東北復興は、次世代型まちづくりの手本を示せるのか

連載 東北復興は、次世代型まちづくりの手本を示せるのか

第4回 「復興の現場から(その1)」~持続可能な地域再生へ 地域が主体で考える仮設住宅・高台移転

■内容

はじめに → 動画 http://youtu.be/GzxjebZwrhA

事例1 岩手県陸前高田市「長洞元気村」-強固な絆で、仮設住宅から連続した集落再建をめざす

     → 動画 http://youtu.be/4ZYoqJi3bBk

事例2 宮城県気仙沼市「小泉地区の明日を考える会」-若い世が中心となり、早期の高台移転をめざす

     → 動画 http://youtu.be/nc6xUUeMWB4

事例3 宮城県東松島市「野蒜(のびる)地区復興協議会」-震災前の自治活動を母体として、復興まちづくりを推進する

     → 動画 http://youtu.be/98FxVvZ4yOE

まとめ

第4回レポート全文は以下のPDFでお読みいただけます。

第4回 「復興の現場から(その1)」~持続可能な地域再生へ 地域が主体で考える仮設住宅・高台移転~

企画・制作:公益財団法人ハイライフ研究所 / NPO法人日本都市計画家協会

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はじめに

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震災から2年を経過し、地区によっては、高台移転先の計画がほぼ固まり造成工事に入るなど、復興まちづくりの姿が見え始めつつある。被災地域の方々は、この2年間の経験を糧として、高い意識をもって復興まちづくりに臨んでいる。従来のまちづくりといえば、行政主導の計画のもと、形式的な住民参加のもとで実施されてきた感があるが、今回の震災を契機として、被災地域の住民の少なからずの方々が、自分たちのまちをいかに復興していくかという強い気概のもと、「地域住民主体のまちづくり」を展開しようとしている。

第4号となる本号では、「復興の現場から その1」と題して、持続可能な地域再生に向けて、「自分たちの住むまちは自分たちで考える」という意識のもと、地域の住民の方々が主体となって、仮設住宅での生活運営や高台移転先の計画づくりに取り組む代表的な3地区について、これまでの取り組み経過、現在の取り組み状況、今後のまちづくりの展望等について紹介する。

■住宅再建・高台移転の取り組みの現状(平成25年4月25日現在)

・避難者数は約30万9千人、うち避難所にいる者は125人。避難者のほぼ全てが住宅等に移転済み。仮設住宅は約5万3千戸完成している。

・また、具体の事業着手の前提となる法定手続きが済んだのは、防災集団移転促進事業(大臣同意)が216地区、土地区画整理事業(都市計画決定)が40地区となっている。(すべての画像はクリックで大きくなります)

出典:復興の現状と取組 平成25年4月25日 復興庁

出典:復興の現状と取組 平成25年4月25日 復興庁

■紹介する3地区の広域的位置

図2_2

■今回紹介する3事例の概要

事例1:岩手県陸前高田市「長洞元気村」-強固な絆で、仮設住宅から連続した集落再建をめざす

長洞地区は岩手県陸前高田市の中心市街地から南東7km、広田半島の付け根にある海に面する小さな集落。東日本大震災では集落60世帯の半数が津波に呑まれた。住民自ら地権者と交渉し、集落内に仮設住宅の用地を確保。被災した世帯が集落の中で、一緒に生活できる26戸の仮設住宅団地(長洞元気村)を実現。 現在、同じ集落内にある高台へまとまって移転することを目指している。

事例2:宮城県気仙沼市「小泉地区の明日を考える会」-若い世代が中心となり、早期の高台移転をめざす

合併で気仙沼市に統合された気仙沼市の南端に位置する小泉地区では「自分たちのまちは自分たちで計画しよう」との意識のもと、若い世代が長老世代を説得し「小泉地区の明日を考える会」を立ち上げ、震災後、わずか4ヶ月で高台移転に向けて活動を開始する。専門家探しを自らが行うとともに、住民参加ワークショップを重ね、平成23年度末には約120戸の移転合意を得た。

