200 世田谷美術館(日本)

200 世田谷美術館

200 世田谷美術館
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200 世田谷美術館

200 世田谷美術館
200 世田谷美術館
200 世田谷美術館

ストーリー:

 世田谷美術館は世田谷区の砧公園の中に1986年に開館した美術館である。「芸術を心の健康を維持するもの」として位置づけ、日常生活と芸術をつなぐ場を提供している。また、世田谷区には多くの芸術家が存在していることもあり、彼ら・彼女らの作品を展覧会等で紹介するという役割も担っている。さらに、創作活動の紹介、創作実技の講座、ワークショップの開催などを通じて、芸術と多角的に触れ合える機会を提供することで、幅広い年齢層が芸術を身近に感じ、親しめるようにしている。
そして、その設計を『健康な建築』(1985年)の著書で知られる内井昭蔵氏と彼の建築設計事務所のメンバーが手がけた。この著書の発表された年を考えると、内井自身が世田谷美術館を設計する過程を通じて、「健康な建築」に対する考え方の理解を深めていったのではないかと推察される。
 この美術館を設計した内井昭蔵氏は、その設計に際して3つのコンセプトを設けたそうだ。一つ目は「公園美術館」、二つ目は「生活空間化」、そして三つ目は「オープン化」である。これらのコンセプトを掲示して設計案が選ばれた。
これらの3つのコンセプトに関しては、内井昭蔵建築設計事務所で世田谷美術館の設計に中心的に携わった建築家の横山正氏に取材をして、実際に設計をするうえで意識した点などを尋ねさせてもらったので、彼の言葉でそれを説明したい。

■公園美術館
「砧公園は素晴らしい公園である。そこで、公園と建築物を調和させることを何より配慮した。ボリュームが大きい美術館をうまく公園に配置させるために、建物をブロック化し、それを分散配置させることで自然の中に溶け込ませるようにした。
 また、周辺の樹木と建築の高さとの共存を考えた。日本の公園はブッシュが多いのだが、砧公園は元ゴルフ場であったためにブッシュがなくて高木の下の見通しが開ける。そこで建築をできるだけ水平にみせ、自然の構造を暗示させることを意図して、その外観を屋根、壁、そしてその下にある花崗岩の腰によって三層構造にした。さらに、建築の前にパーゴラを置き、水平線を強調した。」

■オープン化
「公園の中にある美術館ということで、それは開かれた美術館でなくてはならない。一般的に美術館は塀などで囲んで、ちょっと行くのに身構えるような敷居の高さがある。しかし、世田谷美術館は、そういうのとは異なり、買い物ついでやジョギングついでに立ち寄れるような美術館を目指した。
 かつて、日本の美術館は収蔵、展示、保管を中心とした考え方をしていた。その中でもどちらかというと保管を重視していて、自然光で作品を鑑賞する展示などは論外。現代アートは人工光でなくても展示ができたりする。展示というスタイルもいろいろとある。多様な表現。そういうものに対応したものをつくっていくことを重視した。」

■生活美術館
「世田谷区には芸術家が多かったので、美術館が欲しいという声は強かった。地域に根ざした美術館、大きい美術館ではなくて身近な美術館。最初からそういう考えが世田谷区にはあった。芸術・生活を繋ぐような美術館というものが求められた。
 そのためにも、どうやって人に来てもらうかが重要となった。世田谷美術館のある場所は遠い。そこに何度も人が行きたくなるようにするにはどうすればいいのか。
 一方、それまでの公共建築は居心地のよくないものが多かった。そこで、居心地のよい公共空間であれば人々は来るのではないか、と考えた。特に目的がなくてもふらっと行きたくなるような、生活空間の延長線上にあるような美術館として位置づけたのである。それを提案して、そして認められた。設計上の工夫としては、ディテールにあると考え、美術館をなるべく住宅に近づけるような工夫をした」

そして、これらのコンセプトを具現化させていくうえでは、大きいテーマとして「健康な建築」を掲げた。当時、形ばかりにこだわった建築が増えていたのだが、内井氏がそのような流れに疑問を持ち始めた時にこの美術館の依頼がきたので、「健康な建築」という、形への拘りよりもコンセプトを体現させる建築をつくることになった。「健康な建築」が重視するのは健康と日常的なことである。日々の暮らしが豊かであれば、身体だけでなく精神的にも健康になる。そのためには、日々暮らす環境である建築が健康でないと駄目であろう。そして、そのためにはディテールが大事だという考えに行き着いたそうだ。「神は細部に宿る」と述べたのは、ドイツの建築家ミース・ファン・デル・ローエで、ディテールの大事さを主張している。これは小さなことに対して、手を抜かないでコツコツとつくるということだが、「この美術館はそういうことができた。いろんなところをみると一つもおろそかにしていない。それを職人さんががんばってつくった」と横山氏は振り返る。
 この作品は毎日芸術賞・日本芸術院賞を受賞しており、内井昭蔵の代表作と評価する人も少なくない。

