人間を自動車より優先させる。ブラジルのクリチバは人間のための都市づくりを実践する。その考えは、レルネル氏が市長を務めた1期目に実践した、「11月15日通り」の歩行者専用道路化、2期目に実践した道路公園の整備、そして3期目に実践した、より広範囲の道路公園の整備へと綿々と繋がっている。そして、レルネル氏によって敷かれたその方向性は、3期目のレルネル氏から市長のバトンを引き受けたラファエル・グレカ氏になっても変わらなかった。それは、レルネル氏の3期目に環境局長を務めた中村ひとし氏が、グレカ市長下でも同ポジションを務めたからである。これは、グレカ氏が市長選で公約に掲げたことでもあった。
グレカ市長のもとで行なわれた、道路空間を自動車から人へとシフトさせる象徴的なプロジェクトは「9月7日通り(Avenida Sete de Setembro)」の車幅を狭くするという事業であろう。9月7日通りは、大通りであった。都心と西の住宅地とを結ぶ幹線道路として位置づけられていたし、都心から幹線道路の結線点である日本庭園までは、市内で4本しかない骨格軸を構成してもいた。しかし、日本庭園から西の部分は、骨格軸ではなく、それほど交通量はなかった。沿道の土地利用も住宅が中心であり、そのため道路幅を維持することより、その道路空間を自転車道や緑道にした方が、沿道住民や周辺の住民にとってはプラスであると考えたのである。それで、4車線の道路を2車線にし、余った部分を自転車専用道路、そして植栽を施したミニ公園のようなものとした。自動車用の道路空間は10メートルほど狭くなり、これによって、22メートルほどの幅のあった道路が12メートルほどに狭まることとなった。それは、自動車の利便性ではなくて、そこに住んでいる人達の生活環境のクオリティを優先した結果であった。
また、こういうプロジェクトを具体化することで、住民たちが自動車よりも歩行者を優先することによって生じる価値を知ることができる。このプロジェクトを具体化させた当時、環境局長であった中村ひとし氏は次のように語っている。
「クリチバでは、ある意味では道路は公園のためにある。公園がなければ、道路を潰してつくってしまえばいい。まあ、そんなにも極端ではないかもしれませんが、クリチバでは道路が人間より優先されることはありません。」
227 9月7日通りの歩道拡張(ブラジル連邦共和国)
レルネル氏の後を継いだグレカ市長のもとで、クリチバ市は幹線道路の一つであった「9月7日通り(Avenida Sete de Setembro)」の車幅を狭くするという事業を行なった。4車線あった通りは2車線になり、自転車道とミニ公園が生まれた。それは、自動車の利便性ではなくて、そこに住んでいる人達の生活環境のクオリティを優先した結果であった。
9月7日通りの歩道拡張の基本情報
- 国/地域
- ブラジル連邦共和国
- 州/県
- パラナ州
- 市町村
- クリチバ市
- 事業主体
- クリチバ市
- 事業主体の分類
- 自治体
- デザイナー、プランナー
- 中村ひとし
- 開業年
- 1993
ストーリー
地図
都市の鍼治療としてのポイント
この道路を半分にする事業の費用を負担したのは沿道の住民達であった。私ごとで恐縮だが、この中村氏の話を筆者は信じなかった。「中村さんは多くの驚くべきことを市民と一緒になって実施してきた。しかし、道路を半分にする事業を沿道住民が負担する。そんなうまい話があってたまるか」。そして、この半分になった道路を歩いている人達に取材を敢行したのである。
「失礼ですが、この道路沿いにお住まいですか」
「はい、そうです」
「車道を狭めて歩道にする際に、沿道の住民がお金、事業費を出したという話を聞いたのですが、あなたも負担されたのですか」
「負担しました」
え!本当だったのか。
「その際、抵抗はありませんでしたか」
「ここを改善することによって、利益を得るのは沿道住民です。自分の住宅環境がこれだけ向上するのですから、負担するのは当然のことだと思います」
筆者が己の人間的矮小さと、瞬間でも中村氏の話を疑った自分を大いに恥じたことは言うまでもない。そして改めてクリチバ市の「人間中心都市」といった政策を長年、続けてきたことが市民の「公共意識」を高めていくことに結びついたことを理解させられた。
世界に知られるクリチバの華々しいプロジェクトに比べると極めて地味ではあるが、市民参加という手法を採らなくても、その優れた都市政策で市民の都市政策への理解を深め、市民とまさに一体となって問題解決を進めた素晴らしい「都市の鍼治療」事例であると考える。
【参考資料】
服部圭郎著「ブラジルの環境都市を創った日本人: 中村ひとし物語」(未來社)
「失礼ですが、この道路沿いにお住まいですか」
「はい、そうです」
「車道を狭めて歩道にする際に、沿道の住民がお金、事業費を出したという話を聞いたのですが、あなたも負担されたのですか」
「負担しました」
え!本当だったのか。
「その際、抵抗はありませんでしたか」
「ここを改善することによって、利益を得るのは沿道住民です。自分の住宅環境がこれだけ向上するのですから、負担するのは当然のことだと思います」
筆者が己の人間的矮小さと、瞬間でも中村氏の話を疑った自分を大いに恥じたことは言うまでもない。そして改めてクリチバ市の「人間中心都市」といった政策を長年、続けてきたことが市民の「公共意識」を高めていくことに結びついたことを理解させられた。
世界に知られるクリチバの華々しいプロジェクトに比べると極めて地味ではあるが、市民参加という手法を採らなくても、その優れた都市政策で市民の都市政策への理解を深め、市民とまさに一体となって問題解決を進めた素晴らしい「都市の鍼治療」事例であると考える。
【参考資料】
服部圭郎著「ブラジルの環境都市を創った日本人: 中村ひとし物語」(未來社)