丸の内の価値をはかる(5)文化財による価値-1

 丸の内はその歴史的背景から東京の中でも特異な位置づけを担っているエリアといえる。その発展には常にオーナーである三菱の影響がある。観光客の会話でもそれが主たる話題になるくらい浸透しているそのブランド力には驚かされる。
 日本の歴史的建造物のイメージは木造寺社仏閣であり「京都・奈良」にその地位を譲るが、ここでは「石」である。丸の内は、木造建造物とは一線を画した近代建築群の集積地である。とはいえ、これらの建物の歴史的有用性を語れる人は稀であろう。それでも、皇居や日本橋を含めた丸の内周辺を散策すると、その石に感じる歴史の重みを否定する人は少ないであろう。昭和の建築として初めて重要文化財に指定された明治生命館をはじめ、重要文化財の東京駅駅舎や中央郵便局など優れた建造物が並ぶ。どれも、近代日本や会社の本社屋としてモニュメンタルな意味を担わせる意味もあってか力が入っている。蘊蓄をもつことでこれらの楽しみが増す事受合いである。
 ここでは技術的/法的価値は別に委ね、景観による価値評価をフィールドワークで試みる。

丸ビル・新丸ビル
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 建設中であった新丸ビルの再生も終わり、東京駅から皇居にいたる超高層ゲートが完成した。どちらも31mでデザインが切り分けられている。100尺制限で維持されていたかつての街並を意識してのものである。技術的な背景もあったにしろ、西欧の建築の流れに逆行するような中層建物による(しかも20世紀になってから19世紀前の西欧を模倣して!)中心市街地形成は、かつてのこのエリアを世界にも稀な経済性より美観を優先した景観型商業地域にしていたと思う。
 90年代、政治の中心を西新宿に奪われつつありながら、特例容積率適用区域制度、特定街区制度などの新しい都市再開発法を背景に大規模な再開発が開始された。かつて東京海上が、前川の案をもとに100m越えを目指したことに対して、三菱が「美観」を盾に反対したことがあったが、その三菱が率先して計画した「マンハッタン計画」が、同じく不評をかったのが皮肉である。
 しかし9階建てだった丸ビルが耐震改修不能と診断され、先陣をきって37階建てへ変貌すると、流れは一気に超高層化へ。丸ビル35階展望室や新丸ビル7階ルーフテラスにのぼると、かつてはオフィスワーカーに専有されていた東京駅前のこの雄大?な景色が楽しめる。地盤面から少し上がった目線、しかも前に遮るもののない近さで眺められる体験は、なかなかに気持ちがよい。
 新丸ビルのルーフテラスはちょうど31mの高さにあり、身を乗り出し他のビルを眺めると同じ高さの建物は皆無である。他のビルも2本のゲートタワーにならい、31mラインでデザインが切り分けられているようだが、通りを歩くともはや空の広さが違う。
 丸ビルと新丸ビルは高さも外観デザインも異なるが、それによって東京駅と皇居を結ぶ軸線を優しげな印象に変えているように思えた。しかし、道路からはあまり気にならないが、少々高いところにのぼると、ばらばらなスカイラインがあまりきれいではない。昔はそれこそ見下ろされることなどなかったからよかったのだろうが、ルーフデザインに余地のある街並である。
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東京銀行協会ビル
 皇居側に移動してみると、31mラインどころかレンガ壁が足元を巻いているビルがある。このビルはバブルの最中に立て替えられた。当時はまだ特定街区制度等なく、通常の総合設計制度によって増床をした。経営的にうまくいかなくて仕方なく、、、というのが本音のようだが、多くの人にとって馴染み深かかったレンガ造を取り壊すのには、それなりの抵抗があったように想像できる。そこで、なんとか界隈を維持しようと、レンガ造ファサードで瘡蓋のように表層を覆うと、今度はその軽薄さを揶揄する声が高まった。
 建築界の悲哀でもあるが、その深い意図なき保存が、現在の丸の内文化財的再生のひとつのきっかけとなっていると思うと感慨深い。
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(川上正倫)