良好な住宅地であり続けるために たまプラーザの概要

編集局 添田昌志

 今回は典型的な郊外の戸建住宅地である「たまプラーザ」(美しが丘2、3丁目)を対象に、これからの人口減社会をふまえて、郊外住宅地の住環境を良好に維持していくための方策について考えてみたいと思います。

 「たまプラーザ」は、東急電鉄田園都市線で渋谷から急行で約20分(20km圏内)の場所にあるまちです。田園都市線沿線は、東急電鉄が1960年代後半から、鉄道整備及び駅後背の住宅地開発(主に土地区画整理事業)を行ってきました。特に1977年の新玉川線開通(二子玉川園-渋谷間)以降は沿線の利便性が高まり、人気のエリアとなりました。中でも、たまプラーザ周辺は沿線きっての高級戸建住宅地として、1980年代に放映されたTVドラマ「金曜日の妻たちへ」の舞台にもなり、その名を広く知られるようになりました。 

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たまプラーザの位置

 しかし、開発後30年程度経過する中で、初期の入居者の高齢化が進んできました。特に美しが丘2、3丁目は駅からやや離れた丘の上に開発された住宅地であるため、階段や坂が多く高齢者には住みづらい環境とも言え、住宅や庭のメンテナンスの負担もあり、従前どおり戸建住宅に住むのが困難となるような状況も見られます。そのような世帯の住替え等に伴って、空家や空地も少なからず発生しています。また、この地域は1つの区画が大きく地価が高いため、そのままの規模では価格が高くなりすぎ転売しにくいため、当初の区画を2分割して売却する場合もかなり見られます。それによって、既存の住宅にあった生垣などの緑が除去され、周辺の雰囲気に合わない住宅が建つなどといった状況も散見されます。つまり、これまでに蓄積された住宅地としてのブランド性や魅力が失われつつある状況とも言え、それらをどのように維持、更新していくのかという課題が顕在化してきています。

 前回取り上げた佐原のように江戸時代から代々受け継がれてきた歴史のあるまちでは、お祭りを中心として地域の文化が継承され、それ故住民が主体となったまちづくりが可能でしたが、30年ほど前に開発され1世代のみが暮らしただけのまちでは、歴史的な風土は形成される余地がありません。それでは、そのような地域において、良好な住環境を持続するためには誰がどのように関わっていけばいいのでしょうか。今回はたまプラーザをケーススタディとして、日本に少なからず存在する郊外の新興住宅地の今後について考えていきたいと思います。

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美しが丘2、3丁目の位置
 たまプラーザより徒歩15~20分程度の小高い丘の上に開発された戸建住宅地。地区内の住宅は全て2階建て以下の低層住宅となっている。


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駅からは長い階段が続く


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美しが丘2、3丁目の戸建住宅の状況
(市販の住宅地図と現地調査を元に編集局が作成)
 住み替えに伴うと推測される空地、空家が散見されると同時に、当初の区画を2分割して売却したものが相当数あることが分かる。


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空地が散在する状況


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美しが丘3丁目の地価と人口
(地価データ出典:よこはま地価マップ) 
(人口データ出典:横浜の人口

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美しが丘3丁目年齢区分別人口推移
(人口データ出典:横浜の人口


 人口は地域の開発が終了した1980年代にピークを迎え、近年は微減している。これは初期の入居者の子世帯が独立することによって世帯構成人員が減少していることが要因として推測できる。
 地価はバブル期に高騰したが、近年は30万円/m2前後で推移している。しかしこの地域の当初の区画は100坪(330m2)を越すのものも多く、そのまま転売しようとした場合には土地代だけで1億円超となり、購入できる層が限られてしまうため、2分割して転売する手法が多く見られる(地区協定により1区画50坪以下には分割できないことになっている)。

良好な住宅地であり続けるために 三井所隆史氏インタビュー(1)を読む。