あかりで何を照らすのか 角館政英氏インタビュー(1)

 今回は、「光のまちづくり」を提唱されている照明家の角館政英氏にお話を伺いしました。角館氏は従来の画一的な街路灯のあり方に疑問を呈し、人々の生活に根ざした親しみのある照明を追及するため、住民を交えた照明実験ワークショップを行うなど全国各地で精力的に活動されています。
 あるべき光環境とはどういうものなのか、それが実現することによって物理的な環境だけでなく、住民の気持ちがどのように変化していくのかなど、「光のまちづくり」の意義について語っていただきました。
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「光のまちづくり」事例(左:横浜元町、右:岩手県大野村)


角館政英氏プロフィール
照明家、一級建築士、博士(工学)
ぼんぼり光環境計画代表取締役
日本大学理工学部建築学科卒業、同大学院建築学専攻修士課程修了、2009年博士(工学)取得。
TLヤマギワ研究所、ライティングプランナーズアソシエーツ(LPA)を経てぼんぼり光環境計画設立。
金沢美術工芸大学非常勤講師、武蔵野美術大学非常勤講師、関東学院大学非常勤講師など。
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― まずはじめに、角館さんの考えるあるべき光環境とはどのようなものかを教えてください。

◇ 誰のための灯りか
 下の写真は、銚子駅前のシンボル通りです。今から20年ほど前のバブル期に、国から地方に潤沢な予算が組まれていた時期がありました。その中で駅前活性化のために、予算が道路や街路灯の整備に充てられていたんです。銚子もその一つの例です。この写真を見ていただくと、道路や横断歩道が石で張り分けられていること、街路灯がオリジナルでデザインされたものだとおわかりになると思います。デザイナーの方が、警察の協議など頑張ってやったものだと思うんです。ところが、この写真を撮ったのが冬の18時。商店街は閉まっており、誰も歩いていない。電車で駅に着いた人はどうしているのかというと、車で迎えがくるという典型的な地方の街なんです。では、この光環境というのは、一体誰のためなのか。この問いに対して、今、これに答えられる人はいないと思うのです。

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銚子駅前シンボル通りの夜間景観


◇ 街路灯が照らすもの
 下の写真は、パリのシャンゼリゼ通りです。凱旋門に向かって少し傾斜がかっている非常に特徴的なストリートです。下の写真の右側の図のように、道に対して直線に等間隔に同じ街路灯が並んでいて、この配列のルールがそのまま夜間の景観として現れてくるわけです。つまり、等間隔に並んだ光のラインが浮かんで見える。道が目立っているんですね。では実際、この通りの昼間の様子はどうなっているのかというと、幅20メートルぐらいの歩道沿いにカフェやブティックがあり、非常にアクティビティーが高く、賑わっている。しかし、こういった街の様子をあかりは照らしていない。これは、照明の本来あるべき姿ではないと思うんです。

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左:シャンゼリゼ通りの夜間景観、右:街路灯配置イメージ

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左:シャンゼリゼ通り、右:シャンゼリゼ通りに面したカフェや店など

 日本の多くの街でも、道路に沿って照明が等間隔に設置されているため、道路だけ目立ちます。その結果、どの町でも似通った雰囲気となり、街のもつ個性・魅力が見えてきません。


◇ 街並みから感じられる人々の生活
 下の写真はベニスの裏通りです。こういうヨーロッパの古い街並みというのは石の建築で道幅が狭い。街路灯は道につけられないので、みんなで建物につけることになります。街路灯は自分の建物のファサードの真ん中ではなくて各コーナーにつけるんです。ここでは、光の配列のルールが、先ほどのシャンゼリゼ通りのような道路の法則に従っておらず、街並みの法則に従った光の配置となっているのです。だから、結果として街が目立っている。ヨーロッパの街の多くでは、照明が建物に沿って設置されているため、街並みがよくわかります。そこから、その街らしさや人の生活がにじみ出て、親しみのある街路空間となっています。

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左:ベニスの夜間景観、右:街路灯配置イメージ

 下の写真はベトナムの市場です。裸電球が並んでいて、活気があって賑わいがある。電球はとても値段が安いですよね。先ほどの例の銚子駅前は、膨大な予算を使ってインフラを整備したのにも関わらず全く活気も賑わいも感じられないのはどういうことか。こちらはこんなに活気があるではないか。実はこういった点からも、光の使いかたが色々とあるのではないかと考えられるんです。大事なのは、街並みが目に映ることによって感じられる「人々の生活」ではないかと思うのです。

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ベトナムの市場

 

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