豊洲の価値をはかる(5)再開発がもたらすもの-1

リセットの価値、記憶の価値
 ゆりかもめの寸断されたレールを見てここが東京湾岸の終着かと実感する。
 豊洲は1930年代前半に関東大震災の瓦礫処理を目的とした埋め立てを完了し、以後、工業地域として成長した。しかし現在は、工業地域だった雰囲気は感じられない。新たなタワーマンションが建設され、都心に最も近いベッドタウンを形成しつつある。かつてから存する公団のアパートの地域には工業地にある集合住宅の匂いが感じられるが、進行中の再開発は過去からの完全なるリセットとなることは確実である。不動産広告もリセットをイメージさせることに終始し、コンセプトとして「自然」、「子育て」などの郊外的キーワードを用いている。都心エリアでありながらリゾート性を持ち、かつ安全で…。土地の価値に縛られる農耕民族・日本人にとって、埋め立て地や工業地域の記憶はマイナスでしかないのだろうか。
 さらにトドメが、負となる可能性を持つ過去を賛美することなのかもしれない。ららぽーとの舟形の形状や敷地内外部空間におけるドック跡の活用。アートという名の下に豊洲中に散りばめられる造船所にまつわるオブジェたち。痛々しくもあるそのような努力によってリセットプロセスは完了する。こうして東京の再開発地域を訪れると等しく感じる薄っぺらな新しさが作られているのだが、少々無作為に立ち上がるタワーマンションを見るにつけ、これが新しい記憶の種となるのか不安を感じる。

 日本人は、明治維新、太平洋戦争後と概念のリセットには長けている民族であるが、まさか、ファミコン世代の設計者や開発者はゲーム感覚で飽きたらリセットすればよいと思っていやしないか。開発規模が大きければ未来像への責任感のようなものを持つと思うのだが、大規模なリセットによって始まったこの街の未来像の責任の所在が不明瞭であるのが残念である。
 公団14階からの眺めは素晴らしいが、運河や工業地帯に対する負の意識が、今見ると理解に苦しむ配置構成となり、その隣の新築マンションは現在の価値観にあった方向を向いている。結局30年前から本質に変化はなく、再びリセットの憂き目にあうことは容易に想像できてしまう。
kt1.jpg
港湾施設と新設の高層マンション
kt2.jpg
アートとしての碇

(川上正倫)