川に関する事例
(フランス共和国)
オルセー美術館は1900年のパリ万博とのときにつくられたオルセー駅舎を再生したものである。セーヌ川河畔という一等地にあるにも関わらず半世紀近く放置されていた。市場の開発圧力を躱(かわ)しながらふさわしい機会が訪れるのを辛抱強く待ち続けた素晴らしい事例であると考えられる。
(ブラジル連邦共和国)
カピバラが生息する38ヘクタールの広大な公園。クリチバ市は地主との見事な交渉を通じて市民に緑地を提供する一方、バリグイ川の洪水氾濫を防ぐ貯水池をも整備することに成功した。他方、地主は持っている土地は市に提供したが、その代わりに残りの土地の宅地化で大きな利益を得ることに成功した。何より、このような事業を行ううえで、市役所は地主に一銭も払っていない。「都市の鍼治療」本家本元の事例である。
(大阪府)
大阪市大正区のウォーターフロントに出現した複合商業施設「タグボート大正」は、人口減少に悩む地元のまちづくりを牽引する役割が期待されている。河川沿いの商業施設自体が日本では珍しいが、ここでは河川に係留された船が商業施設として利用されており、日本では初めてのケース。河川法を含め、多くの障害を乗り越えて実現に辿り着いたユニークなプロジェクトである。
(イングランド)
リージェント運河の歩道の魅力は、ロンドン北部の魅力あるスポットを巡ることができることである。道路と交叉せずに、自動車を気にせずに歩けて、自然が多い川沿いを歩くのは快適な体験である。ロンドンという都市の本質的な豊かさ、その歴史的積み重ねなどをカーテンの裏側から覗くような楽しみも与えてくれる。
(長崎県)
出島表門橋は、物理的に現在の長崎市と復元されつつある出島を結ぶというだけではない。それは現代の長崎と鎖国時代の長崎とを時間を越えて結ぶ役割をも担っている。それは、忘れられていた出島という都市の記憶を現在へと繋ぐタイムマシーンのようなものだ。そして、その役割を見事に象徴させているのが、この橋のデザインであると考えられる。
(スイス連邦)
スイス中央部に位置するルツェルンのカペル橋はヨーロッパで最古の屋根付きの木橋であり、また現存するトラス橋としても世界最古のものである。この橋がルツェルンの宝であるというのは間違いないが、私はルツェルンが有するさらに輝くような宝は、ルツェルンの市民が、それを宝であると強く意識し、それを共有していることだと考える。これこそがルツェルン市を特別なものとし、そこに住む人達にシビック・プライドという帰属意識を持たせる要因になっているのではないだろうか。
(長崎県)
長崎市の中島川に架けられた、日本最古といわれるアーチ式の石橋。長崎市のランドマークとして強烈な存在感を放っている。1982年の長崎大水害で一部損壊し、復興事業によって撤去される計画が進められたが、地域文化の保全をめざす市民らの奮闘を受け、撤去計画が見直された経緯を持つ。
(山口県)
長門湯本温泉は長門市の南部、音信川の渓谷沿いに広がる温泉街である。開湯は1427年と温泉としての歴史は古い。宿泊者数は1983年の39万人をピークに減少し、2014年には18万人とピーク時の半分以下となる。さらに2014年、150年の歴史を有する老舗ホテルが廃業し、温泉街の中心には広大な廃墟ビルが残る苦境に追い込まれる。そのような状況の下、市長は星野リゾートの誘致に乗り出し、大胆なプロジェクトを開始する。
(福岡県)
福岡県柳川市は市内を堀割が縦横に流れている水郷都市である。堀割には一切の柵がなく、家などの建築物と見事に調和した田園景観をつくりだしている。人と自然環境とが見事に共存できている素晴らしい事例だと、ここを初めて訪れた人達は思うだろう。まさか、この堀割が埋め立て工事によって消滅寸前の危機に直面したことがあったなどということは想像できないのではないだろうか。
(アメリカ合衆国)
イースト・リバー沿いにある34ヘクタールの公園。ウォーターフロントの2キロメートルの長さの土地を公園として開発した。2008年から開始された埋め立て事業には、ワールド・トレード・センターの瓦礫が使われている。
(フランス共和国)
パリのセーヌ河岸、ルーブル美術館側は多くの自動車が行き来する自動車専用道路であったが、2016年、自動車が閉め出され、歩行者専用空間として6ヶ月間試行的に使われるようになった。アンヌ・イダルゴ市長はその後、永久に自動車をこの道路から追放すると発表。
(アメリカ合衆国)
