(ネバダ州、アメリカ合衆国)
・サンタ・モニカ・プレース、サンタモニカ(カリフォルニア州、アメリカ合衆国)