銀座ルールから高さ制限のあり方を考える

■街路幅員に応じた高さ規制
 銀座ルール(地区計画)のポイントは、街路幅員に応じて建物高さを規定していることにある(表1参照)。

表1 銀座ルールによる高さ制限
osawatable1.jpg

 「広い道には高い建物を、狭い道には低い建物を」と言えるこの考え方は、ヒューマンスケールな街路景観を形成するという観点から、非常に理にかなったものと思われる。銀座では、明治5年の銀座大火の後に策定された「銀座煉瓦街計画」において既に、そのような考えに基づいた規定が設けられ、高さの揃った統一的な街並みの形成が意図されていた(表2参照)。いわば、明治期に「銀座ルール」は存在していたのである。

表2 銀座煉瓦街計画における高さ制限
osawa-table2.jpg

 2003年に、松坂屋と森ビルが都市再生特別措置法を活用して高さ170mの大規模再開発計画を公表したとき、地元の人々は56m以上の超高層建築物を望まなかった。これは、街路幅員と建物高さの関係のバランスが、銀座らしさを表す「銀座フィルター」の一つとして継承すべきことを銀座の人々が認識していたことを示している。

■世界の歴史に見る高さ規制
 さらに世界に目を向けても、建物の高さが街路幅員との関係で決められてきた例は少なくない。古代都市のモヘンジョ・ダロやハラッパは、中庭を囲んだ住宅が建てられていたが、建物の高さは街路の幅に比例して、1、2階建てであったという。また、古代ローマでは、紀元64年のローマ大火後、ネロ帝により建物の高さが道路幅員の2倍に制限された。
 ロンドンでも、1666年の大火後、建物の不燃化を義務付ける法律が制定されると同時に、道路幅員に応じて2階、3階、4階と建物の高さが制限された。この他、詳細は割愛するが、パリでも同様な考えの高さ制限が18世紀より存在し、形を変えながらも現在まで引き継がれている。
 これらの高さ制限は、採光・通風等の衛生環境の確保や火災時の避難等の安全性の確保に主眼が置かれていたわけであるが、結果として街路としてのまとまりのある景観がつくりだされてきた。

■D/H
 ところで、古典的な指標ではあるが、道幅(D)と建物の高さ(H)の関係について、建築家の芦原義信は「D/H=1のとき、高さと幅との間に或る均整が存在」すると述べている。現在、銀座通りの幅員は約27mであり、通りに並ぶ建物の高さは概ね30mのものが多い。道幅(D)と高さ(H)の比率であるD/Hは、約27m/30m=0.9となり、この値に近いことが分かる。

 仮に銀座ルールに則って56mの高さ制限一杯まで建物が建ち並んだ場合、D/H=約27m/56m=0.48となり、街路のプロポーションは大きく変化することが予想される。時代を経て新陳代謝していくことが銀座らしさであると竹沢氏も述べているように、現在は大きな過渡期を迎えていると言えるだろう。しかしそのような変化の中にありながらも、街路幅員と建物高さの関係という考え方自体は、時代を超えて継承されているのである。


銀座フィールドレポート動画(編集局作成)
松坂屋とD/H








■街並み形成のための規制のあり方
 現在は、敷地内にオープンスペースを確保した上で高層建築物を配置する「タワー・イン・ザ・パーク型」の建築物が全盛である。足元に公開空地を設けた場合、規定の容積率が割増されるという総合設計制度等を活用したこれらの建物は、往々にして周辺の街並みより高い建物となる。 地域によっては、こうした高層ビルの建設が良好な街並み景観の形成につながっていないケースもあるのではないか。

 また近年、街並み景観の形成を目的の一つとして謳った高さ制限(特に都市計画法に基づく高度地区という制度など)も多く見られる。しかし、結果的に、道路幅員の大きさによらず、用途地域・容積率ごとに一律の数値を採用しているため、紛争予防という最低限の目的にとどまっており、積極的な街並み景観形成には至っていないのが現状である。

 街並み景観の形成が目的であるならば、銀座の地区計画のように街路幅員の大きさに応じて高さ制限値を変えてもよいのではないか。例えば、第一種中高層住居専用地域で容積率200%のエリアでも、街路幅員が12m以上のところは25m、それ以下のところは20mといった方法を取ることが想定される。もしくは、絶対高さは用途地域や容積率に応じて設定するにしても、軒線を制限することで街並み形成を誘導することができるだろう。

 やはり、「街並み形成」を高さ制限の目的に掲げるのであれば、高さと幅員の関係を無視することはできない。「紛争予防」のための高さ制限から、「積極的な街並み形成」のための高さ制限への転換期を迎えている現在、街路との関係から建物の高さを考えていこうとする銀座ルールの試みは、市街地形態のあり方を考える際に重要な示唆を与えるのではないか。

(大澤 昭彦)

<主な参考文献>
藤森照信(2004)『明治の東京計画』岩波現代文庫
A.B.・ガリオン,S・アイスナー(1975)『アーバンパターン』日本評論社
タキトゥス(1981)『年代記―ティベリウス帝からネロ帝へー(下)』岩波書店(岩波文庫)
S・E・ラスムッセン(1987)『ロンドン物語』中央公論美術出版
小林博人(2007)「個性を尊重しつつ全体を考える─銀座街づくりの姿勢」『季刊まちづくり第14号』クッド研究所/学芸出版社
竹沢えり子(2007)「第一次地区計画「銀座ルール」ができるまで」『季刊まちづくり第14号』クッド研究所/学芸出版社
川崎興太(2009)『ローカルルールによる都市再生 東京都中央区のまちづくりの展開と諸相』鹿島出版会
芦原義信(2001)『街並みの美学』岩波書店(岩波現代文庫版)
大澤昭彦(2008)「建物高さの歴史的変遷その1 ~日本における建物高さや高層化について~」『土地総合研究16(2)』財団法人土地総合研究所
大澤昭彦(2009)「建物高さの歴史的変遷その2 ~海外における建物高さや高層化について~」『土地総合研究17(3)』財団法人土地総合研究所(2009年夏発行予定)

comments

comment form

(東京生活ジャーナル にはじめてコメントされる場合、不適切なコメントを防止するため、掲載前に管理者が内容を確認しています。適切なコメントと判断した場合コメントは直ちに表示されますので、再度コメントを投稿する必要はありません。)

comment form