2009年08月 アーカイブ

助け合えるまちのために 若林直子氏インタビュー(4)

― 港南防災ネットワークが発足してから十数年経っています。時代や環境も急激に変わっていく中、どのように活動を維持されているのでしょうか。

◇継続的にかかわる人々の存在
 事業開始から十数年も経ち、行政の担当者は何度も変わり、役所の組織上の変化もあり、そのたびに事業の方向性も少しずつ変化し、曖昧になりました。避難所となる学校の学校長も幾度も変わります。当然、コンサルタントへの区の事業委託も最初の数年だけです。私自身もこの十数年間で色々と立場が変わりましたが、港南防災ネットワークとは、毎年の総会に呼んでいただく、防災講演や訓練企画を担当させていただくなど、ずっとお付き合いが続いています。行政の担当者などがどんどん変わっていく中、防災ネットワークの意義や、どのような活動をすべきかなどをよく知る専門家として頼っていただけたのではと思っています。
 こういう活動は息長く続けることに意義がありますが、それには、活動する人が継続することも大事な要素になります。港南地区をはじめ、地域の役員さんたちは少しずつ人が変わりつつも、継続する人がネットワークの意義などをきちんと伝え、新しい人とともに発展させていっているように見受けられます。ただ、その活動を支援する立場の役所側で人が続かないのは、仕方のないこととはいえ地域にとっては痛いところですよね。

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助け合えるまちのために 若林直子氏インタビュー(3)

前号でお伝えしたように、港区港南地区は、住民が主体になることで、地域を取り巻く環境の急激な変化にも耐えうる、しなやかで強いネットワークを形成しています。今回は、そのようなネットワークを形成することが出来た背景やしくみについて、より詳しくお話していただきます。
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― 「港南防災ネットワーク」が出来た経緯についてその特色なども踏まえて教えてください。

◇ユニークな「手挙げ方式」
 「港南防災ネットワーク」結成の最初のきっかけは、港区の呼びかけです。阪神淡路大震災を契機に、1996年、港区が「同じ公的避難所の範囲(小学校区など)の町会・自治会などが主体となって地域の防災ネットワークを結成すること」に対する支援事業をスタートさせました。この事業に、港南地区の方が応じられたんですね。
 私は、この事業については、港区の業務委託先だった事務所にて企画提案からずっと担当していたので詳しいんです。こういう事業は首都圏で盛んに行われたんですが、港区にはユニークな特徴があるんですよ。通常この種の事業は「ある年はA~C地区、次の年はD~F地区を・・というように支援し、数年間で全地域を網羅」といった、いわゆる「ローラー作戦」が一般的です。しかし、港区では「防災ネットワークをつくりたい」と申し出た地域から事業をスタートする「手挙げ式」という方針を取ったのです。その結果、できるまでどの位の時間がかかっても構わない、できない地域があっても仕方ない、といった地域主体の柔らかい事業が実現しました。

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