事例3:宮城県東松島市「野蒜(のびる)地区復興協議会」-震災前の自治活動を母体として、復興まちづくりを推進する

復興まちづくりを住民主体で実施していこうという考えのもと、震災前の平成20年4月に地域の全戸が加入して設立されたまちづくり協議会を母体として、復興部会を立ち上げ活動。現在、復興、医療福祉、産業振興、教育施設、高台移転の5つの専門部会を設置し検討を進める。東松島市が造成する北部丘陵団地及び移転跡地の復興基本計画を作成し復興の推進に向けて継続的に活動している。

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第4回 「復興の現場から(その1)」~持続可能な地域再生へ 地域が主体で考える仮設住宅・高台移転~

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事例1:岩手県陸前高田市長洞元気村-強固な絆で、仮設住宅から連続した集落再建をめざす

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解説 村上誠二氏(長洞元気村事務局長)、戸羽貢氏(長洞元気村村長)、なでしこ会の皆さん 2013/4/20 陸前高田市広田町長洞 長洞元気村事務所ほかにて撮影(8分) 長洞元気村 http://www.nagahoragenki.jp/

1 地域特性・被災状況(すべての画像はクリックで大きくなります)

図6

出典:陸前高田市調査総括表(国土交通省)、長洞元気村ホームページ

・長洞地区は、陸前高田市の広田地区にあり、中心市街地からは離れた位置にある漁村集落である。

・陸前高田市では、被災地域を8つの地区に区分しているが、長洞地区は広田地区と小友地区の境界に位置している。

・津波が広田半島の付け根の低地に浸水し、震災後は広田半島が島となり孤立した。

・長洞地区では、海側を下組、山側を上組と呼んでいたが、特に、下組の津波被害が大きかった。

・地区には60世帯、約200人の住民が住んでいたが、28戸が被災し、現在、仮設住宅に98人が住んでいる。

2 「長洞元気村」の概要

■活動経過と展望・課題

図7

出典:長洞元気村ホームページ

・震災により家を失った人は、集落内の高台の民家に身を寄せていた。広田半島が陸側と分離し、物資の入手が困難になったため、集落にある米や魚を分け合って食べるなど、助け合って一番つらい時期を乗り越えた。

・仮設住宅も住民自ら地権者と交渉し、集落内に用地を確保、市や県を説得して、仮設住宅団地(長洞元気村)を建設した。

図8

伝統菓子 ゆべし 出典:長洞元気村ホームページ

・長洞地区の復興は、この長洞元気村をシンボルに展開されてきたと言える。仮設住宅団地の名称にとどまらず、現在は、長洞地区の被災者のための自治会組織となり、未来会議(事業計画を策定し、海産物の産直等を実施する組織)や、なでしこ会(伝統菓子や郷土料理のPR等を実施)が組織され、様々な活動に取り組んでいる。

図9

なでしこ会 出典:長洞元気村ホームページ

■取り組みのポイント

●“フロンティア精神”がトップランナーの要因となった

図10

高台移転候補地の検討結果2011年7月3日 出典:長洞元気村ホームページ

・長洞地区は、陸前高田市の中でも小さな集落である。かつ、中心市街地から離れ、広田地区と小友地区の境界にあることから、市全体でみても、地区でみても端の集落である。

・小さな集落であったため、また、集落世帯の多くが漁協の組合員(60世帯で55人の組合員)であるといったことから、被災前から、集落コミュニティの結束力が高かった。

・辺境にある集落の復興は役所に任せると遅くなると考えた長洞元気村では、「自分たちでやれることはやる」という意識をもって、震災後直ちに復興に取り組んだ。

・平成23年12月には、陸前高田市に「長洞集落復興計画(高台移転)要望書」を提出している。

●コミュニティを維持するため自らが仮設住宅団地を手配

・陸前高田市には多数の仮設住宅団地が建設されることとなった。被災者は、地区外の仮設住宅を斡旋される可能性がある。

・そこで、長洞地区では、コミュニティを守るため、自ら用地を確保し、市に要望し、地区内に仮設住宅を確保した。

●子どもを重視して復興を進めた(長洞元気学校:寺子屋塾)

