銀座デザインルールに見る誇りと新陳代謝

編集局 川上正倫


■「らしさ」は次世代へのはじまりである/デザインの新陳代謝
 銀座デザインルールで述べられている「銀座らしい」街とはどういうことなのかを考えながら、銀座を歩いてみた。その中で実感したことは、「らしさ」を柔軟に捉えることの重要性である。竹沢氏がおっしゃる「ビルを建設するということは、銀座の街に入っていくきっかけ」という当たり前ながら忘れがちなことが、建築デザインにとって非常に重要なテーマであるように思われた。

 建築デザインは、既存の街に対してそのあるべき姿を示すという意味があるが、それ故に、どうしても建物の竣工時がゴールであると錯覚してしまう。しかし、その建物はその後も何十年と残っていくわけであり、その間に周囲が建て変わっていく可能性もある。変化する周囲の中では、竣工した時点からそのデザインは老化していくことになる。下手をすると長い工期の内に、完成を待たずに賞味期限が切れる可能性だってある。無秩序な状況下では建築デザインは儚いものであり、一体何を世に発信しているのか担保できない。その状況を調停するのが「らしさ」をめぐる議論ではないかと感じた。

 建築主にとっては「らしさ」を表現した建物の提案こそが、これから銀座の街に参加していくための所信表明なるものであり、建築デザインはその表現として継続的に街に貢献する重要な役割を与えられる。通常の街において「らしさ」を追求しようとすると、クライアントの趣向や経済的な事情から実現されないことも多い。そういう意味で、銀座デザインルールにおいて「らしさ」を要求されるということは、建築と街並みが結びつく非常に重要な接点となる。「らしさ」としてデザインの意味を説明する必要があるのならば、その議論の中でデザインに対する思考は活性化されるはずなのである。

銀座フィールドレポート動画(編集局作成)
銀座に合わせるチェーン店







■「らしさ」はつくるものである/ルールの新陳代謝
 それでは、「らしさ」とは何なのか。竹沢氏がインタビューを通して強調しておられた「デザインルールによって街並みをコントロールすることを、建設反対運動にしたくない」という思いがこの柔軟な「らしさ」への態度に集約されているように感じられた。銀座らしい街並みとは昼間の高級店のイメージもさることながら、やはり夜の繁華街の活気によるところも大きい。しかし、活気を求めて安普請なものを許すと「若い」渋谷や新宿などの繁華街との区別ができなくなってしまう。4丁目交差点の屋外広告ビジョンにもそのあたりの葛藤が表れている。

 状況を打破するためには、伝統的建造物群保存地区のように保存することで街並みを維持しようとする態度ではなく、その時代に沿った「らしさ」を積極的に求める攻めの態度を取ることが重要に思う。建築デザインにとって形骸化したルールは足かせでしかない。街の「らしさ」を建築で再定義し、新たなルールが歴史の上で連続していくことによって「街の伝統」が継続していく術なのだと思う。銀座デザインルールは違反者を取り締まるのではなく、銀座にふさわしいデザインを協議し、その時代その場所でのルールを見出す継続的な議論の場を提供することを目指している。そこで見出された新たなルールによって既存のルールが書き替えられことで、合意に基づいた新しい街のビジョンが提示できる。

 このような議論をベースとした街づくりの手法は、オランダ・アムステルダムの再開発プロジェクトで見受けられるものとよく似ている。詳しい説明は他に譲るが、予めあるべきものの形を決めてしまうルールではなく、ルール自体を議論の中から導き出していくという手法は、守るべきものが「銀座の街らしさ」という不定形なものである場合に非常に有効な方式であるだろう。

 ルールは繰り返される議論によって新陳代謝し、変化していけばよい。そして新陳代謝可能なルールの中で、それを制御するデザインこそが議論の対象として重要になってくる。そうなってくると日本において「建築家」という職能がもう少し世に貢献できるようになるはずである。ルール内でのデザインはつまらない。しかし、ルールを無視したデザインもつまらない。銀座の現状を概観して、ルールを見出し、ルールを創造するデザインに共感を覚えた。