093 ハバナの都市有機農業 (キューバ共和国)

093 ハバナの都市有機農業

093 ハバナの都市有機農業
093 ハバナの都市有機農業
093 ハバナの都市有機農業

093 ハバナの都市有機農業
093 ハバナの都市有機農業
093 ハバナの都市有機農業

ストーリー:

 キューバの首都ハバナは人口220万ほどの巨大都市であるが、国をあげて都市農業を支援している。その支援が開始されたのは1990年代。ソ連が崩壊して、さらにアメリカの経済封鎖が強化されたために、経済的な苦境にたたされたキューバは、圧倒的な物資不足・食糧不足に対応するために都市を開墾することにしたのである。しかも農薬や化学肥料も手に入らなかったために、有機農業である。
 ただ、その後、生産量を伸ばし続け、野菜だけでなく肉・穀類までをも生産するようになっており、その都市農業政策は世界からも注目されている。
 吉田太郎氏が著した『200万都市が有機野菜で自給できるわけ』によれば、「(ハバナ市)全体では、家庭菜園、個人農家、企業農場、協同組合農場、自給農園など8000を超す都市農場や菜園があり、これを3万人以上の市民が耕している。野菜や農作物で約1万5000ヘクタール、畜産業も含めると約2万9000ヘクタールに及ぶ」ということであるから、短期間で相当の土地を農地へと転換させたことが理解できる。これはハバナ市域の4割が農地として使われているということだ。
 また同書では、カストロ議長に都市農業のプログラムを提案した元キューバ国防軍のショーウェン将軍に取材をしているが、それによると、キューバは人口の約80%が都市部に集中しているので、都市には一番労働力があり、都市で農業をすることはまったく可能であるし、食糧不足に対応する非常に手っ取り早い手段であると考えたと述べている。
 ただし、ハバナには労働力はあっても、農地としての適地は少なかった。多くの土地はコンクリートで被覆されていたし、また土があったとしても痩せていたからである。そこで、「オルガノポニコ」というコンクリートのブロックで囲いをつくり、その囲いの中に堆肥などを混ぜた土をいれ、そこで集約的に生鮮野菜などの作付けを行うことをしている。
 そして、国は農業をする市民には土地を貸し出すという制度をつくり、農業指導員、農業研究者などの人材の充実を図り、土地利用計画的にも農業的土地利用を最優先させることにした。
 その結果、ハバナ市においては生鮮食品の90%が地元で生産されることになる。また、2003年ではキューバ国民の20万人が新たに農業に従事しているなど、雇用も多く創出させることに成功した。
 首都を耕すという非常手段を選択したキューバは、一人の餓死者も出さず、ハバナ市は有機農業で野菜を完全自給できるようになり、未曾有の経済危機を見事に克服することに成功したのである。

【参考資料:吉田太郎『200万都市が有機野菜で自給できるわけ』】

キーワード:

有機農業,都市農業,サステイナビリティ

ハバナの都市有機農業 の基本情報:

  • 国/地域:キューバ共和国
  • 州/県:ハバナ市(La Habana)
  • 市町村:ハバナ市
  • 事業主体:キューバ国
  • 事業主体の分類:
  • デザイナー、プランナー:フィデロ・カストロ、モイエス・ショーウォン
  • 開業年:1990年代

ロケーション:

都市の鍼治療としてのポイント:

 ル・コルビジェ等が主導した近代建築国際会議(CIAM)において1933年に発表された「アテネ憲章」。それは新たな機能都市の構築そして既成の都市の改造を促すことを宣言した。そこで描かれた都市で農業を行うというのは前近代的であると捉えられた。農業はあくまでも農村で行われるものであると捉えられたのである。
 しかし、そのように捉えられた都市は、その時点で自立的ではなくなる。都市に食糧を提供する農村、または都市に食糧を輸出してくれる他国・他地域があって初めて存在を維持出来る極めて脆弱な存在となる。
 キューバは計画的に、都市有機農業を目指した訳ではない。経済危機以前は、食糧の57%(カロリーベース)を輸入に依存していた。1989年から1993年にかけてGDPは193億ペソから100億ペソと減少し、同期間、食糧輸入量も半減した。社会主義であるにも関わらず、1993年末には多くの工場が閉鎖を余儀なくされたために失業率は40%にまで及んだ。
 このような状態で、やむなく都市農業という起死回生の策に手をつけざるを得なかったというのが実情であろう。多くの人が農業を営むようになるが、これも高い失業率、また医者やエンジニアといった専門職であっても給料が極めて低く設定され、生活していくこも難しかったために転職を余儀なくされた、というのが、筆者が現地を取材しての印象である。有機農業というのも、理想としての有機農業というよりかは、化学肥料も農薬もないために有機農業でやるしか選択肢はなかった、というのが実態だったのではないかと邪推をしている。
 ただ、その結果、ハバナ市は世界の都市の中でも持続可能性、そして自立性を高めることに成功した。サステイナブルな開発が世界中で模索されている中、都市農業、しかも有機都市農業は熱い注目を浴びている。化石エネルギーの枯渇、原子力エネルギーの危険性が露呈されている中、食糧の輸送コストも看過できなくなっている。
 未曾有のピンチを脱するための窮余の策であったかもしれないが、結果的に、都市のサステイナビリティを向上させる多くの示唆をハバナ市の有機都市農業は提供してくれることになった。それは、まさに起死回生の「ツボ」押しであったのではないかと考えられる。

類似事例:

186 プリンツェシンネン菜園
193 羽根木プレーパーク
198 フィルバート通りの階段
243 コウノトリと共生するまちづくり
294 シモキタ園藝部
・ ガーデン・パッチ、バークレイ(カリフォルニア州、アメリカ合衆国)
・ クリスタル・ウォーター、クイーンズランド州(オーストラリア)
・ バンコクのアーバン・ガーデン、バンコク(タイ)
・ トッドモーデン、ヨークシャー(イングランド)
・ コリングウッド・チルドレンズ・ファーム、メルボルン(オーストラリア)
・ イサカのエコビレッジ、イサカ(ニューヨーク州、アメリカ合衆国)
・ サウス・セントラル・ファーム、ロスアンジェルス(カリフォルニア州、アメリカ合衆国)
・ アーバン・ユース・ファーム、サンフランシスコ(カリフォルニア州、アメリカ合衆国)
・ ファゼンダ・クリチバ、クリチバ(ブラジル)