図12

出典:長洞元気村ホームページ

・被害後、学校がいつ再開されるかわからない状況であった。そこで、いち早く、教員免許を持つ者を集め、長洞元気学校を立ち上げた。

・子どもの暮らしを復旧する視点は、子育て世代の定着につながったと考えられる。

●体制づくりと専門家の支援

図13

長洞元気村ニュース 仮設市街地研究会の紹介記事 出典:長洞元気村ホームページ

・集落の復興にあたって、長洞元気村では村長、事務局長のポストをつくり、復興の体制づくりを行った。

・また、復興にあたっては、外部支援者となった「仮設市街地研究会」(現在はNPO法人復興まちづくり研究所)が有効に機能したと言える。

・長洞元気村の自主的な活動を、専門的な知識・技術を持ってサポートしている。

●未来を見据えた取り組み

2011.3.11 陸前高田市 長洞集落のたたかいが始まった

「被災地の復興は今、まだ一歩を踏み出したところです。10年後、20年後、今の子どもたちが大人になったとき、長洞が魅力有る『元気村』でありつづけるよう、やるべきことは山積していますが、一歩一歩歩んで行きたいと思います。」

(2011.12.30発行パンフレットの表紙に掲載されている文を抜粋)

・長洞元気村は、高台移転や港の復旧など、当面の集落再生だけではなく、将来の集落の活力を目標に取り組んでいる。

・これは、海産物の産直やツアーの受け入れなど、他の集落にはない活動を実施している点にも現れている。

3 次世代型まちづくりにおけるモデル性

長洞元気村は、震災をバネとして、新しい集落像を実践している。ここから「次世代まちづくり」のモデルとなる要素を分析する。

●自立したガバナンス

・行政に頼らず、自治を行うガバナンスはエリアごとのまちづくりに有効

・「できることは自分たちで取り組む」という姿勢が、機敏な判断につながる

●外部支援者の活用

・専門分野については、外部支援者を活用して対応する

●発展的な取り組み

・復興メニューに止まらず、将来の集落維持・活性化を視点にした発展的な取り組みを展開

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第4回 「復興の現場から(その1)」~持続可能な地域再生へ 地域が主体で考える仮設住宅・高台移転~

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事例2:宮城県気仙沼市「小泉地区の明日を考える会」-若い世代が中心となり、早期の高台移転をめざす

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解説 加納保氏(小泉地区の明日を考える会事務局長) 2013/4/20 気仙沼市本吉町平貝 明日を考える会館ほかにて撮影(7分) 小泉地区の明日を考える会 http://www.saiseikoizumi.com/

1 地域特性・被災状況(すべての画像はクリックで大きくなります)

図14

出典:気仙沼市調査総括表(国土交通省)

・小泉地区は、水産業を基幹産業とする気仙沼市の最南端に位置し、2009年に合併した旧本吉町の一部。

図15

出典: http://www.city.kesennuma.lg.jp(主な地区の津波被害の状況について)

・津谷川を遡上して大規模な浸水被害が発生し、小泉地区の集落は全壊した。また、気仙沼線の線路、陸橋、陸前小泉駅は流出した。

図16

出典: http://www.city.kesennuma.lg.jp (主な地区の津波被害の状況について)

・小泉地区は十数メートルの津波に襲われ、518世帯のうち266世帯が流出・全壊という被害を受けた。一方、そのような壊滅的な住家被害に対して、1,810人の住民のうち死者・行方不明者は43人にとどまった。

2 「小泉地区の明日を考える会」の概要

■活動経過と展望・課題

図17

集団移転先の構想図(出典: http://www.saiseikoizumi.com/

・「復興」から「再生」へ、震災後、わずか1ヶ月あまりで、若手有志が「小泉地区の明日を考える会」を結成。同時に「防災集団移転促進事業」を推進するために「小泉地区の明日を考える会」が事務局となり「協議会設立準備委員会」を設立。

・ 2011年6月5日に「小泉地区集団移転協議会」を設立し、100世帯を超える地区住民の意向を集約、移転先の土地の候補を決めた。

・同年7月以降、ほぼ隔週で住民ワークショップを実施。2011年末には、約120戸の移転合意を得、住民主導による防災集団移転計画が事業化。

・造成工事に向けて実施設計が完了し、工事が開始される。

図18

造成工事が始まる集団移転用地(出典: http://www.saiseikoizumi.com/

■取り組みのポイント

●震災前から培われていた強いコミュニティが「再生」への原動力となった

・小泉地区の津波による人的被害は約3%と隣接沿岸部の集落に比べ圧倒的に小さい。これは、日頃からのコミュニティの強さの賜物であった。

●「みんなで一緒に住む」にはどうしたらよいか、そんな思いが住民の総意だった

図19

集団移転先の計画案(筆者撮影)

