286 ポティの壁画(ブラジル連邦共和国)

286 ポティの壁画

286 ポティの壁画
286 ポティの壁画
286 ポティの壁画

286 ポティの壁画
286 ポティの壁画
286 ポティの壁画

ストーリー:

 クリチバの街を移動していると、重要なランドマーク的な場所で非常に印象に残る壁画を見かけることができる。国立ガイラ劇場、公設市場、アフォンソ・ペーナ国際空港のターミナル、テレパー塔、花通り、11月19日広場、3月29日広場、鉄道駅などの重要なランドマークを、一目で分かる個性的な壁画が彩っている。それらは大胆な構図に、力強いタッチ、そして何より生命感溢れる色彩で描かれており、見るものを楽しく、肯定的な気分にさせてくれる。
この壁画の作家はナポレオン・ポティグアラ・ラザロット氏(Napoleon Potyguara Lazzarotto, 1924-1998)。イタリア系の移民として1924年にクリチバに生まれる。版画家であり、イラストレーターであり、壁画家であり、そして先生でもあった。若い時は内外の雑誌で挿絵やマンガを描き、版画を広めることに貢献した。一般的には、ミドル・ネームから取った愛称「ポティ」として知られる。
 彼のタイルに描かれた壁画はブラジル国内だけでなく、ポルトガル、フランス、ドイツにもある。パリにある「ブラジルの家」(1950)や、サンパウロの「南米記念館」(1988)などが知られる。しかし、圧倒的に多いのは、彼の地元であるクリチバ市である。クリチバでは、次のような作品が残されている。11月19日広場のパラナ州百周年記念壁画(1953)、州政府の建物(イグアス・パラス)のファサードの壁画(1953)、パラナ国立大学のポリテクニカル・センターの壁画(1961)、ガイア劇場の壁画「世界の劇場」(1969)、鉄道駅の彫刻「鉄道の記念」(1983)、テレパー塔の壁画「コミュニケーション」(1992)、トラベッサ・ネストール・デ・カストロ通りの壁画「O Largo da Ordem(秩序の場所)」(1993)、歴史地区の商店に描かれた壁画「トロペイロ」(1995)、トラベッサ・ネストール・デ・カストロ通りの壁画「都市のイメージ」(1996)、アフォンソ・ペーナ国際空港の壁画「旅」(1996)、公設市場の壁画「農家」(1997)などである。
 ポティの壁画は、その極めてユニークな存在感によって、クリチバ市のアイコンとしての役割を果たしている。
 ポティの家は決して裕福ではなかった。父親は鉄道会社で働く労働者で母親はクリチバ市内のレストランを経営していた。父親は事故で片腕をなくし、母親が実質的に家計を支えることとなった。ポティは、15歳ぐらいから新聞の挿絵画を描いて家計を助けていた。しかし、母親が経営するレストランに当時の州知事のマノエル・リバス氏がよく訪れており、そこでポティの絵描きとしての才能に気付き、リオデジャネイロにある国立芸術学校への奨学金を与える。19歳の時にはポティは本の挿絵を描くことを頼まれる。22歳の時には「ジョアキム」という雑誌に挿絵を描き、ヨーロッパの芸術事情についてのコメントも執筆するようになる。その後、パリのボザールにて石版印刷の技術を学び、24歳に帰国して後はバヒア、レシフェ、クリチバの芸術学校で後進を育てると同時に、多くの新聞や本の挿絵を描いた。
 彼の表現の発表の場は主にイラストレーションであったが、彼の代表作品は多くの壁画であった。ナポレオン・ポティグアラ・ラザロットは1998年に逝去するが、2014年に彼の作品の一部(ガラナ劇場等)はパラナ州の歴史的文化資産として登録される。

キーワード:

街路,アイデンティティ,歩行者優先,自動車排除,ジャイメ・レルネル

ポティの壁画の基本情報:

  • 国/地域:ブラジル連邦共和国
  • 州/県:パラナ州
  • 市町村:クリチバ
  • 事業主体:クリチバ市、パラナ州、ブラジル連邦政府
  • 事業主体の分類:自治体 国
  • デザイナー、プランナー:ナポレオン・ポティグアラ・ラザロット
  • 開業年:1953年〜1996年

ロケーション:

都市の鍼治療としてのポイント:

 レルネル氏は彼の著『都市の鍼治療』にて、天才と都市の関係を次のように述べている。
「改めて私が言うことではないが、世界の重要な都市の多くは天才によって、生命が吹き込まれてきた」。そして、「クリチバではそれはポティである」と記している。
 クリチバ市の重要なランドマークを彩るのはポティの存在感を強烈に放つ壁画である。そして、彼の壁画はクリチバという都市、風土のイメージを膨らませる。クリチバ市の辿ってきた歴史、そこで暮らす人々の日常・生活、文化的な活動・・・それらのことを、この壁画は見事に表現している。そして、そこにはポジティブな空気が溢れている。ポティの壁画によって、そこに住む人々にとっては自分達の日々が客観化され、都市や人々と自分の関係性が確認される。そして、外からの訪問者には、クリチバという都市の理解を促進させる効果がある。百聞は一見にしかず、という言葉があるが、この壁画がもたらす視覚的情報は、まさに百聞の文字情報に勝るものがある。そして、それはポティという天才の偉大性とともに、都市における壁画というメディアの有効性をも我々に気づかせてくれる。
 レルネル氏は、『都市の鍼治療』のエッセイで次のように続けている。

「都市を合理的、理論的に分析することは可能であるが、都市には天才が必要であることは揺るぎもない事実である。都市は多くのものを必要とする。しかし、天才が必要であるということを理解することは、都市を解釈するうえでとても重要なことなのである。」

 そして、それを理解しているレルネル氏が市長をやったことで、クリチバ市において、ポティという天才を見事に活かし、それが都市の魅力を、そして都市のアイデンティティを強化することに成功したと考えられる。1970年から1980年にかけてポティのクリチバの作品が少なく、レルネル氏が3期目の市長をやった1990年以降、急速にクリチバ市での作品が増えているのは偶然ではないであろう。
 その都市にゆかりのある天才がいれば、その都市の魅力を創造するために活用すべきであろう。それは、ほぼ外れがない「都市の鍼治療」であると考えられるからだ。

【参考資料】
クリチバ市のホームページ(https://www.curitiba.pr.gov.br/noticias/acao-educativa-convida-publico-para-visita-mediada-on-line/55865

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