パサージュは18世紀末以降、パリを中心に広まったガラス製アーケードに覆われた歩行者専用通路の商業空間である。パリ以外では、プラハ、ブリュッセル、ロンドンなどで整備されるが、ドイツで最もパサージュが有名な都市はライプツィヒではないかと思われる。これは、ライプツィヒが第二次世界大戦において、他のドイツの都市に比べるとあまり被災せず、それらが現在まで保全されているということとも関係しているであろう。
さて、そのライプツィヒでおそらく最も有名なパサージュはメドラー・パサージュであろう。パサージュ自体の歴史はあまり古くなく1914年につくられるので、100年ちょっとの歴史しかない。ただ、それは1525年に商取引の建物であったアウアーバッハ・ホフがあった場所につくられたこともあって、建物の歴史の浅さに比べて、商業都市ライプツィヒの歴史的な重みのようなものを感じることができる。
メドラー・パサージュは3本の道が交差する。それらが出会う所にマイセン磁器で作られたカリヨンが設置されている。そして、この交差点の場所には見事なドームを擁する八角形のロタンダがつくられている。この建物はかつて陶磁器の取引所だった。その名残を伝えるかのように鐘は正時ごとに美しい音を奏でている。メドラー・パサージュの床面積は8,000㎡に及ぶ。 ライプツィヒの他のパサージュと比べて、そのパサージュ内の空間デザインの室は高く、地面から13メートルの高さにある屋根はガラスで覆われている。メドラー・パサージュの延長距離は140メートルであり、その幅は5〜7メートルである。ライプツィヒの旧市街地の中心である市場広場のすぐそばに位置し、ライプツィヒを代表するランドマークの一つでもある。
メドラー・パサージュは二人の長期的展望を有するビジネスマンによってつくられた。その一人、ライプツィヒ大学の学長であったシュトローマー・フォン・アウアーバッハはワインバーを1525年に開業する。この事業は大成功し、その5年後に彼は同じ場所にアウアーバッハス・ケラーを開くことにする。このケラーはその後もずっと繁盛を続け、常連客であったゲーテの小説『ファウスト』の舞台としても登場し、その知名度はさらに高まる。
1911年にはモリッツ・メドラー・スーツケースの社長であったアントン・メドラーがアウアーバッハ・ホフとその周辺の建物を購入する。メドラーがアウアーバッハ・ホフを新たにリノベーションをする計画を立てていることを人々が知ると、アウアーバッハ・ケラーを守るべきだとの意見が市内だけでなく全国から寄せられる。それを受けてメドラーは新しくつくられたパサージュに伝統あるケラーをうまく設けられるようにする。その設計を担当したのは、ザクセン王の建築アドバイザーをも務めたテオドア・ケッサー(Theodor Kösser)である。
メドラー・パサージュは陶器、ワイン、毛皮製品の展示会の場として使われ、それは旧東ドイツ時代も続いた。興味深いことにメドラー・パサージュは旧東ドイツ時代に政府により収用されることがなかった。代わりにライプツィヒの見本市委員会がその管財人となった。東西ドイツが再統一された後、メドラー家が再び、メドラー・パサージュの所有者となった。1995年にはユルゲン・シュナイダー地所と提携し、メドラー・パサージュ・ライプツィヒ資産株式会社を設立し、大規模な改修を行った。1997年にはアウアーバッハ・ケラーを含めて改修工事は済み、建設当初のような豪奢な雰囲気を再生することができた。
322 メドラー・パサージュ(ドイツ連邦共和国)







ライプツィヒはパサージュの都市である。市内には25のパサージュがある。商業的賑わいのある歩行者屋内空間がつくるネットワークはライプツィヒ市に大きな魅力をもたらしている。その中でも最も知名度が高く、また空間的にも瀟洒で存在感があるのはメドラー・パサージュであろう。
メドラー・パサージュの基本情報
- 国/地域
- ドイツ連邦共和国
- 州/県
- ザクセン州
- 市町村
- ライプチッヒ市
- 事業主体
- Mädler Passage Leipzig Grundstück GmbH & Co. KG
- 事業主体の分類
- 民間
- デザイナー、プランナー
- Heinrich Stromer von Auberbach and Anton Mädler等
- 開業年
- 1525年
- 再開業年
- 1914
ストーリー
地図
都市の鍼治療としてのポイント
