233 グラン・プラス(ベルギー)

233 グラン・プラス

233 グラン・プラス
233 グラン・プラス
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233 グラン・プラス
233 グラン・プラス
233 グラン・プラス

ストーリー:

 グラン・プラスはベルギーの首都、ブリュッセルをまさに象徴する広場である。ブリュッセルの中心部に位置しており、人々のイメージの面でも地理的な面でも、それはブリュッセルの心臓のようなものである。約110メートル×70メートルの長方形の形状をしており、ファサードを形成する建物が一つの絵画のように調和されている。また、これらの建物はこのグラン・プラスがつくられた時のこの場所の政治的・経済的な重要性をも示している。この広場の素晴らしさは、これらファサードを取り囲む建物にある。
 グラン・プラスの原型ともいえる市がこの場所に立つようになったのは10世紀頃だと推測されている。そして11世紀の終わり頃には、ここに屋外市場が設置される。さらに13世紀になると、屋内市場がグラン・プラスに隣接して設置され、徐々に市場を囲むように建物がつくられるようになる。
 14世紀からは広場周辺の建物においても商いが行われるようになる。このころはまだ無秩序に建物がつくられたりしたが、ブリュッセル市はこの頃から、広場の空間的定義がなされるように建物を収用したり、倒壊したりするようになる。市役所がグラン・プラスに建てられたのは1455年である。そして、1536年にはブラバン侯爵が巨大な建物をつくり、これは「王の家」と命名された。とはいえ、王がここに住んだことはない。そして、これらの建物の間に裕福なギルドの商人たちが豪華絢爛な建物をつくっていく。
 そして、1695年、ルイ14世の軍隊によってブリュッセルの市街地は破壊される。ブリュッセルが北ヨーロッパの商都として、その繁栄を極めている時に遂行された壊滅行為は3日間に及んだ。しかし、ブリュッセルはその都心部を再生するために、市長のもと、ギルドの商人達が大事業を遂行し、その結果、つくられたのがグラン・プラスであった。それは、市役所のしっかりした建築管理のもとで遂行されたこともあり、ルイ14世の蛮行への意趣返しを意図したかのように、広場を囲む建築物は美しい調和を奏で、その煌びやかな装飾はパリのどんな広場よりも贅沢で瀟洒なものとなった。そして、それは破壊以前の広場の形状を維持し、建物もそれまでのブリュッセルの栄華を後世に伝えるべく、当時の新しい建築意匠ではなく、バロック、ゴシックなどが混在していた従来の通りに再生した。これもフランス軍への破壊への強い抵抗であったと推察される。
 それから現在にまで続く200年間でもグラン・プラスはいろいろとダメージを受けた。1852年にはレトワール・ギルドハウスが倒壊された。しかし、これが転機となり、グラン・プラスをしっかりと保全することの意識が芽生え始める。世界遺産の指定の際の理由でも「19世紀後半のしっかりした保全事業によって維持されることになった」と記されている。そして、詩人ジャン・コクトーが「豊穣なる劇場」と形容するような広場が実現されるのである。
 1990年にはグラン・プラスから自動車が排除され、ブリュッセルの歩行者地区の一部を構成している。そして、1998年には世界遺産に指定される。その理由として「グラン・プラスは12世紀にその起源を有し、1695年の大破壊の後も再生されたそのオーセンティシティは否定しようがない」と述べられている。ドイツのウェブサイトのアンケート調査で、2010年にはグラン・プラスはヨーロッパで最も美しい広場に選定される。

キーワード:

広場,アイデンティティ,世界遺産

グラン・プラスの基本情報:

  • 国/地域:ベルギー
  • 州/県:ブリュッセル首都圏地域
  • 市町村:ブリュッセル市
  • 事業主体:ブリュッセル市
  • 事業主体の分類:自治体 
  • デザイナー、プランナー:
  • 開業年:15世紀頃
  • 再開業年:1695

ロケーション:

都市の鍼治療としてのポイント:

 ベルギーの首都、ブリュッセルで最も重要な都市空間はグラン・プラスであることは論を俟たないであろう。
グラン・プラスがなぜ、現在の輝きを有することになったのか。それは、グラン・プラスは頑なにそのアイデンティティを維持してきたからである。グラン・プラスという広場の大きな特徴としては、教会などの宗教施設関連の建物が一切ないということだ。これはブリュッセルという商都のアイデンティティをまさに具現化したような広場でもあるのだ。
 また、グラン・プラスは世界遺産に指定された後も、そこを博物館のようにするのではなく、日常的な公共空間として今でも様々な催し物を開催している。こうしたところも、ここの魅力を増している。特に有名なのは二年ごとに開催する「花絨毯」である。これは50万株以上の様々な色のベゴニアを、広場に設けられた24×77メートルの枠内に模様を描くように配置するものだ。これは1971年に最初に行われたのだが、あまりにも人気が出たために隔年の8月に開催するようになった。他にもチャールス5世を記念したパレードや、クリスマス・フェスティバルなどが行われる。
 グラン・プラスを訪れると、なぜこのように見事な公共空間が実現できているのか、感嘆するとともに不思議にも思う。建築家であり環境デザインの研究者でもある日色真帆氏は、このグラン・プラスの素晴らしさの理由を「広場を構成するものも、そこで行われることも、頑なまでに保守されてきたのである」と述べている。しかし、広場自体の空間は変革しているし、また行われていることも変化はしている。グラン・プラスの象徴的イベントとなった「花絨毯」はまだ40年の歴史もないし、クリスマス・ツリーのイベントもそんなに昔から行っていたわけではない。むしろ、大きな分岐点は、17世紀終わりのフランス軍に破壊された後の再建に関して、しっかりと行政が管理をしたこと。さらに、19世紀末から20世紀にかけてブリュッセルの都市デザインが非常に高い先見性を用いた人たちに担われたからであろう。都市計画研究者の田中暁子氏は「ブリュッセルの広場の美しさは19世紀末から20世紀にかけて、歩行者の視点や建物と公共空間の一体感を大事にした都市設計が行われてきたからである」と指摘する。その後、第二次世界大戦後は乱開発ともいうべき配慮が欠けた都市再開発も展開されたが、それでも、都心部には親密なヒューマン・スケールの、快適であり、美しい豊かな都市空間が息づいているのは、20世紀初頭においてしっかりとした都市デザインの指針が打ち出されたからであろう。

【参考資料】
ユネスコ世界遺産のホームページ(https://whc.unesco.org/en/list/857/)
『空間演出』「グラン・プラス」日色真帆、日本建築学会(編)、井上書院
『都市美』「ベルギーの都市美運動」田中暁子、学芸出版社

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