・そして、このコミュニティが、高台移転の決意につながった。

●「自分たちのまちは自分たちで考えよう」、そんな思いで会を立ち上げる

・合併市の南端に位置することから、行政の復興支援は後回しになる、そんな危機感から、自分たちで復興から再生に向けた取り組みを開始した。

●「次のまちづくりは私たちにやらしてください」、若い世代が再生の原動力になる

図20

「小泉地区の明日を考える会」事務局長の加納氏(筆者撮影)

・長老を説得し40~50代が中心に地域を動かす。この世代交代が、その後のまちづくりを加速させる。

●地区の思いを理解した「まちづくりの専門家」が再生を後押しする

図21

住民ワークショップの風景。森教授がきめ細かく対応(出典: http://www.saiseikoizumi.com/

・しかし、想いだけあっても、自分たちだけでは、なにもできない。まちづくりのアドバイザーが必要。北海道大学森傑教授との出会いが、具体的な再生のアクションに結びつく。

●住民間のきめ細かい話し合いが、計画の早期合意に結びつく

図22

住民ワークショップのまとめ(筆者撮影)

・奥尻町の調査経験から、持続的なコミュニティ形成を課題とした森教授は、「数十年後のまちづくり」の設定を提案。それに答えた住民は、「ほぼ隔週の住民ワークショップは、2013年4月現在までに23回開催。その結果、自力再建住宅と災害公営住宅をセットで高台移転する案を固めるなど、住民同士の豊かなコミュニケーションをベースとして「将来に引き継ぎたい小泉地区の良さ」を再確認する。

●「株式会社化」し、持続的なまちづくりを追及する

・現在、組織を株式会社に改組し、街並みの保全や効率的なまちづくり、持続的なまちの経営を視野に入れた取り組みを展望している。

3 次世代型まちづくりにおけるモデル性

小泉地区のまちづくりは、震災復興・再生に関わらず、「次世代まちづくり」のモデルの要素をたぶんに含んでいる。最後に、そのモデル性の要素を考察する。

●震災前からの地域コミュニティとそれを束ねる地域マネジメント力の存在

・それを可能にした、常日頃からのコミュニティ力とマネジメント力

●機動的にまちづくりを実践する主体へのスムーズな移行

・長老世代から次の世代へ、内発的なまちづくり主体・組織の改変・強化

●優れた専門家との上手なコラボレーション

・専門家を見る目と早期タイミングでのマッチング

●地域経営を実践する組織の立ち上げ

・復興に終わるのではなく、持続性を見据えたまちづくり・地域経営の視点の重視

・協議会から事業実施組織への飛躍・発展

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第4回 「復興の現場から(その1)」~持続可能な地域再生へ 地域が主体で考える仮設住宅・高台移転~

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事例3:宮城県東松島市「野蒜(のびる)地区復興協議会」-震災前の自治活動を母体として、復興まちづくりを推進する

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解説 福島氏(東松島市役所復興政策部復興都市計画課)、和泉勝夫氏(野蒜地区復興協議会高台移転部会会長)、成澤孝一氏(野蒜地区復興協議会会長)

2013/4/20 東松島市野蒜地区高台移転工事事務所展示室ほかにて撮影(7分)

野蒜まちづくり協議会 http://mm.higashimatsushima.net/matsumng/introduction.do?id=00007

1 地域特性・被災状況(すべての画像はクリックで大きくなります)

図23

出典:東日本大震災の被災状況に対応した市街地復興パターン概略検討業務(その12)東松島市 調査総括表

東松島市は、旧矢本町と、旧鳴瀬町が平成 17(2005)年4月1日に合併して誕生した人口約4万3千人(2011年2月1日. 現在)の自治体である。

図24

出典:東日本大震災の被災状況に対応した市街地復興パターン概略検討業務(その12)東松島市 調査総括表

仙台市の北東にあり、東は石巻市、南は太平洋に面する。気候は東北としては比較的温暖で風雨の少ない地域である。

野蒜地区は、市の南西部に位置し、鳴瀬川の右岸、奥松島と呼ばれる半島部の入り口部分の地区である。地区東側には野蒜海岸が広がっており、風光明媚な場所であることから市内の有数な観光名所であった。