自動車専用部分以外に、歩行者と自転車専用の部分を設けただけでなく、自動車より一段と高いレベルにしたことで、ここを徒歩、自転車で横断するものは自動車に煩わされることがない。この歩行者のプロムナードを設置したことで、ブルックリン橋は幾多とある大都市の橋梁と一線を画すことに成功した。
(ドイツ連邦共和国)
カール・ハイネ運河は旧東ドイツ時代には下水道として使われ、その環境汚染は凄まじいものがあった。しかし、東西ドイツ統一後、この環境汚染を解決させ、新たに人々が憩えるようなウォーターフロントへと再生することを計画。さらに孤立した港として放置されてきたリンデナウ港とこの運河を結んだことで、港周辺の環境改善や住宅開発も進み、良好な生活環境が生み出されている。
(静岡県 )
歩きやすい環境を活かして、湧き水を再生させ、管理し、それらをめぐる散策路を整備すれば街の活性化に繋がるのではないかという考えのもと、三島市では1996年から「街中がせせらぎ事業」を展開することにした。
(ドイツ連邦共和国)
クレーマー橋は、ドイツのチューリンゲン州の州都であるエアフルトにあるランドマークである。それはブライト川に架かる橋で、その両側に木造の建物が肩を寄せ合うように建っている。
(ブラジル連邦共和国)
計画当時、市長であったジャイメ・レルネルは、河川沿いの土地を市役所が買い取って公園にしてしまおう、と考えた。しかし、70年代初め頃のブラジルにはいわゆる公園という概念がなかった。公園の概念がない、ということは公園を整備するための予算もないということである。そこで、レルネルは洪水という災害を防止するための緑地整備ということで、連邦政府の防災予算を引き出し、それで土地を獲得して公園を整備し始めた。
(スペイン)
この大プロジェクトによって、マドリッドは河川という新たな都市景観を獲得し、また数少ない貴重なウォーターフロントを憩いの場に変容させた。週末には6万人が訪れるレクリエーション空間にもなっている。それまで自動車が占用していたウォーターフロント沿いのプロムナードを歩くと、ルイス・ガジャルドンはマドリッド市民にとって、とてつもなく素晴らしいプレゼントをあげたのだな、ということに気づかされる。世紀の大鍼治療である。
(デンマーク王国)
オーフスはデンマーク第二の都市である。とはいえ、人口はわずか29万人。このオーフスの都心にオーフス川が流れている。このオーフス川、1930年代に増加し始めた自動車交通に対応するために暗渠化をして、その上にオー通りという幹線道路を整備した。その後、月日が経つ。1962年には首都コペンハーゲンの都心部から自動車を排除して、歩行者空間ストロイエをつくったことの成功などを経験し、デンマークの都市は全国的に、都心部は自動車ではなくて歩行者を主人公とした都市づくりをしようというトレンド、というか理念が形成されていく。
(大阪府)
大阪は水の都である。しかし、戦後は多くの世界中の工業都市同様、その水に目を背けて都市はつくられていった。そして、しばらく経つと、住民にとって水は縁遠いものとなってしまった。一方で、水はその都市にとって貴重なアメニティ資源である。都市の魅力を向上させていくうえで、水を活用しない手はない。
(東京都)
墨田区と江東区を流れる運河、大横川。見事な桜並木を誇り、4月の開花時期には大勢の花見客で賑わう。この花見の季節には、土曜日と日曜日に地元商店街が「お江戸さくら祭り」を開催し、大横川には花見客を乗せた和船が行き来し、失われつつある江戸の下町情緒を感じさせる、ちょっとした地元の風物となっている。
(大韓民国)
チョンゲチョン川は、ソウル市内を東西に縦断するように流れ、漢江に注ぎ込む総延長10.92kmの都市河川である。このチョンゲチョン川は、頻繁に大氾濫を起こし、その治水事業は朝鮮王朝時代からの大きな課題であった。
(アメリカ合衆国)
パセオ・デル・リオは、素晴らしい都市空間が持つべきほとんどすべての要素を兼ね備えている。このパセオ・デル・リオを暗渠化していたら、サンアントニオはまったく別の都市になってしまったであろう。
(ドイツ連邦共和国)
ライン川と都心部とを分断していた国道のトンネル化と、ライン川沿いのプロムナードの整備により、デュッセルドルフのウォーターフロントは魅力的な空間に生まれ変わった。
(イングランド)
イギリスの北東部、ニューキャッスル市とゲーツヘッド市の境界を流れるタイン川に架けられた歩行者・自転車専用のアーチ橋。この橋がつくられたことで、バルチック現代美術館をはじめとしたゲーツヘッド市のウォーターフロントを訪れる人が増え、かつての工業地区は文化地区として大きく変貌を遂げつつある。
