豊洲の概要

 今年度(2007年)の「都市の価値をはかる」では、東京の3つの街を取り上げて、フィールドサーベイを行う。第一弾は豊洲である。

■工業の街から、住・商・産の街へ
 豊洲は、東京湾南部に位置する埋立地として大正後期より埋め立てが進められた。関東大震災後、倒壊した建物の瓦礫などの物資流入のため更に埋立てが続き、戦時中は軍の施設として利用された。昭和10年代に石川島造船所工場および作業員の宿舎等が完成、昭和30年代に東京ガス豊洲工場や新東京火力発電所が操業を開始した。昭和の時代の湾岸工業地帯において重要な役割を担ってきたのである。
 しかし、時が移り昭和から平成になると、これらの工場が相次いで閉鎖される。これに伴い、豊洲地区の北側半分にあたる豊洲2、3丁目に広がるこれらの工場跡地に、オフィスビルや高層マンション、大規模商業施設を建設するという開発計画が、民間主導で策定される。そして、2006年度に、「ららぽーと」や「芝浦工業大学」などの主要な施設が竣工し、新たな街開きが行われた。また、地区の南半分についても、流通倉庫などが建てこんだ準工業地帯であったが、北側の開発計画に合わせるように、それらが閉鎖され、大規模なマンションに順次置き換わっていった。
 近年、東京の湾岸地区では、倉庫や工場の跡地に大規模な高層マンションが多数建設されているが、都心近郊でここまで大規模に用途転用、再開発が行われたものはなく、大変興味深い事例と言える。東京都が作成したまちづくり方針の中でも、「今後のウォーターフロント開発のモデル」となる地域であると謳われている。
 振り返ると、昭和40年代には当時まだ珍しいスポーツクラブが建設され、日本最初のコンビニができたのもこの地であった。そういう意味で、豊洲は新しいものを取り入れる気風を持った場所なのかもしれない。この地から見えてくる新しい「都市の価値」とは何なのだろうか?この研究を通して検証してみたい。
(添田昌志)
 
豊洲2・3丁目開発計画
「豊洲1~3丁目地区まちづくり方針」の策定について(東京都都市整備局)