地区内には鳴瀬川から松島湾につながる東名運河が東西に流れている。

図25

爪痕の残る野蒜駅

図26

流失した住宅の上部が今も浸水エリアに

被災の状況は、野蒜海岸(北側エリア)における浸水高は最大 10.35m、今回の津波最大浸水深は5.6m、全壊1,591 棟、大規模半壊335 棟、半壊134 棟といった状況である。

また、東名運河以北は一部家屋が残ったものの壊滅的な被害であった。東名運河以南はほとんどの家屋が流出し、今もなお海水が残るエリアがある。

海岸際の地域は平均して50~60cm程地盤が下がった。場所によっては1m程下がったところもある。そこに津波が7,8回にわたって押し寄せ、瓦礫が瓦礫を押し、住宅を壊していった。

野蒜地区は、東松島市内でも津波被害が特に大きく、市内の死者・行方不明者約1,100人のうち野蒜地区では約520人が亡くなった。2013年5月8日現在の行方不明者27人のうち 8人が野蒜地区住民と、被害の大きさを物語っている。

図27

出典:国土交通省国土地理院 被災地周辺の空中写真より http://www.gsi.go.jp/johofukyu/syosai_ortho.html

図28

出典:朝日新聞(2013年5月21日)

なお、現在、野蒜の公園跡地で、メガソーラー(大規模太陽光発電所)の建設が進んでいる。市有地を借り民間企業が建設・運営を担う。年間発電量は一般家庭の約600世帯分の210万キロワット時を見込み、すべて東北電力で売電する方針である。

2 「野蒜(のびる)地区復興協議会」の概要

●復興を後押しした市民協働まちづくりの仕組み

図29

出典:http://www.city.higashimatsushima.miyagi.jp/city/kyoudou/kyoudou-05.html

東松島市では平成17(2005)年度から市民協働のまちづくりに取り組んでおり、市民が主体となって地域単位でのまちづくりの立案運営を可能とするような自助自立型のまちづくりを目指していた。

また、これらの取組を支えるため、東松島市まちづくり基本条例を制定し、地域の自主性を尊重し自立した活動を促進するという観点から、地域自治組織の裁量で有効に使える財源の確保が必要との考えから平成21年度からは東松島市地域まちづくり交付金制度が活用されていた。

●将来を見据えた自治組織による活動が展開されていた

図30

出典:http://comiren311.org/kaigi_7.pdf 左記資料に加筆 地域コミュニティ支援連絡会議資料

『野蒜まちづくり協議会』は震災前の平成20(2008)年4月に地域の全戸が加入して設立された組織である。協議会設立に際し、平成17年度より行政区長を中心に検討、協議し、地域全体でのまちづくりやコミュニティ活動への取り組みが求められてきた中で、将来を見据えた組織が設立された。

平成21年度からは、専門部会員が中心となって、各種行事やイベントの開催などにより地域住民を巻き込みながら活動が展開されていた。

■野蒜まちづくり協議会における部会ごとの理念 キャッチフレーズ

・保健福祉部会:健康で心豊かに生活できる支え合いのまちづくり

・教育文化部会:明るいあいさつ響くまち 未来へのびる海のまち

・環境部会  :住みよいまちを私達の手で ~花で飾ろう野蒜のまちを~

・防犯防災部会:いつでも安心 どこでも安全 笑顔で暮らせるまちづくり

・復興部会  :市民協働のまちづくり

●震災後の早い段階での方針決めと要望書づくりが功を奏した

野蒜地区では震災から2ヶ月程で被災地域の再建には集団移転しかないという事が決まり、元々あった12の行政区の全住民・区長とまちづくり協議会の役員・会長の総意で市長に要望書を提出した(5月11日)。

これをきっかけとして比較的復興にむけた事業等が進捗している一因となっている。

●住民主体の復興まちづくりを考えていく組織の誕生!