ライプツィヒはパサージュの都市である。市内には25のパサージュがある。その中には東西ドイツが統一後につくられたものもあるし、歴史があるものもほとんどが1990年以降に改修されており、パリやプラハのような風格には欠けるかもしれない。しかし、商業的賑わいのある歩行者屋内空間がつくるネットワークはライプツィヒ市に大きな魅力をもたらしているし、それは第二次世界大戦で被災を受けた都市が多いドイツでは貴重な都市資源である。
その中でも最も知名度が高く、また空間的にも瀟洒で存在感があるのはメドラー・パサージュであろう。そして、その存在感はアウアーバッハス・ケラーに依るところが大きい。ライプツィヒに留学していた若きゲーテは、学業そっちのけでこのケラーに通い詰めた。それは、メドラー・パサージュの地下にあり、現在も営業している。ゲーテは、小説『ファウスト』でメフィストフェレスとファウストがここで学生達と騒ぎを起こすシーンを描く。店の前には、メフィストとファウストの銅像が立っており、ここがあのアウアーバッハス・ケラーであることが観光客でも一目で分かる。ただ、ゲーテが飲んでいて、メフィストフェレスが暴れたケラーは、今のケラーとは違い、メドラー・パサージュがつくられる前のものである。メドラー・パサージュが新たにつくられ、アウアーバッハス・ケラーがここに再開した日は1913年2月22日。これはメフィストが学生に魔法をかけていたずらをした、まさにその日である。改修前のケラーには森鴎外も訪れたことがある。
社会主義時代においては資本主義的な商業のシンボルでもあったためか、あまり顧みられなかったライプツィヒのパサージュであるが、逆に関心の無さからか政府に収用されなかったことは幸いであった。そもそもライプツィヒは旧東ドイツ時代に重要視されず、投資もあまりされなかったのだが、それが旧東ドイツ以前の歴史的資源を旧東ドイツ時代に破壊されることを回避した(そのまったく逆の例が現在、フンボルト・フォーラムとなったベルリンの王宮)。旧東ドイツ時代を奇跡的に生き抜いたメドラー・パサージュであるが、その状態はボロボロに近かったので、ドイツ再統一後は徹底したリノベーションが行われた。そのリノベーションをする前にメドラー家が再び、所有権を取り戻せたのはメドラー・パサージュのアイデンティティを再生するうえで幸いした。
【参考資料】
メドラー・パサージュの公式ホームページ
https://shorturl.at/ehnMY
その中でも最も知名度が高く、また空間的にも瀟洒で存在感があるのはメドラー・パサージュであろう。そして、その存在感はアウアーバッハス・ケラーに依るところが大きい。ライプツィヒに留学していた若きゲーテは、学業そっちのけでこのケラーに通い詰めた。それは、メドラー・パサージュの地下にあり、現在も営業している。ゲーテは、小説『ファウスト』でメフィストフェレスとファウストがここで学生達と騒ぎを起こすシーンを描く。店の前には、メフィストとファウストの銅像が立っており、ここがあのアウアーバッハス・ケラーであることが観光客でも一目で分かる。ただ、ゲーテが飲んでいて、メフィストフェレスが暴れたケラーは、今のケラーとは違い、メドラー・パサージュがつくられる前のものである。メドラー・パサージュが新たにつくられ、アウアーバッハス・ケラーがここに再開した日は1913年2月22日。これはメフィストが学生に魔法をかけていたずらをした、まさにその日である。改修前のケラーには森鴎外も訪れたことがある。
社会主義時代においては資本主義的な商業のシンボルでもあったためか、あまり顧みられなかったライプツィヒのパサージュであるが、逆に関心の無さからか政府に収用されなかったことは幸いであった。そもそもライプツィヒは旧東ドイツ時代に重要視されず、投資もあまりされなかったのだが、それが旧東ドイツ以前の歴史的資源を旧東ドイツ時代に破壊されることを回避した(そのまったく逆の例が現在、フンボルト・フォーラムとなったベルリンの王宮)。旧東ドイツ時代を奇跡的に生き抜いたメドラー・パサージュであるが、その状態はボロボロに近かったので、ドイツ再統一後は徹底したリノベーションが行われた。そのリノベーションをする前にメドラー家が再び、所有権を取り戻せたのはメドラー・パサージュのアイデンティティを再生するうえで幸いした。
【参考資料】
メドラー・パサージュの公式ホームページ
https://shorturl.at/ehnMY
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