260 大内宿の景観保全(日本)

260 大内宿の景観保全

260 大内宿の景観保全
260 大内宿の景観保全
260 大内宿の景観保全

260 大内宿の景観保全
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260 大内宿の景観保全

ストーリー:

 大内宿は江戸時代に日光と会津若松とを結ぶ会津西街道につくられた宿場町である。会津西街道は会津藩だけでなく、新発田藩、村上藩、米沢藩の参勤交代に使われた。山に囲まれた大内宿は宿場町として発展し、本陣や旅籠、問屋などがつくられ栄えていく。しかし、明治時代になり、街道制度もなくなり、鉄道が現在の東北本線のルートで開通することで、その重要度は極端に低下し、宿場としての地位を失い、衰退していく。
 ただ、そのため茅葺屋根の民家が軒を連ねる江戸時代の街並みが昭和になっても残ることになる。とはいえ、戦後は近代化の波にさらされる。1946年には電気が引かれ、1960年代後半には簡易水道も引かれる。
 そのような中、大内宿の価値を「発見」したのは相沢韶男氏(のちの武蔵野美術大学教授)である。1967年、まだ学生だった相沢氏は茅葺きができる職人を探して大内宿に訪れ、その景観に驚く。それを保全することの必要を考えていた時、大内宿の真ん中の道路が県道として舗装整備される計画があることを知る。総額120万円で、建設省(当時)と福島県の労政課による補助事業で、道路の脇を走る二本の用水の間隔は5メートル60センチであったが、さらに家側に10センチずつよせて、20〜30センチメートルほど道を拡げる計画であった。ここで舗装がされてしまっては大変だということで、相沢氏は動き始める。そして、1969年には武蔵野美術大学教授の宮本常一氏の力を借りて文化庁へ報告、その保存を訴える。文化庁はすぐ「重要民俗資料」として指定すべきものと判断し、動き始める。翌月には朝日新聞が大内宿について報道。そのインパクトは大きく、県道のアスファルト舗装はされることにはなるが、計画とは違い簡易舗装となる。大内宿の住民達も自分たちの集落の価値に驚いたのであろう。その年に既に有志が長野県妻籠宿へと調査見学に行っている。
 当時、国としても伝統的建造物群を保存することの重要性を理解し始めていた。1976年には重要伝統的建造物群保存地区国庫補助要綱を制定する。大内宿の保存を求める世論も高まったが、1977年には大内宿は伝建地区の選定を受けないと県に報告する。これは、マスコミが大内宿を報道する際に、「まだ、こんな貧しい村がある」と報道したことに大内宿の人たちが強く不快感を覚えたからだと言われている。それから2年間は保全活動も中止し、茅葺き屋根をトタン屋根に履き替える者も少なくなかった。しかし、1979年になると福島県、さらに文化庁がその保存について要請をする。大内宿の住民達の中でも、昔の景観と共存することが大切だという声が大きくなってきた。そして、景観保全の方向性に逆に舵を切ることになり、1981年には宿場町としては妻籠宿、奈良井宿に次いで全国3番目に重要伝統的建造物群保存地区に選定され、大内宿を含む前後10キロには旧会津西街道の石畳や、三郡境の塚、茶屋跡、一里塚、馬頭観世音碑などの遺構が見られることから国指定史跡に指定された。大内宿保存会もこの年に創設される。これ以降、保存運動にも力が入り再び茅葺屋根に戻す民家が増え始めた。
 1983年に東側に生活道路が整備され、1986年には西側の生活道路が整備される。これに伴い、街道筋に立っていた電信柱をこれらの生活道路に移転することが可能となり、1989年には電柱の移転工事が完了する。そして、1994年から文化庁の「歴史の道」事業の調査が入り、1995年から事業に着手、1996年の建設省(現在の国土交通省)の「ウォーキング・トレイル事業」も加わる。そして、1997年には駐車場が整備される。そのような流れの中、1999年の伝統的建造物群保存地区保存審議会において舗装については以前の地道に復原することが決定。2000年にはアスファルトが撤去されて地道となる(中村・黒田、2010)。
 この道路は、また「アダプト・ロード・システム」を導入している。これは、道路の管理者としての権限を一部、行政から地域住民へと委譲するものである。大内宿の町並みは個々の伝統的な建物だけでなく、地域住民らの手により町並み保存活動が執り行われている。
 こられの努力の積み重ねは、2005年の「手づくり郷土賞大賞」(国土交通省)受賞へとつながる。これを受賞した後には大内宿保存会は住民憲章をつくる。この住民憲章では「売らない、貸さない、壊さない」の三原則を住民へ呼びかけた。さらに、茅葺き職人の高齢化等に伴う技術継承という課題に対しては、「大内宿結いの会」をつくり、その技術を地域で守り継いでいくように試みている。
 「手づくり郷土賞大賞」(国土交通省)以外にも、2007年に「美しい日本の歴史的風土100選」(古都保存財団)を受賞、2009年には平成百景(読売新聞社)に選ばれる。
 コロナ禍の前までは年間100万人近くの観光客を集客する県内を代表する観光地ともなっている。

