224 今井町の歴史的街並み保全(日本)

224 今井町の歴史的街並み保全

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224 今井町の歴史的街並み保全
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ストーリー:

 奈良県橿原(かしはら)市にある今井町は、中世末に建設された町並みが今なお保全されている、日本においても希有な場所である。今井町の重要伝統的建造物群保存地区(以下、重伝建地区)は、東西600メートル、南北310メートルの旧環濠に囲まれた地域であり、16世紀に浄土真宗門の今井兵部豊寿によって築かれた宗教的自治都市であった。そこには、近世から近代にわたる700余りの住宅が建ち並び、往時の町場が基本的に保持されている。今井町は明治以前の建物が6割を占めているのだ。
 今井町の価値は、1955年頃に「発見」される。そして、東京大学や奈良女子大学を始めとする大学、文化庁による今井町の調査研究によって、今井町の建築や町並みの価値が明らかになっていき、今井町において代表的な民家である今西家が1957年に重要文化財に指定されるのを嚆矢として、七軒の古民家が国の重要文化財に指定される。さらに、この貴重な歴史的財産を保全しつつ、生活環境を改善するという重要な課題を住民、橿原市は課せられることになるのだが、その道のりは平坦ではなかった。
 今井町の町並みが崩壊していくことに危機感を覚え、最初に保存の声をあげた今井町の住民は、「今井御坊」とよばれる寺内町今井の中心的寺院である称念寺の住職、今井博道氏であった。彼はこの町を築いた今井兵部豊寿の子孫であった。彼は賛同者とともに、1971年に「今井町を保存する会」を発足し、自ら事務局長となって活動を開始した。早速、取り組んだのは都市計画道路の変更の申し入れである。今井町には、1962年に町内を貫通して設定されていた2本の都市計画道路があった。この計画が実施され道路が拡幅されれば町並みは失われ、今井町は過去のものとなってしまったであろう。「今井町を保存する会」はその計画の変更を申し入れ、それを受けた市長が道路計画の棚上げを表明する。1974年、妻籠や有松といった歴史的町並みを有する地域づくり団体と連携し「町並み保存連盟」を発足させる。
 1975年、文化財保護法が改正され、重伝建制度が創設される。これは「今井町のためにつくった」と言われるほど、今井町の町並み保全を意識していたが、それが選定されるまでには長い時間がかかることになる。その原因は住民合意が欠如していたからである。しかし、1975年に三浦市政が橿原市に誕生し、三浦市長自身も徐々に今井町の歴史保全の重要性を認識していくと、変化が見え始める。1982年に「歴史的地区環境整備街路事業」が制度化されると、これを実施することで住環境をよくできるという行政の住民への説得材料として使われた。そして、棚上げとなっていた都市計画道路は、二本とも1988年に廃止され、今井町の外側を迂回する道として整備されることになった。
 「今井町を保存する会」は1988年に「今井町町並み保存会」と改称され、保存へ向けて住民サイドから取り組む会へと変化していった。1990年には「橿原市伝統的建造物群保存地区条例」の制定に関して自治会総会で全会が同意をし、それを受けて同年、同条例は市議会で可決され、交付される。これは、伝建地区指定の前提として位置づけられる条例であった。しかし、その翌年、伝建地区指定の再考を求める「今井町町並み保存を再考する会」が結成される。この会は、伝建地区指定によって経済的な不利益を生じる可能性があることや私的権利が侵害されることから、その指定に反対であることを主張していた。その後、この会と保存会、青年会との丁寧な議論の積み重ねによって、新たに「今井町町並み保存住民審議会」が1992年に発足した。これは、住民総体の意見の集約ならびに調整をすることを目的としたものだが、その規約案には次のような文章が記されていた。『(前略)保存と生活の調和を保った活力ある今井町をつくるために、市長・教育長ならびに保存審議会に対し建議できる審議会を設置し、今井町の歴史と文化の継承を踏まえて住民自らが保存計画等に参画することを目的とする』。住民組織が市長等に「建議できる」という規約案であったが、それを橿原市は了承する。この住民審議会が受け入れられたことで、伝建地区選定に向けて住民は同意をすることになる。そして、1993年3月に「今井町伝統的建造物群保存地区」が決定し、同年12月に国の重要伝統的建造物群保存地区に選定される。重伝建制度がつくられてから18年もの年月が流れていた。
 ただ、この18年間は今井町にとって、決して無駄なものではなかった。というのも、この話し合い、交渉の時間は今井町にとって歴史的町並み以上に重要なものを保全したからである。それは、寺内町である今井町の「自治精神」である。今井町の将来は、国、自治体ではなく今井町の住民で決めていく。それを「保全した」のが審議会の「規約案」であった。

キーワード:

歴史的町並み保全,市民参加

今井町の歴史的街並み保全の基本情報:

