マイナスをプラスに変えること 黄金町の概要

黄金町のまちづくり経緯
 
 黄金町とは、京浜急行本線で横浜より三駅目の「黄金町」駅と、手前の二駅目「日ノ出町」駅との間、大岡川沿いの地域を指します。黄金町の駅舎自体は横浜市南区に位置しますが、まちの呼び名としての「黄金町」は、大部分が横浜市中区に属します。

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黄金町の位置(編集局作成)

 伊勢佐木町は目と鼻の先、ピカピカのみなとみらい地区も近いにもかかわらず、外から見たこのまちには独特の匂いがあります。「黄金町に住んでいる」と告げると「えっ?」と驚かれ、心なしか眉をひそめられるようなまち。

 独特の匂いの理由は、このまちの歴史を知ればわかります。

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黄金町の様子

●麻薬銀座と「ちょんの間」の時代
 第2次大戦後、横浜の中心部が米軍によって接収されると、それによって追われた人々が黄金町や隣接する初音町・日ノ出町に移ってきました。この地区には京浜急行の高架下などの空き地があったからです。
 山側の野毛地区には闇市が形成されたこと、港湾で働く日雇い労働者を斡旋する職業安定所ができたことなどから、黄金町近辺にも人、特に男性労働者が多く集まるようになりました。このころから、高架下などの飲食店では違法な売春が行われるようになります。間口1間ほどの1階の店舗で酒などを提供し、狭い階段を上った2階の1~3畳の部屋で売春を行う形態の店舗が多く、「ちょんの間」と呼ばれていました。
 また、このまちには麻薬も流れ込み、昭和37年頃には「麻薬銀座」として悪名を馳せていました。大岡川にかかる末吉橋の周辺に、麻薬が来るのを待つ人が100人以上も集まっていた時期もあるといいます。麻薬のまちというイメージが広まり、黄金町・初音町・日ノ出町の出身というと、就職を断られたり縁談が反故になったりするほどでした。
 その後、地元の麻薬撲滅運動と法律による取り締まりの強化により、麻薬の問題は収束に向かいます。ただ、もうひとつの問題「買春」は、この後もさらに続くことになります。

●京急高架補修工事による特殊飲食店の拡散
 特殊飲食店、つまり売春婦を置いていた店舗は、おもに京浜急行の高架下に店を構えていました。 
 阪神大震災を受け、平成10年頃に京浜急行が高架の耐震工事を計画したことにより、この場所にひしめいていた約100軒の店舗が高架下を追い出されたのですが、業態を変えることなく近所で営業を再開。結果として、1か所に集中していた違法な店舗が周辺に拡散してしまう事態になりました。さらに、震災で商売の場を失った神戸の特殊飲食店なども流れ込み、平成16年頃には250店舗もの違法な店がこのまちにあふれることになります。
 地域住民の中には土地を手放してまちを離れる人も増え、まちが急速に壊れていきました。

●Kogane-X  官民一体でのまちの再生
 黄金町・初音町・日ノ出町の地域住民に「自分たちのまちがこれ以上壊れるのを止めなければ」という危機感が広がります。
 古くからの住民のひとりが「もう住めないから土地を売って出て行きたい」と言い出した時、危機感を共有する二つの町内会-日ノ出町内会と初黄(はつこう)(初音町・黄金町)町内会が動き出しました。平成15年に二つの町内会が連携して「初黄・日ノ出町環境浄化推進協議会」が発足します。
 この協議会には、地元の市立東小学校のPTAも参加し、安全なまちづくりを共に目指して活動を始めました。さらに協議会には「このまちを将来どういうまちにするか」という、まちづくりの視点が備わっていました。
 このまちづくり運動は、警察が加わることにより大きな局面を迎えます。
 平成17年1月、神奈川県警による「バイバイ作戦」が始まりました。違法営業の徹底的な取り締まりです。この地区に24時間警察官を配備し、違法営業の撲滅を目指す作戦です。

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黄金町にある交番・警察連絡所

 これが功を奏し、違法店舗は一掃されましたが、閉鎖された250もの小規模空き店舗をどうするか、などの新たな課題が浮上してきます。
 そのころ、現・横浜市立大学准教授の鈴木伸治氏(都市デザイン)が横浜で行った講演会場に、当時の日ノ出町町内会長・小林光政氏の姿がありました。
 小林氏は鈴木准教授に自分たちのまちの現状を訴え、「何かアイディアはありませんか」と尋ねました。鈴木准教授は「アーティストを呼んでくるというやり方もあるのでは」と提案したのです。
 「初黄・日ノ出町環境浄化推進協議会」では「まちづくり推進部会」を発足させました。平成18年2月には光を使ったまちづくりイベントを実施し、3月には小規模店舗転用モデル事業の第一号として、地域防犯拠点「ステップ・ワン」を開所。「初黄・日ノ出町まちづくり宣言」を決定しました。また、多くの人に親しみを持ってもらう目的で、協議会の愛称を「Kogane-X(コガネックス)」と定めました。

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Kogane-X Labの外観

 警察だけでなく、行政も動き出しました。
 横浜市の創造都市推進課がこの地域に積極的に関わり始め、空き店舗を活用して運営する団体を公募することになりました。呼び掛けに応じたアート系NPO法人BankART1929が、「ステップ・ワン」と同じ建物内に文化芸術拠点「BankART桜荘」をオープンさせました。
 
●黄金町バザール 
 黄金町のまちにアートを、という話が少しずつ現実味を帯びてきます。
 平成20年の「第3回横浜トリエンナーレ」の開催に合わせ、このまちでもアートイベントをやろう!という動きが本格化します。空き店舗の活用だけではなく、高架下に新しくスタジオを建てる構想が、京浜急行との交渉により具体化してきました。スタジオの設計には地域の人々との対話が色濃く反映され、貸しスタジオとしての効率よりも、「まちにとっての場所」という視点に力を入れた建物になりました。これが黄金スタジオです。
 黄金町でのアートイベント開催に向けてのプロジェクトに、横浜美術館も関わることになり、主席学芸員の天野太郎氏がキュレーターとして加わります。福岡で活動していた山野真悟氏もディレクターとして呼び寄せ、平成19年11月、「黄金町バザール実行委員会」が設立。実行委員長に鈴木伸治准教授を据え、翌年9月の開催に向けて急ピッチで作業が進められることになりました。
 イベントの名称は「黄金町バザール」。黄金スタジオと、やはり高架下に新設された日ノ出スタジオとをメイン会場として、平成20年9月11日~11月30日まで開催されました。
 この年、合計30組余りのアーティストとショップが参加し、延べ10万人の来場者を迎えた「黄金町バザール」は、平成21年、22年と続き、まちの姿は確実に変わり始めています。

黄金町バザール2010はこちら

参考文献:
黄金町バザールガイドブック+読本(黄金町バザール実行委員会2008)
黄金町バザール・レポート(黄金町バザール実行委員会2008)
Kogane-X ホームページ

マイナスをプラスに変えること 山野真悟氏インタビュー(1)を読む。