銀座らしい街並みのために 竹沢えり子氏インタビュー(1)

 今年度の東京生活ジャーナルでは、「まちづくりフィールドレポート」と題し、まちづくりの一線に立っている人々へのインタビューを通して、現代の都市が抱える問題点や今後のあるべき姿についてレポートしていきます。
 今月と来月は、銀座にふさわしい景観や建物デザインの指針となる考え方をまとめた「銀座デザインルール」を取り上げます。現在、銀座地区に新築される建物や屋外広告などの工作物については、そのデザインや色が銀座らしさを損ねないか、このルールに基づいて事前に地元協議会と協議されることになっています。今月は、デザインルールの策定に深く関わられた「銀座街づくり会議」の竹沢えり子氏にルール策定に至るまでの経緯や街の状況についてお話を伺いました。街にふさわしい景観を作っていくためには、どのように考え、街の人々が何をしなければならないのか、その知見が語られています。

銀座フィールドレポート動画(編集局作成)
協議によってデザインが変更された事例







―まず、竹沢さんが銀座にかかわることになった経緯について教えてください。

◇出版社の編集者でした
 私はもともと出版社で単行本や企業広報誌をつくっていた編集者です。編集の仕事で多くの方々と関わりを持ち、そのネットワークの中で、学者やクリエイターの方々と研究機関を作ったんです。それが1990年のことです。当時は企業メセナが盛んで、企業の文化活動的なことも研究テーマのひとつでした。そこで、「都市」や「銀座」というテーマでの仕事をする機会があり、建築史や都市史の先生方に来ていただいて、研究会をやるようになりました。もともと、編集者というのはいわゆるコーディネーター的なところもありますし、成果を本にまとめることができます。私自身、研究者ではありませんので、研究会の取りまとめの仕事をしながら、銀座の方々とお会いするようになりました。今考えると、このことが銀座にかかわることになったきっかけですね。

◇地区計画「銀座ルール」
 銀座地区では、1998年に、銀座地区の最高高さ制限を56メートルとした地区計画「銀座ルール」をつくりました。これは、中央区と銀座通連合会が協議の末、通りごとに容積率、高さ、壁面後退を定めた条例ですが、当時、銀座の人たちの感覚としては、高さ56メートルでも十分高かったんです。また、98年時には、銀座としては規制緩和を求めていました。高さももう少し望んでいたし、容積率ももっとほしかったくらいです。しかし、56mでありながら、1100%というところにおさまったのは、階高を高くすることを望んでいたからです。昔のビルは天井高が低いですが、それは銀座の豊かさを表現しない。階高を高くしてゆとりのある豊かな空間をつくりたい、と。こんな風に98年の時点では、高さ・容積率ともに規制緩和を求めていた一方、超高層建築ということについて、当時まったく想定していませんでした。ですから、そのとき決めた高さ制限56メートルで今後も銀座のまち並みはつくられていくのだと安心しきっていたんです。

◇予想外の超高層建築計画
 ところが、この地区計画においては、総合設計や特定街区の例外事項を認めていたため、2003年になると、その前年に制定された「都市再生特別措置法」に依拠した200メートル近い超高層を含む大規模開発が銀座通りに提案されることになったんです。松坂屋と森ビルの話です。銀座の人たちは例外事項について気がついておらず、たいへん驚きました。他にも大きな開発が出てきており、当時の地区計画「銀座ルール」のままでは、自分たちの知らないところでまちの大きな変化を余儀なくされてしまう可能性がでてきました。そこで、これはもう窓口が必要だということになり、話し合いを進めていたんですね。

◇銀座まちづくりヴィジョン
 並行する話として、1998年に、銀座通連合会の80周年記念事業があり、当時、文化活動委員長だった三枝進さん(ギンザのサヱグサ社長)が「銀座は後ろを振り返るのはやめて、前を向こう、これからのヴィジョンをつくろう」と提案されて、銀座まちづくりヴィジョンをつくることになったんです。銀座をどういうまちにしたいのか、というところがないとダメだよね、という話で。そのために、ワークショップをやったりシンポジウムを開催するなど、行政と地元と学者の方たちとで活動をしていたんです。その中で、銀座全体で銀座をどういうまちにしたいのかということを地元の方や専門家が話し合える場の必要性が高まってきていたんです

◇大きなひとつの流れに
 結果的に、中央区と地区計画について話し合いを進めながら、一方でまちづくりヴィジョンをつくる、その時期が重なっていきました。この二つの流れがうまく合致し、そこに大規模再開発問題がおこったことをきっかけに、銀座街づくり会議をつくろうということになりました。それが、2004年3月のことです。こうして、銀座街づくり会議が発足しました。

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インタビュー風景 (竹沢氏と編集局メンバー)


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