キーワード:

アイデンティティ, 道路, 伝統的建造物群保存地区, 景観

大内宿の景観保全の基本情報:

  • 国/地域:日本
  • 州/県:福島県
  • 市町村:下郷町
  • 事業主体:下郷町、大内宿住民
  • 事業主体の分類:自治体 市民団体 個人
  • デザイナー、プランナー:相沢韶男等
  • 開業年:1981年(重要伝統的建造物群保存地区)

ロケーション:

都市の鍼治療としてのポイント:

 大内宿は、江戸時代、会津若松と日光今市とを結ぶ下野街道の山間部につくられた宿場町であった。全長約450メートルの往還に沿い、道の両側に妻を向けた寄棟造の茅葺き民家が 47軒、ほぼ等間隔に並ぶ、その日本の歴史を今に伝える景観は極めて貴重な資源であると考えられる。ここで等間隔であるのは、ここを宿場町として開発する際に一戸40坪と定められたためである。
 さて、この人々に郷愁と懐かしさを覚えさせるこの風景であるが、40年前ぐらいの写真をみると道路は舗装されており、電信柱も通っており、トタン屋根の家も少なくない。それなりに風情があるが、現在のような訪れるものを圧倒させるような迫力はない。
 現在、我々が大内宿で体験できる景観は、大内宿の住民が、江戸時代を彷彿させる風景を取り戻し、それと共存する、と決意を決めた40年前からつくりはじめた景観である。そういう意味では、個々の建物のインテリアはともかくとして、茅葺きの屋根などは、新たに葺いたものであったりする。道路も敢えて電信柱をなくし、アスファルト舗装を剥がしたので、元からそのような状態であった訳ではない。しかし、それらはその前に比べて、大内宿の風景として遙かにふさわしいし、しっくりくる。オーセンティシティを感じる景観である。
 このような「つくられた」景観は、しかし、ディズニーランドのようなフェイクな景観とは違う。なぜなら、それは、大内宿という場所に伝統的にあった風景であり、伝統的な技術によってつくられた景観であるからだ。現在、大内宿には15軒のそば屋がある。これらのそばは、皆、大内宿の田んぼでつくられたそばを、そこの住民が打っているそばなので、皆、味が違って個性がある。その「土地性」を感じることができる。風景、建築物、そば。みな、大内宿という土地が生み出したものであることが、本物さ(オーセンティシティ)を我々に感じさせる。そのような環境を見事に今日まで維持できたことが、大内宿から我々が学ぶ重要な点かと思われる。
 さて、しかし、最近ではこの本物さが揺らぎはじめてもいることが、取材からもみえてきた。まず、「本物さ」が最大の大内宿の価値であるにも関わらず、嘘を述べる人が増え始めているということだ。例えば、大内宿でつくっていない商品を、あたかも大内宿でつくっていると宣伝して売る人や、名物のねぎそばの嘘のエピソードなどを平気で語る人が現れ始めている(私も実際、聞かされた)。さらに大内宿に観光客が多く訪れたことで、豊かになった若い世代の一部が、大内宿に暮らさずに通勤するようになっている。暮らし、生活感がなくなると、生活空間の大内宿の価値が減衰し、ただの商店になってしまうことが危惧される。実際、空き家も増え始めており、「売らない、貸さない、壊さない」の住民憲章の三原則が危機的状況にあるのが実態のようだ。
 このように、将来的にも安心できる状態であるかは不明ではあるが、少なくとも、現時点においてこれだけの風景をしっかりとつくりあげていることは、住民の情熱の賜物であるし、日本人の一人としても大変有り難いことだと思う。

【参考資料】
下郷町教育委員会『大内宿の民家と集落:下郷町大内宿伝統的建造物群保存対策調査報告書』(2019)
相沢韶男『この宿場、残して!』(2001)ゆいでく有限会社
中村瑶子、黒田乃生著「伝統的建造物群保存地区における街路舗装の現状と課題」、日本建築学会計画論文(2010年)75巻657号, pp.2729-2735

【取材協力】
下郷町役場、浅沼喜恵子(住民)

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