居住地を選ぶ視点②

■「新陳代謝」がなされている街は住みやすい
 以前、地方都市の商店街活性化のプロフェッショナルから話を聞いたことがある。その人に、「活気のある商店街とは」と訊いたときに、明快な答えが返ってきて、その答えはその後ずっと私がものを見るときのひとつの視点となってくれている。彼は、「活気のある商店街とは、適度に新陳代謝がなされている商店街です」と言ったのだった。
 なるほど!そのとおり。老舗ばかりが軒を連ねていてもおそらくその商店街は硬直していくだろうし、あまりにも入れ替わりが激しければその商店街は疲弊するだろう。もちろん、入れ替わりもできないほどに活力を失って「シャッター通り」となってしまう商店街は、疲弊どころか終焉さえも近いと言える。
 この視点のいいところは、「新陳代謝」という表現なのだと思う。その商店街全体をひとつの生き物として考えたとき、商売に意欲を失っていたり、その商店街についている客層と好みが違う品揃えにこだわっていたりする商店は、いわば「老廃物」として代謝されたほうがいい。そして、新しく商店街にとって栄養となる商店が入ると、また商店街全体に活気を与えてくれる。人の体も同じだけれど、人の営みをもまたひとつの循環系として捉えると、このような明快な視点が得られるように思う。

■住宅街の「新陳代謝」
 さて、住宅街。住宅街もまた、同じように言えるのではないだろうか。「活気のある住宅街とは」「住民が暮らしやすい住宅街とは」というときに、「適度な新陳代謝がなされている街です」という視点で考えてみよう。スクラップアンドビルドと嘆かれる現在の多くの住宅地では、新陳代謝とも呼べないスピードで住宅が入れ替わっていて、活気や住民意識が育ちにくいし、街並みもまた成熟する時間がない。地方の古い住宅地のリフォーム事例などを見ていると、住民はほとんど入れ替わらない(せいぜい世代交代くらい)で、いきなりピカピカのプレファブ住宅がどーんと建っていたりするのだが、これも「新陳代謝」という目で見ると、「なにかが変だ」と見えてくる。
 気持ちのいい住宅街とは、私にとっては、全体の9割は「前からあったらしいな」と思わせる古さを備えており(厳密に築年数で計れるものでもないと思う)、1割は「新しく建て替えたか、新しい住人が来たんだな」と思わせる新しさを備えているような街だ。そしてその新しさには、「この街が好きで、ここに来たんだろう」と思わせる、「古い住宅や住人」と通底する雰囲気があるといい。付け加えれば、よい新陳代謝が行われるには、本体がまずなによりも生き生きとしていたほうがいいわけで、なかなかむずかしいことではあるのだが。

(辰巳 渚)