  • 国/地域:日本
  • 州/県:奈良県
  • 市町村:橿原市
  • 事業主体:今井町町並み保存会
  • 事業主体の分類:市民団体
  • デザイナー、プランナー:今井博道 他
  • 開業年:1971

ロケーション:

都市の鍼治療としてのポイント:

 今井町の町並み保全の活動史については、学芸出版社から『今井町 甦る自治都市』という著書に非常に丁寧にまとめられており、上記の記述もこの本に多くを負っている。今井町について、詳しく知りたい方は、是非ともそちらを参考にしてもらえればと思う。
 この本は、今井町の町並み保存に取り組んだ多くの人々の声を拾い上げてまとめたものだ。今でこそ、町並み保全についてはその嚆矢として広く知られているが、町内においては様々な異見が存在し、町並み保全への合意形成が難しかったことにも言及している。そして、反対意見は現在もあるという。しかし、そのような対立がむしろ、町に緊張をもたらし、自律的でバランスのある自治経営を生み出していると述べている。
 今井町の町並みは美しい。日本人として誇りにしたくなるような、外国人に自慢をしたくなるような空間である。しかし、その空間は単に古い建築をしっかりと保全するといっただけでなく、そこに住む人々の、今井町という自治都市をしっかりと運営し、次代に引き継ぐといった覚悟、気概のようなものが感じられるからこその美しさなのではないか。上述した本を読み、さらに町の人達に話を聞くことで、今井町の凜とした空間の美しさは、単なるテーマパークや観光地が有していない、人々の自治都市に対するコミットメントから生じているのであろうことが見えてきた。
 国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されるのは、今井町で東京大学による最初の民家調査が実施されてから約37年、住民による最初の町並み保存運動が行われてから約22年、今井町を保全することを意識して文化財保護法が改正されてから18年も経ってのことであった。ただ、この期間、多くの人々がそれぞれの立場から今井町の将来を考え、積極的に活動や議論に参加してきたというプロセスこそが、寺内町今井のまさにアイデンティティであり、町並みと同じように保全すべきものではないのだろうか。
 そして、それはイタリアのシエナやボローニャなどの都市の美しさとも通じる背景であり、なぜ企業が美しい都市空間をつくれないかの理由を考えるヒントにもなるのではないだろうか。
 当時、東京大学の助手をしていた時、今井町の価値を「発見」した伊藤ていじ氏は、1993年に開催された「今井の町並みシンポジウム」の基調講演で次のように述べている。
 「今井の町は偶然残ったんじゃないんです。文化に対する主体性、力を持っている。上質の建物を持っている。もう一つ、心を持っているから残ったんですよ」
今井町の町並み保全は「都市の鍼治療」のようにツボを抑えることで、劇的に状況を変えるというようなものではない。それは、時間をかけてじわじわと効果を出していくようなものである。そもそも、その法律がつくられた前提でもあった今井町が、伝建地区に指定されるまでには18年の時間がかかった。効果が現れなかったら、また違うツボを押さえる。副作用が生じたら、それにまた対応する。最終的に住民の人達が合意形成を図るうえでは、極めて民主主義的なプロセスを丁寧に積み重ねていく。そして、反対意見の人も、右に倣えではなく、しっかりと主張していく。そういった点から、この事例は「鍼治療」なアプローチとして紹介することには異論もあるだろう。食事療法のような気長なアプローチとして捉えるようなものかもしれない。ただ、日本のアイデンティティを保全し、次世代に継承していくことにおいて、今井町の町並み保全はまさに「鍼治療」的な劇的な効果を及ぼす。グローバル社会において、日本のアイデンティティが問われる時、それが保全されることの意義はとてつもなく大きく、それはまさにツボであると考えられる。
 また、前述したようなコミュニティの資質だけではなく、今井町の町並みを保全することに寄与した大きな政策の方向転換があることも理解しておくことは必要であろう。個人的に今井町の町並み保存のうえでの最大の危機は、1962年に町内を貫通して設定されていた2本の都市計画道路だったであろうと思う。この計画が実施され道路が拡幅されていれば町並みは失われ、今井町は過去のものとなってしまっていたであろう。「今井町を保存する会」は発足して間もない1971年に計画の変更を申し入れ、それを受けた市長が道路計画の棚上げを表明する。そして1988年には都市計画道路の変更が決定し、江戸時代以前の町並みを分断することになる道路は迂回させることが決定された。都市計画道路の変更は極めて難しく、そのような例は多くない。しかし、そのダメージの大きさを事前に理解し、さらにそれをすぐに受け入れ棚上げにした市長。この英断がなければ、現在の今井町はない。これは「都市の鍼治療」的なツボをしっかりと押さえた対応であると考えられる。

【取材協力】米村博昭氏
【参考資料】
渡辺定夫編著『今井の町並み』(同朋舎出版)
八甫谷邦明『今井町 甦る自治都市』(学芸出版社)

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