キーワード:

美術館, 集客施設, オープン化, 公共建築

世田谷美術館の基本情報:

  • 国/地域:日本
  • 州/県:東京都
  • 市町村:世田谷区
  • 事業主体:世田谷区
  • 事業主体の分類:自治体 
  • デザイナー、プランナー:内井昭蔵建築設計事務所
  • 開業年:1986

ロケーション:

都市の鍼治療としてのポイント:

 世田谷区にある砧公園は1939年に東京府が計画した6カ所の大緑地の一つとして設けられた砧大緑地がもととなる。それは、日本の総合的な緑地計画の草分けとなるものであった。自然豊かで広大な公園は、区内においては極めて貴重であったが、1955年「東京都砧ゴルフ場」、1966年「砧ファミリーパーク」になる。その公園内に美術館をつくりたいと世田谷区が要望する。東京都側はその土地を貸すことになるが、その際、いろいろな条件を出す。例えば、公園の木より高い建物はつくってはいけない、などである。この条件の厳しさが、逆に新たな価値を呈示するような美術館の具体化に繋がった。
 そして、既存の美術館の硬直性を、設計という創造的行為によって解放させようとした内井昭蔵と建築設計事務所のスタッフの熱意が、生活美術館、オープン美術館、公園美術館という斬新な視座をもたらし、それを「健康な建築」という大きな理念で包み込むことに成功した。
 これを世田谷区という地場からみれば、それは、生活の延長線上にある美術館の創出ということになる。生活と美術がいわば地続きになり、双方向に影響を及ぼすような作用をもたらす場を世田谷美術館はつくりだしているのである。そして、そのような一般的には異なる概念の境界を曖昧化し、一体化するという理念は、建築物と自然環境という点でも具体化された。緑溢れる砧公園と、世田谷美術館という人工物の建築は、お互いが調和し合うように共存しているような印象を与える。それは、あたかも生態系のようなバランスである。世田谷美術館は、傾きのある壁や波形の曲線など自然的なデザイン・モチーフが多用されている。それらがつくりだす居心地の良さは、砧公園という優れた自然環境の中でさらに昇華されている。
 内井昭蔵氏は「ディテールはあたかも文章における言葉に相当するといえる。人を感動させたり、豊かで味わいのある文章にとって必要なことは、文法のみならず、修辞学が必要なように、コンセプトを肉体化していくにはディテールの追求が建築にとって大変重要なことであるといえる」と述べているが、まさにその考えが世田谷美術館では具体化されているのではないだろうか。
 世田谷区は美術館に「みる、学ぶ」という役割にくわえて、区民が「つくる」機会をも提供できるようにした。そして、世田谷区在住の芸術家に来てもらってワークショップなどをしてもらったりしている。さらに「つくったら当然、発表したい」ということで、発表する場をも提供している。このような運営をすると、おじいちゃんが描いた絵とかを子供達が見に来たりする。建物だけではなく、美術館はソフトが大事であるということを強く、意識したことで、展覧会が特になくても寄るような日常生活の延長にある美術館として機能できるようになった。そして、それを可能にしたのは、内井氏達の透徹した建築への理解であると考えられる。
 しっかりとしたコンセプトに基づいた丁寧で創造的な設計による公共的な建物がつくられることによって、その環境、そして人々の生活も豊かになる。世田谷美術館は、素晴らしい建築をつくることが「都市の鍼治療」であることを我々に知らしめる見事な事例であると考える。

【取材協力】横山正(アトリエワイズ)

【参考文献】
『内井昭蔵のディテール―生活空間としての美術館・世田谷美術館』(内井昭蔵、彰国社)
『再び健康な建築』(内井昭蔵、彰国社)

類似事例:

155 ストックホルム市立図書館
・ルイジアナ近代美術館、フムレベック(デンマーク)
・クレラー・ミューラー美術館、エーデ(オランダ)
・ミロ美術館、バルセロナ(フランス)
・キンベル美術館、フォートワース(テキサス州、アメリカ合衆国)
・国際日本文化研究センター、京都市(京都府)
・ラ・ヴィレット、パリ(フランス)
・浦添市美術館、浦添市(沖縄県)
・サンリツ服部美術館、諏訪市(長野県)
・一宮市博物館、一宮市(愛知県)
・大分市美術館、大分市(大分県)
・群馬県立自然史博物館、富岡市(群馬県)