町の資源を生かすために 田口一博氏インタビュー(1)

-佐原は現在では伝統的な町並みを生かした景観が特徴的ですが、これは最初からきちんと計画されたものだったのでしょうか。

◇ 古いものは恥ずかしい
 そうではありません。佐原は、蔵のまちといっても100%蔵のまちという訳ではありません。古い町並みの中に建替えてしまった家も混じっているし、町の中心になる忠敬橋のところには大きなビルが建っていたりします。実は、昭和30年から40年代にかけて、商売が繁盛していた家は「近代化」という声でコンクリートのビルなどに建替えたんです。当時はそれでこの町も明るく現代的になったと皆さん喜びました。一方、建替えをせずに古い木造のままだった家の人達は、それは恥ずかしいと思っていたんです。うちは暗くてイヤだな、住みづらいな、この時代にこんな家は嫌だなということだったんです。

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小野川沿いに立つコンクリートのビル

-そのような住民の意識がどのようなきっかけで変わっていったのでしょうか。

◇ 価値への気づき ~外部の視点
 佐原には、昭和50年代に日本ナショナルトラストの調査が入っているんですが、その関係者は、貴重な建物なのだから現状のまま残しなさいという言い方をしたんです。しかし、住民の方は、古い建物は使いにくくて嫌だと思っているんですね。本当なら明るく近代的な蛍光灯がいっぱい点いているようなお店にしたいけど、それが出来なかったから残っているんだと。
 ところが、平成4、5年くらいから、外から来る人たちの言うことが少し変わってきました。それが中の人の考えを変えたんです。つまり、それまでの、現状のまま残せ、文化財だ、という言い方から、使いにくいんだったら、使いやすい形に改める、そのまま住める形に改める、という提案が出てきたんです。外見を変えなければ中はどう使ってもいいよということですね。例えば今、表側はまったく昔ながらの蔵にしか見えないけれど、裏側も何回か壊したり崩したりして建替えてしまったようなお宅がいっぱいあります。統一的なデザイン、絶対にこれでなければいけないというものではないのだけれど、木の縦格子が入っていて、なまこ壁があって、というデザインを踏襲すれば、裏側は建替えてOKということにしたんです。
 そして、これが進んでいくと、使われていなくてずっと閉まりっぱなしになっていた蔵を別の使い方をして開いてみようというようなことが起こってきました。例えば、お醤油屋さんの蔵をフレンチレストランにしてみたらどうだろうと。そして実際にやってみたら、お客さんが入ったんですね。じゃあ、別のところをイタリアンに、というようなことがどんどん積み重なっていきました。

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古い建物を利用したカフェ

 また、もう1つのきっかけとして、飛騨高山の人々が見に来られて、「この川(小野川)すごいですね、どうしてまちづくりに活かさないんですか」と意見を言われたというのがあります。全国どこにも名前の通った高山の人たちに指摘されて、ああ、どぶ川だと思っていたんだけれど、そうなのかとなったんですね。それじゃあ、川のことをちゃんと考えようと。ちょうど柳川の活動もあちこち知られるようになって、お堀なんかをきれいにしようということも少しずつ全国に発信されてきたような時代だったんです。それで、川の掃除をするようなことが始まりました。

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小野川沿いのまち並み

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