229 サンフランシスコのケーブルカー(アメリカ合衆国)

229 サンフランシスコのケーブルカー

229 サンフランシスコのケーブルカー
229 サンフランシスコのケーブルカー
229 サンフランシスコのケーブルカー

229 サンフランシスコのケーブルカー
229 サンフランシスコのケーブルカー
229 サンフランシスコのケーブルカー

ストーリー:

 サンフランシスコは太平洋とサンフランシスコ湾に三方を囲まれた半島の先端に位置する都市である。地形は丘陵地が広がり、場所によっては崖が発達しているような土地である。そのような土地であるにも関わらず、都市の基礎をつくっていた時の市長であったジャスパー・オファレルは、地形を無視した格子状にて区画割りを行った。その結果、これらの区画を区分する道の坂が急すぎるために多くの土地は道路が整備されてもあまり開発されることがなかった。
 その状況を大きく変えたのがケーブルカーである。そのきっかけはジャクソン・ストリートの坂があまりにも急であったため、馬車が登り切れず死亡事故が起きたことであった。この事故にショックを受けたアンドリュー・ハリディーは、ケーブルカーを1873年に敷設した。このケーブルカーは、それまで未開発であった丘陵地区の開発を促し、1890年には24路線がつくられることになる。他の都市も、このケーブルカーを模倣するところが現れた。しかし、このシステムは19世紀後半につくられたトラムによって次々と置き換えられていき、1906年にサンフランシスコに起きた大地震でもケーブルカーは壊滅的なダメージを受ける。その結果、1912年にはトラムが運行できないほど坂が急な路線を中心に8路線だけが残された。
 その後も廃線が続き、1947年に当時の市長であったロジャー・ラプハムはサンフランシスコ市が運営していたパウエル・ストリートを走る2路線を廃線にすることを提案する。それに対して、地元の名士で、サンフランシスコ・ビューティフルという組織を1947年に設立したフリーデル・クラスマンは、それを阻止するためのグラスルーツの運動を展開した。クラスマンの活動は、市民のケーブルカーへの愛着をかき立て、エリノア・ルーズベルト元大統領夫人や経済界のリーダー達の支援までも得ることになる。そして、市が所有していたパウエル・ストリート線を維持することを市の義務とする住民投票で問うところまでもっていき、その投票結果は保全に賛成が16万6989票、反対が5万1457票で、見事、ケーブルカーを保全させることに成功する。そして、1966年にはサンフランシスコのケーブルカーは国家歴史ランドマークに指定されることになる。
 1979年にはケーブルカーは老朽化から安全上に問題が生じ、その修繕に7ヶ月間ほどかかると見積もられた。そして、そのための修繕費は6,000万ドル(約70億円)ほどかかることになり、当時のダイアン・ファインスタイン市長は連邦政府から補助金を取ることに成功し、無事、1982年には修繕は終了し、1984年には営業を再開した。
 現在、ケーブル・カーは3系統走っている。パウエルーメイソン(2.6キロメートル)、パウエルーハイド(3.4キロメートル)、カリフォルニア・ストリート(2.3キロメートル)である。停留所数は62箇所。12の両頭車と28の単頭車がある。
 そもそもは地元住民のためにつくられたケーブルカーであるが、大観光都市サンフランシスコにおいては、その多くの利用は観光客によって占められるようになっている。年間利用者は740万人前後である。それは、アメリカで唯一の「動く」国家歴史ランドマークであるのだ。

キーワード:

ケーブルカー,公共交通

サンフランシスコのケーブルカーの基本情報:

  • 国/地域:アメリカ合衆国
  • 州/県:カリフォルニア州
  • 市町村:サンフランシスコ市
  • 事業主体:サンフランシスコ交通局(San Francisco Municipal Transportation Agency)
  • 事業主体の分類:自治体 
  • デザイナー、プランナー:アンドリュー・ハリディー(Andrew Hallidie)、フリーデル・クラスマン(Friedel Klussmann)
  • 開業年:1873

ロケーション:

都市の鍼治療としてのポイント:

 サンフランシスコのケーブルカーは、現存する手動式の最後のケーブルカーである。このケーブル・カーは線路の下を走るケーブルをグリップという巨大なペンチのようなもので掴むことで移動し、さらに放すことで止まるというものである。つまり、リフトにおけるケーブルが空中ではなく地下を走っているようなものであろうか。ケーブル・カーに乗車して、このグリップを操作している人は「グリップ・マン」と呼ばれている。また、車掌も同乗しており、運賃を回収する。このようなレトロなケーブルカーが今でも現役で走っているのは世界中でサンフランシスコだけである。自動車を始めとした乗り物がコンピュータ化している21世紀において、なんともいえずアナクロな乗り物だ。
 そして、それはサンフランシスコという都市の象徴でもある。なぜなら、その傾斜が厳しい丘陵地という地形においては、19世紀においては、このケーブルカーというシステムが最も適していたからだ。それ以前は馬車で移動していたが、それを牽引する馬がこの坂で馬車を支えきれず転落するという悲惨な事故が起きていた。ケーブルカーは最高速度でも20キロメートルも出ない、自転車と同じぐらいのスピードの乗り物である。しかし、このゆったりとしたペースがアメリカの都市ではめずらしいヒューマン・スケールのサンフランシスコではしっくりとくる。それは、サンフランシスコのような例外的な地形を有する都市ゆえに生き残った乗り物でもあり、サンフランシスコの個性を見事に表現している。
 そして、その歴史の古さから、これに乗るとタイムスリップしたような体験をすることができる。それが博物館ではなくて、実際の現役の都市交通として体験できることがサンフランシスコのユニークな魅力になっている。
 私事で恐縮だが、サンフランシスコの対岸のバークレイ市に3年間ほど住んでいたことがあったために、遠方から来客があるとサンフランシスコにはよく行った。ケーブルカーに乗るのは、テーマパークでのアトラクションに乗るのと似たような経験ではあるが、サンフランシスコの急坂やゴールド・ラッシュで発展したこの都市の当時の栄華のようなものを感じることができる。そして、何よりロシアン・ヒルを越えた後に展望されるサンフランシスコ湾の絶景。アルカトラズ島やその先に見えるエンジェル島、さらにその背景にそびえるタム山などを展望すると、この都市がいかに美しいランドスケープに囲まれているかを知ることができる。アメリカには、シアトルやソルトレイク・シティなどの風光明媚な都市が幾つかあるが、このケーブルカーという視座を提供しているという点で、サンフランシスコに勝る都市はなかなかないのではと思ったりもする。
 そして、何より、この19世紀の乗り物を21世紀まで維持させてきたのは、市民の強い意志と行動力である。

【参考文献】Renee BrincksのExplore San Franciscoの記事(May 18, 2018)
https://www.wheretraveler.com/san-francisco/play/how-san-franciscos-cable-cars-were-saved-extinction

サンフランシスコ市のバーチャル博物館のウェブサイト
The Virtual Museum of the City of San Francisco
http://sfmuseum.org

類似事例:

124 リスボンのトラム
166 クリチバのバス・システム
171 ナウムブルクのトラム
・ サントスの路面電車、サントス(サンパウロ州、ブラジル)
・ ストリート・カー、ニューオリンズ(ルイジアナ州、アメリカ合衆国)
・ 世田谷線、世田谷区(東京都)
・ 都電荒川線、豊島区・北区・荒川区等(東京都)
・ 世界最古のモノレール、ヴッパータール(ドイツ)
・ ドレスデン・サスペンション鉄道、ドレスデン(ドイツ)
・ フロイエン・ケーブルカー、ベルゲン(ノルウェー)