1年間の総括として 街の価値とルールのあり方

編集局 大澤昭彦

 八潮のまちづくりに関わる曽我部氏は「一般的な景観ルールのような規定」や「最低基準」を定めても街は良くならないと述べている。
 確かに、最低限のルールによるネガティブチェック的な規制は、建築紛争を予防し、最悪の事態から街を守る防波堤にはなるが、街を積極的に良い方向への導く推進力を持たない。

 本来、ルールとは、目指すべき街の姿や価値を実現するための手段である。
 しかし、街の将来像を決めることは容易ではないために、目指すべき街のビジョンが共有されないままにルールが作られている都市が少なくない。守るべき景観があるわけではない一般的な市街地においてはなおさらである。
 その結果、ルールの内容は緩やかなものとなり、最低限の紛争予防にすら寄与しないルールがつくられ、運用されることになる。

 例えば、高層マンションを巡る建築紛争を見ると、周辺住民は「現状のルールは緩い」と言い、事業者は「規制の範囲内であり合法である」と主張する。
それぞれの立場からすれば、それぞれの意見は正しい。だからすれ違いになる。
 問題は、ルールが不合理であることなのだが、紛争の結果残るのは、現状のルールに対する不信感のみである。
 不合理なルールに従ってつくられる建物は、街に貢献せず、ますます街の将来像が描きにくくなるという悪循環に陥ってしまう

 それでは、ルールの前提となる街の姿や価値を共有するためにはどうすればよいのか。
 八潮の場合は、住宅モデルプロジェクトをはじめとする取り組みが、街の価値に対する気づきをもたらし、建物を作る際の規範やルールの形成へとつなげていこうとしている。
 また、銀座ではデザインルールに基づく個別物件の協議を通じて、銀座にふさわしい建物の姿を模索している。デザインルールはあくまで出発点であり、個々の協議の積み重ねを得て、街の将来像が具体化し、それに合わせてデザインルールも進化していくことになる。

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八潮街並みづくり100年運動における様々なプロジェクト

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夜も賑やかな銀座4丁目交差点

 これらの事例からわかることは、街の将来像という漠然とした画を描こうとしているのではなく、具体的な設計やデザインを通じて、街の規範や拠り所を探ろうとしている点である。
 将来像(目的)がルール(手段)のあり方を規定するという方向だけではなく、ルールの運用(もしくは試行的なモデルの作成)を通じて、はじめて自分たちが望む街の姿が浮かび上がってくることもある。
 まずは現状のルールが不十分であり、不合理であることを知ること。そこからでしか、地に足のついた街の価値や規範を共有することはできないのではないか。

写真提供(八潮):神奈川大学曽我部昌史研究室