「野蒜まちづくり協議会」の専門部会として、2012年7月18日に、新たに「復興部会」が誕生した。この部会が誕生した背景は、今後多くの住民が参加し、住民主体で復興まちづくりを考え、実現を目指していくことを目的に設置された。

復興部会の組織体制は以下の通り

①復興班 緊急時避難道路の確保/移転先コミュニティー形成/在宅地域の安全対策

②教育施設班 小、中学校建設促進/運動公園再建

③医療福祉班 医療施設の誘致促進/福祉施設の誘致促進/子育て支援対策策定

④産業振興班 被災農地の復旧対策策定/水産施設の復旧対策策定/商業施設の誘致策定/観光施設の復旧計画策定

●復興推進に向けた『野蒜地区復興協議会』へと発展

図31

出典:野蒜まちづくり協議会ホームページ

2012年11月25日には野蒜地区復興協議会設立総会が開催された。これまでは「野蒜まちづくり協議会 復興部会」として話し合いの場がもたれてきたが、今後はこの復興部会が「野蒜地区復興協議会」へと名称を変え、新たな体制での野蒜復興まちづくりが始まった。ここでは再度野蒜地区住民へ参加を呼びかけ、①復興部会、②医療福祉部会、③産業振興部会、④教育施設部会、⑤高台移転部会 に分かれ、また会長、副会長、会計、監事、役員を選定し、東松島市が造成する野蒜北部丘陵団地及び移転跡地等の復興基本計画を作成し、復興を推進することを目的としている。

また復興協議会では、移転先だけではなく、元々街があった場所の跡地利用も併せて考えている。

■取り組みのポイント

●仮設住宅への入居時における経験を生かしたコミュニティの再生を目指す

図32

仮設住宅への入居方法については、抽選だったのでほとんどコミュニティがバラバラになっているという現状であった。抽選は公平だが、それぞれの居住者の意志と関係なく場所が決まり、周辺住民と仲良くまとまって住みたいという要望は受け入れられない方法であった。

仮設住宅の住民からは、震災直後のつらい時期に周辺に知り合いがいてほしかったという意見が聞かれている。

仮設暮らしは数年間で済むが、移転先は何十年と住み続けていく場所になるため、より慎重に住民の意見を取り入れる必要がある。

元々あったコミュニティを重んじた計画となっている事について、会議に参加していない住民にわかりやすく伝え、被災者の目線を大切にしながら計画をつくっていった事が功を奏していると考えられる。

●合意形成に向けた丁寧な情報発信

図34

部会会議で話し合うテーマは自由に設定されており、必要に応じて1つのテーマで3~4回続けて話し合われてきた。

合意を得るためには会議の回数が増えるのはやむを得ないと考えられている。これから住宅地の電柱やゴミ捨て場等の配置を決めていく必要があり、なるべく住民のデメリットの部分を少なくなるようにするため、市からの情報提供を求めている。

図35

高台移転先となる野蒜北部丘陵地では、URによる土地区画整理事業が進められている。

旧行政区のコミュニティを守るために、全体会議で合意を得て、道路を隔てて大きく3つ(東・中央・西エリア)に分けることに決め、その後、公園や商業地等を示した全体的な土地利用の提案を全体会議で皆に提示し、討議を重ねてきた。エリアの中で自分の住居をどこにするかという議論を進める段階になっており、複数ある決め方の選択肢から、個人の意志が尊重されるというメリットから選抜抽選方式で決める方向性となった。

●多様な復興支援の担い手による後押し

図36

復興新聞についてはJICAから支援を得ている、また、JICAから復興支援員が派遣されており、地域のコミュニティづくりにむけた多様な取組が展開されている。

また、震災以前からそれぞれの地域の核となる市民センターをつくり、まちづくりについて話し合ってきたが、震災以後は復興まちづくりに向けて皆が集まれる機会を設け、そこで情報発信をしている。これらの取組みは東松島市のHPで各協議会の会議議事録を見ることができる。

3 次世代型まちづくりにおけるモデル性

野蒜地区のまちづくりは、震災復興・再生に関わらず、「次世代まちづくり」のモデルの要素をたぶんに含んでいる。最後に、そのモデル性の要素を考察する。

● 被災前からの地域自治機能を活かした復興まちづくり

・仕組みを活かせる住民の主体性あるまちづくりへの取組意欲と覚悟を持っている

● 合意形成に向けた丁寧な情報発信

・コミュニティを大切にしながら地域の意志決定に対して丁寧なアプローチ

● 自治体、関係機関、専門家らの多様な支援を受け入れる力

・地域内に多様な支援者による役割に応じた支援を受け入れられる力が内在

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第4回 「復興の現場から(その1)」~持続可能な地域再生へ 地域が主体で考える仮設住宅・高台移転~

