017 デービス・ファーマーズ・マーケット(アメリカ合衆国)

ファーマーズ・マーケット 地産地消 アイデンティティ 集客施設

デービスはアメリカの穀倉地帯であるカリフォルニア州のセントラル・バレーの北にあり、周辺はアメリカでも最も生産性の高い農地である。また、大学都市でもある。周辺が農地であるために、地産地消の場としてのファーマーズ・マーケットが大変な人気を博している。そこは、単なる市場ではなく、デービス市の都心の真ん中に位置していることもあり、デービス市民が交流する空間として貴重な役割を担っている。

デービス・ファーマーズ・マーケットの基本情報

国/地域
アメリカ合衆国
州/県
カリフォルニア州
市町村
デービス市
事業主体
デービス・ファーマーズ・マーケット協会
事業主体の分類
準公共団体 市民団体 
デザイナー、プランナー
ヘンリー・エズバンシャー、マルティン・バーンズ
開業年
1974
再開業年
1988

ストーリー

 デービスはアメリカの穀倉地帯であるカリフォルニア州のセントラル・バレーの北にあり、周辺はアメリカでも最も生産性の高い農地である。また、大学都市でもある。
 デービスは周辺が農地であるために、地産地消の場としてのファーマーズ・マーケットが大変な人気を博している。そこは、単なる市場ではなく、デービス市の都心の真ん中に位置していることもあり、デービス市民が交流する空間として貴重な役割を担っている。ファーマーズ・マーケットは水曜日と土曜日に開催されているのだが、近隣から新鮮な野菜や果物を売りに来る農家の人々と、それを買いに来る市民の間に行き交う越えが響き渡るのである。
 このファーマーズ・マーケットは、もともとはただの駐車場であった。この駐車場の再開発計画が検討された時、最初は小学校がつくられる予定であった。しかし、この駐車場に自然発生的に数名の農家がやってきて、直販を始めたのである。この直販が市民の人気を呼ぶことになり、ここは市民の集いの場所となった。そのうち、せっかく人々が集うような広場として使われているのを壊して小学校を建てるのはもったいない、という話が出てきて、ここをファーマーズ・マーケットが開催できるような広場として整備しようということになったのである。そのコンセプトはニューヨークのセントラル・パークであった。これは、ファーマーズ・マーケットを単に売買が行われる商空間としてではなく、ぶらぶらと明確な目的がなくてもやってくるようなハング・アウト・エリアとしての空間として位置づけたいとの考えからであるそうだ。
 現在では、土曜日には5000人から7000人、水曜日にも3000人の人がここを訪れるそうである。人口6万人の都市としては、凄い集客力であると考えられる。このファーマーズ・マーケットが存在することで、デービス市民はスーパーマーケットに比して、ずっと安く、新鮮で、そして周辺で採れた(すなわち出所が明確な)美味しい野菜、果物を得ることができる。また、ファーマーズ・マーケットが開催されている時は隣接するオープン・スペースでコンサートやイベントなどが行われ、祝祭的雰囲気を盛り上げている。農地と共存するデービス市ならではの素晴らしい公共空間である。

地図

都市の鍼治療としてのポイント

 最近、ニューヨークをはじめとして全米の都市で注目されているファーマーズ・マーケットであるが、農家が直接、消費者に農産品を売ることができる市場は、1970年代初頭にはカリフォルニア州全体で一つしかなかった。しかし、1980年には50のファーマーズ・マーケットが運営されるようになり、現在では443が運営されている。デービスのファーマーズ・マーケットは、この草分け的存在である。
 同マーケットはヘンリー・エズバンシャー、マルティン・バーンズの元デービス校の学生二人が中心となって設立された。二人は、大学卒業後、デービスからそれほど離れていないケーパイ・バレーで有機農業を始める。そして、少生産農家がマーケットとのチャンネルを持つための方策を検討し、日系移民であった大学の恩師のフジモト教授が、同じようにチャンネルを持たないで苦労していた日系農家が用いた方法として、直接消費者に売ることを提案し、その結果、ケーパイ・バレーの有機農家達と数人のコミュニティ・メンバーとによってファーマ−ズ・マーケットを1974年に立ち上げることにしたのである。
 当初は、都心にある1ブロックほどの規模の公園に隣接した道路で開催され、参加した農家も10に満たないほどの小規模のものであった。それが徐々に外部の支援を受け、拡大していく。まず、デービスの食料生協がマーケットで売れ残った農産品を生協がすべて買い取る契約をしてくれた。これは、農家が積極的にファーマーズ・マーケットに農産品を出すインセンティブとなり、その規模は徐々に拡大していった。さらに、1976年に、デービス市はその運営を法的にバックアップする条例を通過させた。そして、1977年にカリフォルニア州の食糧・農業局が、全州に渡ってファーマーズ・マーケットの認定制度を導入したのだが、デービスのファーマーズ・マーケットは最初の認定を受けた4つのうちの1つに含まれたのである。1984年にはデービス市は、市場が開かれている場所に、簡易ではあるが屋根を設置した。そして、1988年以降は、道路で行われていたファーマーズ・マーケットは新しくつくられた隣接した公園(セントラル・パーク)内で開催されることとなったのである。
 同マーケットを管理しているのはデービス・ファーマーズ・マーケット協会という非営利団体である。同協会の重要な目的は、地元のコミュニティが同マーケットに対して親しみをもってもらうことである。コミュニティの人々はファーマーズ・マーケットに対して、市外の農家にばかりに便益がもたらされ、自分達には関係ないものであるとの先入観を持っていたため、コミュニティとファーマーズ・マーケットとのネットワークを強化することが必要であった。
 デービスのファーマーズ・マーケットは都市と農村部を結合させるハブとして素晴らしい機能を果たしているが、それは単に農産物が交換される市場だけではなく、市民が集い、情報を交換し、また同じコミュニティで生活している偶然性を祝祭するような広場としての役割をも果たしている。それこそが、このファーマーズ・マーケットが「都市の鍼治療」として極めて効果的な理由であるのだ。

類似事例

セントラル・パーク(デービス、アメリカ合衆国)
ユニオン・スクエア・ファーマーズ・マーケット(ニューヨーク、アメリカ合衆国)
クリチバ公設市場(クリチバ、ブラジル)
サンパウロ公設市場(サンパウロ、ブラジル)
アルト・マルクト(デュッセルドルフ、ドイツ)
グランド・バザール(イスタンブール、トルコ)
ウィリアムスバーグ・ファーマーズ・マーケット(ヴァージニア、アメリカ合衆国)