1年間の総括として 都市の世代間意思伝達

編集局 川上正倫

都市の変化をどう考えるか

 最近中国上海を頻繁に訪れる機会があり、なにかしらのエネルギーに押されて都市がめまぐるしく変化していく様に驚嘆させられている。まさに「あっと言う間」に変化していく様子を眺めているとそこには異議を唱える隙すらなさそうである。実際、中国の建築家と話をすると、価値を問い直す間もなく、政治的な意向や商業上の思惑による大規模開発によって古い街が廃棄され、生まれ変わっているのだという。ただ、その状況には、おそらく50年前の日本にもあったであろう、飛躍・進歩への意思があり、都市問題としては必ずしも「改悪」とは限らない。そしてあまりのスピードの早さに移行に伴う新旧共存のストレスもほぼ無関係といえる。そんな中で新しく上海に入ってきた人々にとっては、おそらくそこが上海の原風景のスタートなるのだろう。そう思うと、ふとまさしく今年の万博の標語にもなっている「better city better life」に対する上海の決定をどのように昔の上海を知らない新入者に伝えるのかが気になってしまった。検討なき新しき様式の導入が「昔はよかった」という後悔を引き起こすこともなく、都市の歴史が書き換えられる非常にデジタルな状況といえる。

 以前オランダのランドスケープアーキテクトが手がけたある都市計画について取材をした際にも同じことが気になったことがあった。担当者に、デザインを維持するルールはあるか?デザインの意図を理解していない人が何をするか心配ではないか?と尋ねたところ、ルールは不要、むしろ変化は望ましいことだとの回答だった。完成直後は緑が少なく居住環境として批判があったが、住民が自らプランターや植木鉢を置くことで緑化に励み、そのような声も聞かれなくなったという。デザインや計画には限界があり、住民が需要にあわせてアレンジしていけばよいと考えている、と変化を前向きに捉えていた。デザインは初期の意思を伝える手段であり、設定されたデザイン上のルールは、一からつくる新しい街に対して昔の(歴史がある)街と論理的・イメージ的に連続性をもたせることが目的で、歴史が始まればデザイナーの手から離れてその街自らの問題だ、と住民にアナログに引き継いでいくことを目指している。


都市は意思をうつすもの

 前置きが長くなってしまったが、本年度のジャーナルについて私的には、都市景観あるいは建物のデザインをどのように考えるかの意思を人に伝える方法論を実践しながら探っている事例として各インタビュイーのお話を伺った。
 
 各事例の詳細については改めて触れないが、乱暴にまとめると、

1.銀座らしい街並のために(銀座)=プライドを継承することによって、銀座らしさという「質」を常に議論する土壌をつくるためのルールづくり。新たに建設する建物の「質」が銀座の「質」と適合していることを判断することで適宜変化を受入れていく商業地ならではの姿勢が表れる。
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2.助け合えるまちのために(港南)=災害という特殊状況下を意識することによって特殊な街に普遍的な人間関係を再構築する慣習づくり。超高層という今までにない環境に加えて、大量の新住民という「異常」を今までの「常態」に引き戻すための地道な努力をする新住宅地の姿勢である。
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3.町の資源を生かすために(佐原)=祭りなど伝統行事を大事にすることで伝統的な街を維持することによる恩恵と人的な努力や覚悟を確認するルールづくり。伝統をアイデンティティとして掲げるために見かけ上の変化をとめるために周囲の変化への対応には街自体も更新されていく必要がある。
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4.良好な住宅地であり続けるために(たまプラーザ)=計画的につくられた街が世代交代を迎えるにあたり、「計画」の価値を問い直すためのルールづくり。地名としてのブランドのみがひとり歩きしており、まさに変化のまっただ中で街としての分岐点をどう乗り切るかの判断を迫られている。
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5.街への意識を共有するために(八潮)=潜在価値を再認識し、将来的なビジョンを踏まえたルールづくりをするためのシミュレーションスタディ。典型的郊外が来るべき変化への事前対応ともいえる、「典型」以外の特徴を獲得するための努力をしている。
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 それぞれの街がそれぞれの次元で悩みを抱えているものの、相対的に宗教や文化の違い、経済格差や人種間格差が都市問題化する状況ではないことが幸いし、故にルールづくりやシミュレーションが非常に素直で意思が明確だとも言える。もちろんどの街も意思を正確に投射しようと方法を模索中である。また結果も見えていないうちに状況が変化していくという現実はあるにせよ、意思が明確であることは重要である。その観点では八潮の事例では、問題がわからないことが問題であり、問題を明確にしていくんだ、ということが意思として表れている点では。汎用可能なひとつのあり方を示している。色々なしがらみを一旦無視して、ポテンシャルのみを引き出すデザインをデザイナー(学生)とユーザー(住民)が仮想プロジェクトとして対話を通して自分事にしていき、住民自らが積極的に参加していくという方法論は一般化できる可能性を感じる。冒頭の中国やオランダの例に照らすと、街の変化を住民がどう捉えるかによって街への対応も対照的に違ってくることがわかる。ルールづくりによる意思継承や共通価値観としての伝統を育てる方法などをみても、単純に変化への肯定・否定という2項対立では表せないところがある。

 それぞれの街としての方法論模索は、ユーザーからすれば裏方の仕事であり、受動的になりがちである。実際には変化を考え、方向性を共有化していかない限り、八潮のような典型的郊外は衰退していくことになってしまうだろう。