北本駅西口駅前プロジェクトを通してまちづくりを発見する

編集局 川上正倫

■市民の利益とは何かを考える
 まちづくりにおける理想は、当たり前だが、市民の利益となる空間整備である。ところが、この「利益」の理解が非常に難しい。そこにどのような共通の目標を設定するためのアプローチこそがまちづくりの要だと考えている。今回の北本駅西口駅前広場の空間整備プロジェクトはまさしく、そのアプローチがユニークであり、それを構築するに至った経緯に非常に興味をもった。

 今回その構築を主導している貝島さんに、北本駅前広場プロジェクトを中心にまちづくりへの関わり方を聞くことができた。まずは、貝島さん自身の、大学の研究者であるという立場、教員という学生を指導する立場、建築アトリエの主宰者としての設計者の立場、という3つの立場を様々な意味で柔軟に統合する熱意が一番印象に残った。3つの立場を使い分けるというより、3つの立場を併せ持つキメラ的な状況を最大限利用し、通常では得がたい専門家のコミュニティや学生のエネルギーの投入を可能としてプロジェクトを進行させる。研究者としての分析的視点による「観察」によって独自の「発見」につなげ、その「発見」をもとに建築家として提案的「定着」を図る。また、各立場においてプロジェクトを説明し、協力を仰ぎながらそれを統括するという点でも、建築家の立場が発揮されている。

 もっともこう書くと、言葉の上ではプロジェクト遂行上の当然の行為に聞こえてしまいそうであるが、その柔軟さの表れとして、どのプロセスも全くルーティーン化していない点が挙げられる。それどころか膨大なエネルギーを注ぎ込むことによって、リサーチそのものをアート活動の域にまで引き上げていることがひとつの特徴である。教員として芸術系の学部に所属しているということも、リサーチをアート活動に結びつけるために、リサーチの下支えとなる行動力ある学生の確保に寄与しているだろう。それを牽引するだけの建築家としての作家性がうまく融合しているということであろう。北本に限らず、様々なプロジェクトが学生の実働的な参加という非常にアクティブな形で進められている。

■「現状」と「整備案」の戦い
 さて、北本駅西口駅前広場のプロジェクトは、駅前という立地に加え、広場という用途によって極めて公共性の高いものになっている。市民からの様々な意見が出やすく、かつ総意を形成することは難しい。実際の成果も即効性が期待できるわけではない。また、どのようなプロジェクトにおいても、最大の敵は「現状」である。余程大きな問題でも抱えていない限り、愛着がある「現状」は、議論が進めば進む程、無くされる対象として判官贔屓される。

 これまで開発というと、「日本の風景を支えてきた自然の野山をつぶして便利さと引き換えにかけがえのない環境を犠牲にする」というわかりやすい善悪構図に頼って煽り過ぎたせいか、「現状を変えること」への抵抗が、公共プロジェクトにおける積極的提案を難しくする。公共プロジェクトにおいて、土木系のコンサルタント会社が行ってきた事業プロセスは、まさしくそのような抵抗に対する理論的説明を最適化してきたものとも言える。しかし、市民を合理的に納得させることに主眼を置いたが故に、結果として整備された空間は「画一化」されやすかった。
 
 北本のプロジェクトでは、大学によるリサーチと市民ワークショップ、建築家主導のデザイン、ということによって「現状」に対する発見をし、この「画一化」を打破することが目的である。ある時から何故か敬遠されていたその街にオリジナルな空間を考えることによって、公共性を獲得しようとしているのが北本市としてのまちづくりへの挑戦である。その為には、そもそもまちづくりや広場にオリジナリティが必要なのか、という議論から始めなければならないだろう。しかし、そのような議論は、必然性のあるまちづくりや広場が発見されるきっかけとなるだろう。

■市民と議論をするということ
 議論を通して相互の理解を深めていく必要があるわけだが、市民は議論や問題点の発見には慣れていない。この理解がなかなか難しく、時間がかかる。以前、アムステルダムにおける再開発事例をヒアリングした際も似たような話を聞いた。再開発に際して、何が望ましいかを市民に問うと、極めて個人的な要望しか挙がらない。それを根気よく議論することで、個人の利益と公共の利益の違いについて、時間をかけて理解することができるようになったという話であった。元々オランダ人が論理的な議論が好きな国民性ということもあるかもしれないが、それを通して建築家も市民の要望を理解でき、市民も建築家が敵ではなく、市民の代理人として専門的な検討を行っている立場なのだということが理解できるようになる、ということが印象的であった。貝島さんが強調していたまちづくりを考える市民を育てる重要性と共通する。

 北本では、市民に開放された議論の場が用意されている。「つくる会議」と「つかう会議」の2つの性格の会議が併行して開催されているということもユニークである。特に「つかう会議」は、今後も持続的に開催するべき、広場の使い方を考える大事な場であると思う。何らかのイベントを企画するにせよ、実際につかう人自体が育たないと成立しなくなる。

 インタビューでも述べられているように、時間の経過による退化がない、持続可能な仕組みを残していく事が大事であるという意見には賛成である。ボランティアベースの運営では限界があり、市民の日常に新しい広場がきちんと「利益」として根付く必要がある。その「利益」を持続させるための努力が当然課せられる。学生が去り、建築家が去った後にに何が残るのか。市民は視野を広くして自分たちのまち全体を見渡す必要がある。行政、建築家、市民がそれぞれ各自の立場から、まちづくりにおける発見が必要なのである。目先の利益を追いかけていると大きな利益を逃す事にもなってしまう。たかが広場といえどもまちの顔としてまちの行く末を決める大事なまちづくりなのである。