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まとめ:復興の第2フェイズに向けて

被災から2年余を経過し、非常事態として行政主導型復興で対処せざるを得なかった段階から、被災者主導による本来のまちづくり型復興へと舵を切る段階に入った。一般的なまちづくりではごく当然のことである「住民主導・住民主体」であるが、この大災害からの復興の初期段階ではほとんど行われず、行政と受託コンサルタントによる復興計画づくりとその事業化というシナリオで進められてきた。実質的に住民不在のままでつくられた復興計画は、実際の事業化とその後のコミュニティの維持管理において大きな課題を背負うことになる。

一方で、被災した方々はこの2年間の復興に向けた経験をストックに変え、高い意識レベルで復興まちづくりに臨むようになっている。「復興とは何なのか」、「地域の復興」において最も大事な事とは何なのか、という根源的な問いかけを行い、個々の住宅や道路などの再建と同時に「地域社会、コミュニティの再生と維持」が大事なのだということに気づき、住民主体の復興まちづくりの動きが出始めている。

今回取り上げた3地区は、こうした点で一歩も二歩も進んでいるが、それぞれは皆独自にがむしゃらに取り組んできた地区である。そして、そこには他の被災地における今後の復興まちづくりや、全国の多くの地域におけるまちづくりに際めて有益な示唆が含まれている。それら多くの示唆の中から、特に重要だと思われる数点に絞り、以下に整理する。

① コミュニティ : 日常のありようが緊急時・非常時の基盤となる

今回の3地区は、いずれも被災以前の通常時の地域の体制が被災後の素早い復興に向けた活動の母体となっている。大津波被災という大きな危機に際して、その前後を通したシームレスな活動母体の存在は、地域住民の心のよりどころでもあり、その後の復旧復興活動の中核として大きく貢献し、現在に至っている。

陸前高田市の長洞元気村は、居住者の大半が漁協組合員であり、もともと結束力の強い濃密な漁村コミュニティが形成されてきた。この求心力の強い漁村コミュニティが被災後も維持され復興の母体となっている。一方、気仙沼市小泉地区は2009年に気仙沼市と合併した地区で、合併に至るプロセス等において地域の意思確認と合意形成などが繰り返し行われてきた。被災後はこうした従前のコミュニティ体制をベースとしつつも、非常時を乗り切るためにより強力な体制を構築するという、いわば地域組織のイノベーションが行われて復興の推進母体となっていく。これに対して、東松島市野蒜地区は、まさに日常的なまちづくりの体制が被災後の緊急事態の受け皿となった好例である。被災前の平成17年に始まった、地元住民と行政との協働体制を母体とするまちづくり協議会・専門部会の日常的な活動が、被災後2カ月での集団移転の住民合意に結び付いている。

これら3地区は、壊滅的な被災のなかでいち早く復興に向けた活動を開始したが、その源泉は被災以前における日常的な地域活動、まちづくり活動とそれを担う母体があったからに他ならない。

② 地域の意思 : リーダーシップと合意形成が復興の枠組みをつくる

被災地の復旧・復興のプロセスは、基本的に初期の避難所・避難先での生活から始まり、行政による仮設住宅の建設に伴って仮設住宅での生活に移行し、さらに、防災集団移転促進事業や土地区画整理事業で宅地を整備して個々の住宅を建設して、ようやく本来の生活を取り戻すというものである。この間、短くて3年余、多くは4~5年がかかる。現在は、ようやく防災集団移転促進事業や土地区画整理事業に取り掛かる段階である。

コミュニティの再生には、この時間のかかる復興を求心力を維持しつつ粘り強く進めていかなければならない。そして、求心力のカギとなるのがリーダーシップであり、リーダーシップと対の関係にあるのが住民の積極的な参加と合意である。この点では、今回の3地区はかなり異なったタイプのリーダーシップ及び住民の係り方を示している。

