ルール地方のゲルゼンキルヘン市の南、ボーフム市の市境に閉山したラインエルベ炭鉱のぼた山がある。この炭鉱は1861年に操業を始め、1928年にはすでに閉山していたのだが、この周囲を見渡すように存在する標高100メートルのぼた山は放置されていた。このぼた山を中心とする50ヘクタールの地区を公園とするプロジェクトが1995年にIBAエムシャーパークによって立ち上がった。そして、まったく植物が生えず、禿げ山のような状況であったぼた山の頂上に彫刻家のヘルマン・プリガンが10メートルの高さの芸術作品を設置し、さらに周縁部は森とすることにした。芸術作品は「ヒンメルストレッペ」(天国への階段)と名付けられた。この作品は古い壁、セメント・ブロック、鉄くずといったルール地方の工業で繁栄していた時代の廃棄物と樫の木や石といった自然の素材を組み合わせてつくられている。
この作品がつくられるのと並行して、ぼた山の頂上への遊歩道が整備された。それまで何もなかったぼた山の頂上にランドマークがつくられたこと、そしてぼた山の麓周辺が森と変化したことで、ここは市民がちょっと憩えるような空間となった。その建設費は65万ユーロ(約8,000万円)ぐらいであったが、その費用対効果は極めて大きなものがあったと推察される。
217 ハルデ・ラインエルベ(ドイツ連邦共和国)







閉山したラインエルベ炭鉱のぼた山を中心とする50ヘクタールの地区を公園とするプロジェクト。彫刻家のヘルマン・プリガンが10メートルの高さの芸術作品を設置し、「ヒンメルストレッペ」(天国への階段)と名付けられた。それまで何もなかったぼた山の頂上にランドマークがつくられたこと、そして周辺が森と変容したことで、市民が憩える空間となった。
ハルデ・ラインエルベの基本情報
- 国/地域
- ドイツ連邦共和国
- 州/県
- ノルトラインヴェストファーレン州
- 市町村
- ゲルゼンキルヒェン市
- 事業主体
- IBAエムシャーパーク
- 事業主体の分類
- その他
- デザイナー、プランナー
- ヨルグ・デットマー(敷地計画)、ヘルマン・プリガン(彫刻作品)
- 開業年
- 1999
ストーリー
地図
都市の鍼治療としてのポイント
1989年から1999年まで、ドイツのルール地方で展開したIBAエムシャー・パークはまさに「都市の鍼治療」の宝庫である。必ずしも潤沢ではない予算を知恵で補い、多くの成果を生み出してきた。この「都市の鍼治療」でもこれまでに6つの事例を紹介させてもらっている。なぜ、IBAエムシャー・パークには、「都市の鍼治療」的なアプローチが多いのであろうか。それは、ジャイメ・レルネル氏が課題に対峙した時のアプローチである「問題は解決である(Problem is a solution)」と同様なアプローチで問題の解決法を考えるからであろう。
このハルデ・ラインエルベはまさに「問題は解決である」の典型的な事例であると考えられる。このぼた山は1928年から70年近くも放置されていた、まさに忘れられていたランドスケープであった。それを頂上に彫刻を置き、ぼた山の周辺を森にすることで、場所の個性をつくり出し、人々が訪れるような空間へと変化させてしまった。ぼた山という「問題」が見事、場所のアイデンティティをつくりだす「解決」へと転換したのである。
感心するのは、その彫刻の名称をロマンチックなものにしたことである。「天国への階段」という名称は人々の想像力を駆り立てる。ただのぼた山が天国への入り口に繋がっているような気にもなるし、1970年代にロック音楽を聴いていた人達は、ハード・ロック・バンドのレッド・ツエッペリンの名曲を思い出し、この場所に惹き付けられるかもしれない。
私も2019年7月の初夏、ここを訪れ、頂上まで登ったが、そこからのルール地方の展望は美しく、胸がすくような気分になった。その展望は、ここに彫刻がつくられる前とほとんど変わらなかったであろうが、ほとんどの人がここに彫刻がなければぼた山に登ることはなかったであろう。ちょっとした工夫で、それまで問題だと思われていたものが資産となる。日本の産炭地域にも是非とも参考にしてもらいたい、優れた「都市の鍼治療」であると思われる。
このハルデ・ラインエルベはまさに「問題は解決である」の典型的な事例であると考えられる。このぼた山は1928年から70年近くも放置されていた、まさに忘れられていたランドスケープであった。それを頂上に彫刻を置き、ぼた山の周辺を森にすることで、場所の個性をつくり出し、人々が訪れるような空間へと変化させてしまった。ぼた山という「問題」が見事、場所のアイデンティティをつくりだす「解決」へと転換したのである。
感心するのは、その彫刻の名称をロマンチックなものにしたことである。「天国への階段」という名称は人々の想像力を駆り立てる。ただのぼた山が天国への入り口に繋がっているような気にもなるし、1970年代にロック音楽を聴いていた人達は、ハード・ロック・バンドのレッド・ツエッペリンの名曲を思い出し、この場所に惹き付けられるかもしれない。
私も2019年7月の初夏、ここを訪れ、頂上まで登ったが、そこからのルール地方の展望は美しく、胸がすくような気分になった。その展望は、ここに彫刻がつくられる前とほとんど変わらなかったであろうが、ほとんどの人がここに彫刻がなければぼた山に登ることはなかったであろう。ちょっとした工夫で、それまで問題だと思われていたものが資産となる。日本の産炭地域にも是非とも参考にしてもらいたい、優れた「都市の鍼治療」であると思われる。
類似事例
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