インタビュー
(建築家・元クリチバ市長)
「よりよい都市を目指すには、スピードが重要です。なぜなら、創造は「始める」ということだからです。我々はプロジェクトが完了したり、すべての答えが準備されたりするまで待つ必要はないのです。時には、ただ始めた方がいい場合もあるのです。そして、そのアイデアに人々がどのように反応するかをみればいいのです。」(ジャイメ・レルネル)
(横浜市立大学国際教養学部教授)
ビジネス、観光の両面で多くの人々をひきつける港町・横浜。どのようにして今日のような魅力ある街づくりが実現したのでしょうか。今回の都市の鍼治療インタビューでは、横浜市のまちづくりに詳しい、横浜市立大学国際教養学部の鈴木伸治教授にお話を聞きました。
(福岡大学工学部社会デザイン工学科教授)
都市の鍼治療 特別インタビューとして、福岡大学工学部社会デザイン工学科教授の柴田 久へのインタビューをお送りします。
福岡市の警固公園リニューアル事業などでも知られる柴田先生は、コミュニティデザインの手法で公共空間をデザインされています。
今回のインタビューでは、市民に愛される公共空間をつくるにはどうすればいいのか。その秘訣を伺いました。
(地域計画家)
今回の「都市の鍼治療インタビュー」は、九州の都市を中心に都市デザインに携わっている地域計画家の高尾忠志さんへのインタビューをお送りします。優れた景観を守ための開発手法や、複雑な事業を一括して発注することによるメリットなど、まちづくりの秘訣を伺います。
(大阪大学名誉教授)
1970年代から長年にわたり日本の都市計画・都市デザインの研究をリードしてきた鳴海先生。ひとびとが生き生きと暮らせる都市をめざすにはどういう視点が大事なのか。
これまでの研究と実践活動の歩みを具体的に振り返りながら語っていただきました。
(クリチバ市元環境局長)
シリーズ「都市の鍼治療」。今回は「クリチバの奇跡」と呼ばれる都市計画の実行にたずさわったクリチバ市元環境局長の中村ひとしさんをゲストに迎え、お話をお聞きします。
(大阪大学サイバーメディアコモンズにて収録)
お金がなくても知恵を活かせば都市は元気になる。ヴァーチャルリアリティの専門家でもある福田先生に、国内・海外の「都市の鍼治療」事例をたくさんご紹介いただきました。聞き手は「都市の鍼治療」伝道師でもある、服部圭郎 明治学院大学経済学部教授です。
(龍谷大学政策学部にて収録)
「市街地に孔を開けることで、都市は元気になる。」(阿部大輔 龍谷大学准教授)
データベース「都市の鍼治療」。今回はスペシャル版として、京都・龍谷大学より、対談形式の録画番組をお届けします。お話をうかがうのは、都市デザインがご専門の阿部大輔 龍谷大学政策学部政策学科准教授です。スペイン・バルセロナの都市再生に詳しい阿部先生に、バルセロナ流の「都市の鍼治療」について解説していただきました。
(建築家・東京大学教授)
「本当に現実に向き合うと、(統計データとは)違ったものが見えてきます。この塩見という土地で、わたしたちが、大学、学生という立場を活かして何かをすることが、一種のツボ押しになり、新しい経済活動がそのまわりに生まれてくる。新たなものがまわりに出てくることが大切で、そういうことが鍼治療なのだと思います。」(岡部明子)
今回は、建築家で東京大学教授の岡部明子氏へのインタビューをお送りします。
(東京工業大学准教授)
今回の「都市の鍼治療インタビュー」は、東京工業大学准教授の土肥真人氏へのインタビューをお送りします。土肥先生は「エコロジカル・デモクラシー」をキーワードに、人間と都市を生態系の中に位置づけなおす研究に取り組み、市民と共に新しいまちづくりを実践されています。
(東京都立大学都市環境学部教授)
人口の減少に伴って、現代の都市ではまるでスポンジのように空き家や空きビルが広がっています。それらの空間をわたしたちはどう活かせるのでしょうか。『都市をたたむ』などの著作で知られる東京都立大学の饗庭 伸(あいば・しん)教授。都市問題へのユニークな提言が注目されています。饗庭教授は2022年、『都市の問診』(鹿島出版会)と題する書籍を上梓されました。「都市の問診」とは、いったい何を意味するのでしょうか。「都市の鍼治療」提唱者の服部圭郎 龍谷大学教授が、東京都立大学の饗庭研究室を訪ねました。
お話:饗庭 伸 東京都立大学都市環境学部教授
聞き手:服部圭郎 龍谷大学政策学部教授