クリチバは、人口180万人の南回帰線のそばに位置する標高900メートルの高原都市で、パラナ州の州都である。クリチバは、また都市計画がうまく実現された都市としても知られている。1971年、その後、世界的に知られることになり、また「都市の鍼治療」の著者でもあるジャイメ・レルネル氏が33歳で市長にのなったばかりの頃、クリチバはブラジルでも最も人口が増加している都市の一つであり、自動車による都心の道路の渋滞が深刻な問題となり始めていた。中心道路である11月15日通りも、多くの通過交通が流入し始め、商店街のアメニティや歩行者の安全を損なうようになっていたのである。そこで、ジャイメ・レルネル氏は、都心の顔ともいえる商店街を自動車から解放し、人々に取り戻そうと考えた。
しかし、その考えを商店街の店主達は全員が反対する。自動車が通れなくなると客足が遠のき、売り上げが減ると思ったからだ。レルネル市長は、歩行者専用道路にすれば売り上げも増えるはずだ、と商店街の店主達の説得を試みたが、ブラジルではまだ歩行者天国も歩行者専用道路もなく、商店主はレルネル市長の考えを退けることになる。それでもレルネル市長は、「都心は自動車ではなくて人間のためにあるべきである」という信念のもと、また実際に見れば人々は理解してくれると考え、強攻策に出て、連休中の3日間で2ブロックほどの道路の舗装を剥がし、そのうえに花壇を置き、自動車を通れなくした。1972年5月20日のことである。連休明けに店に戻ってきた店主達は怒髪天をつくかのごとく怒ったが、1ヶ月も経たないうちに、店の売上げは2倍から3倍へと増えることになる。それまで、自動車がひっきりなしに通っていたので店を訪れるのを敬遠していた市民が、また花通りに来るようになったからだ。その結果、11月15日通りで、まだ自動車が通っていた区画の商店主も歩行者専用道路にして欲しいと依頼するまでになり、1キロメートルに及ぶブラジルで最初の歩行者専用空間が出現したのである。
069 花通り(ブラジル連邦共和国)







「都心は自動車ではなくて人間のためにあるべきである」という信念のもと、レルネル市長は連休中の3日間で2ブロックほどの道路の舗装を剥がし、そのうえに花壇を置き、自動車を通れなくした。1972年5月20日のことである。
花通りの基本情報
- 国/地域
- ブラジル連邦共和国
- 州/県
- パラナ州
- 市町村
- クリチバ
- 事業主体
- Curitiba City
- 事業主体の分類
- 自治体
- デザイナー、プランナー
- ジャイメ・レルネル
- 開業年
- 1972年
ストーリー
地図
都市の鍼治療としてのポイント
11月15日通りは、アスファルトを剥がした後、花壇を置いたこともあり「花通り」と以後、呼ばれることになる。花通りの成功は、その後、市内の道路空間から自動車を排除して、人間に取り戻すという事業を推進させることになる。例えば、都心にある公設市場のそばの9月7日通りの道路空間は自動車が通れなくなり、公園になった。そして、都心から北東にいったところにあるシラー通りの6ブロックでは、道幅を狭めて得られた空間に公園施設などを設けることになった。自動車が行き交っていた道路が、公園になってバスケットボール・コートやフットサルが出来るような広場になった。クリチバ市は、その後「人間都市」と形容されることになるが、そう呼ばれる一つのポイントは、自動車ではなく、人を優先した考えで都市づくりを行ったことにあり、その象徴となったのが、この「花通り」の事業であったのである。
私は「花通り」のエピソードをアメリカの大学院時代の時に講義で聞いて知ることになった。商店主から総スカンを食らったにも関わらず、なぜ当時、市長であったジャイメ・レルネルは、寝首をかくような形で、連休で商店主が休んでいる間隙を突いて、道路の舗装を剥がし、さらに花壇を置いて強引に自動車を排除してしまうような暴挙、というか英断を下すことができたのであろうか。クリチバという都市への興味もあったが、それより、この判断をした人にその理由を聞きたいというのが、私をクリチバに行かせた最大の理由であった。1997年のことである。当時、パラナ州知事であったレルネル氏は私の取材依頼を快く受け入れてくれた。ただし、15分という短い時間という条件であった。そこで、私は自己紹介そこそこに、何を根拠にレルネル市長はこのような判断が出来たのかと問いかけたのだが、彼の答えは「都市計画家としての確信」というものであった。彼が確信して試みたことは、大きな成果を得ることになる。自動車が追い払っていた沿道の商店の売上げは増え、都心部には再び人々が集まり、賑わいをつくりだす空間が出現し、そしてそこはクリチバという都市のシンボルとなった。レルネル氏は私を受け入れてくれたらしく、15分の取材は1時間以上に及んだ。
都心を復活させただけでなく、クリチバを「人間都市」へと変容するきっかけとなった偉大なる「都市の鍼治療」事例である。
私は「花通り」のエピソードをアメリカの大学院時代の時に講義で聞いて知ることになった。商店主から総スカンを食らったにも関わらず、なぜ当時、市長であったジャイメ・レルネルは、寝首をかくような形で、連休で商店主が休んでいる間隙を突いて、道路の舗装を剥がし、さらに花壇を置いて強引に自動車を排除してしまうような暴挙、というか英断を下すことができたのであろうか。クリチバという都市への興味もあったが、それより、この判断をした人にその理由を聞きたいというのが、私をクリチバに行かせた最大の理由であった。1997年のことである。当時、パラナ州知事であったレルネル氏は私の取材依頼を快く受け入れてくれた。ただし、15分という短い時間という条件であった。そこで、私は自己紹介そこそこに、何を根拠にレルネル市長はこのような判断が出来たのかと問いかけたのだが、彼の答えは「都市計画家としての確信」というものであった。彼が確信して試みたことは、大きな成果を得ることになる。自動車が追い払っていた沿道の商店の売上げは増え、都心部には再び人々が集まり、賑わいをつくりだす空間が出現し、そしてそこはクリチバという都市のシンボルとなった。レルネル氏は私を受け入れてくれたらしく、15分の取材は1時間以上に及んだ。
都心を復活させただけでなく、クリチバを「人間都市」へと変容するきっかけとなった偉大なる「都市の鍼治療」事例である。
類似事例
ルア・ダス・フロレス、ブエノス・アイレス(アルゼンチン)
ストロイエ、コペンハーゲン(デンマーク)
ストロイエ、コペンハーゲン(デンマーク)