丸の内の価値をはかる(6)文化財による価値-2

日本工業倶楽部ビル
 東京銀行協会ビルの不幸を横目に、完全復原によって保存されたのがこのビルである。わずか10年でその運命が変わるとは、都市計画制度も罪だなと思いながら眺める。東京駅側、正面側は違和感なく超高層が背景となっているが、皇居側に歩を進めて振り返ると、飛び出て来ているのか、はたまた前時代を背負って突撃したのか、かなり滑稽な取り合いになっている。また、31mに足らないビルを補完するように超高層側では律儀に31mデザインを踏襲しているが、残念ながらこのラインはある程度距離を持ってみないと意識しづらい。しかし、街区の大きさがしっかりしていると建物のデザインにあまり気がいかない。工事中の猥雑さを乗り越え、超高層によるきれいなすっきりとした街並が形成されていると言える。国や会社の威信をかけて造った近代建築のように濃密なデザインは、むしろヒューマンスケールなのかもしれないと感じる。
 31mラインの意味は、デザインの効果というよりはその街に参加するという宣言のようなものと受け取りたい。
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明治生命館
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 昭和に建造された建物として初めて重要文化財に指定された。保存方法は、工業倶楽部ビルの延長上に位置づけられる。銀座などにも見受けられる、建物と建物の間の路地を積極的に見出した、「地」と「図」の反転モデルのようである。新しい超高層と19世紀的建物によって作られる隙間空間は、写真だけ見ればヨーロッパと見紛う景色である。
 しかし、果たしてその感想が、この街にとって発展的な意味を持つのかは疑わしい。別に日本的であることを求めるわけではないのだが、このような光景は変化の早い東京では各地で散見できる。保存を決定した時点で、このギャップのようなものを街として引き受けるべきであり、現状では生きている街における死に体の建物の「保存」の価値が、人々の活動にまで落ちてきていない。単なるオフィス街から観光などのサービス街への変換は、まだまだ発展途上なのであろう。
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三菱1号館
 明治生命館の前には大きな工事中の敷地がある。三菱1号館が完全復原されるのだという。1970年代に保存要望の相次ぐ中で、時代に合わないと取り壊れた一丁倫敦を再現するのだという。しかしながら、歴史的価値は見出されなかったにしろ、人々の記憶に馴染んで来たであろう白い尖塔の丸の内八重洲ビルが、併せて取り壊されたのは残念である。
 本物を壊しておいて、歴史性を訴えてその模造品を再建する。さらにそのとばっちりで、今ある歴史的な建物を壊してしまう。なんとねじれた構図なのだろうなどと思いを馳せてしまう。復原ブームの影には、それによって増される床面積が見え隠れするわけであるが、30年たって近代の街並をウリにするのだという覚悟。本当は超高層を建てたいだけなんじゃないの?と疑いたくもなる節操のなさであるが、歴史をウリにする以上は長期的な戦略が必要である。
 自分の土地で何を壊そうが何を作ろうが勝手だろう、と言われりゃそれまでであるが、次の戦略転換で超高層を壊すっていったってそう簡単にはいかないのだから。
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仲通り
 以前の街並がどんなであったか、すっかり忘れてしまうほどきれいな街並である。それまで、オッサンの巣窟を建物のファサードでぐるっとくるんで表面的にはきれい、という構図で堅苦しいイメージだった。いまや、路面店がならぶ優雅なショッピングストリートである。
 しかし、逆にそれを眺めていると少々怖くもなる。たしかにミレナリオをはじめとした広報活動など、担当者の苦労と成功は認めたい。ただ、人々はなんだかその戦略に流されているだけにも見え、そこにデベロッパーの余裕のしたり顔をみてしまう。
 余裕故の安易な転換にどれだけ街がついて来られるのか、少々不安を感じずにはいられない。
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(川上正倫)