長洞元気村は「村長」さんの強力なリーダーシップと漁村コミュニティの結束力、小泉地区は世代交代によって実行力のあるリーダー群による意思統一、野蒜地区は被災前の協議会型組織を母体とする集団的な実行体制と3者3様である。しかし、地区における信頼度の高さは共通で、この高い信頼度の下で地区再建の進むべき方向を明確にし、それを地区全体の総意として具体的な事業に結び付けていることが早期の事業化に表れている。

③ 協働 : 専門家をうまく使いこなすことで復興をカスタマイズ

復興を住民主体で進めるためには、まず地元の意思を明確にし、そのうえで専門家と協働して具体的な課題に対処していくことになる。復興への想いを具体的な形にするためには、様々な分野の専門的スキルが必要であり、それを如何に上手く活用するかが住民主導型のまちづくりでは重要なポイントである。その意味では、取り上げた3地区はいずれも専門家との関係を上手く構築している好例である。

長洞元気村では被災後1カ月には、現NPO復興まちづくり研究所のメンバーが係るようになっているが、このメンバーは阪神淡路や中越の際にも復興に係ったベテランであり、長洞元気村の独立自尊型まちづくりには最適の支援者でもあった。小泉地区は、地区で決めた高台移転の想いを具体化するため、最適な専門家を多くの資料から検討をして、奥尻島復興で高台移転などに係った北大の森教授をスカウトし、最適な高台住宅地をつくるためのアドバイザーとして迎えた。野蒜地区の場合は、官民協働でJRの駅・路線ごとの高台移転を行う事業であり、市が委託するコンサルタントやUR都市機構に加え宮城大学やJICA等の協働による復興支援員がサポートしつつ復興まちづくりを進める体制をとっている。

いずれも、専門家にすべてを任すのではなく、自分達の目指すまち、やりたいことを明示しつつ、その実現に向けて助言や支援を仰ぐという点では共通している。

④ 次世代へ : 復興後に向けたガバナンスの体制づくり

今回の大災害は日本が大きな変局点にある時代に起きた。人口が高齢化しつつ減少し、中小都市や大都市郊外などでは地域の維持すら困難な状況に陥るエリアが生じつつある。一方で行政は財政のひっ迫により地域の維持管理コストの削減を迫られている。被災地の復興はまさにわが国のこれからの地域の姿であり、地域におけるガバナンスの形を先取りするものでなければならない。単に物的空間の復興を成し遂げるのではなく、持続可能な地域社会そのものを如何にして形成していくかということが問われている。この点からみても3地区の形は各々の特徴がはっきり表れており、各々の地区特性に応じたガバナンスの体制づくりが重要だということを示唆している。

長洞元気村は既に「元気村」という一種の自立したまちづくり組織を組み立て、この元気村をベースとして産直事業や特産品開発、体験ツアーなど様々な事業を始めている。小泉地区では自らまちづくり会社を設立して高台移転事業自体にコミットすることを計画しており、その先にいわゆるエリアマネジメントを含めた、地区のガバナンスを担う体制を構築することを目指している。ここには単に行政による防集事業ベースの高台移転という受け身の体制ではなく、積極的にコミュニティを自ら作り維持していくという強い意志が感じられる。野蒜地区は、被災前からあるまちづくり協議会を発展させた復興協議会をベースに高台移転に向けた合意形成を着実に進めており、新しく作られる住宅地でのコミュニティづくりにおいて、こうしたていねいなまちづくりの進め方が大きく影響すると思われる。

ここに取り上げた3地区は、単なる生活再建的な意味での復興にとどまらず、その先の未来をしっかり見据え、そこに至るロードマップを自分たちなりに描いているように思える。そして、そのためのカギとなる要因として、長洞元気村では「村」という一種の自治組織型ガバナンスであり、小泉地区では世代交代やまちづくり会社化に将来を見据えた実行体制づくりであり、野蒜地区では地元+行政+専門機関+支援グループという体制による大規模事業(=長期事業)への構えである。

3地区はいずれもこうした地元主導の体制をかなり早い段階で構築し、この地元主導体制をベースとして行政や専門家を巻き込んで復旧から復興へ、さらに復興のその先へと歩を進めつつある。

■著者プロフィール

渡会 清治(わたらい せいじ)

1949年静岡市生まれ。武蔵工業大学建築学科卒業。株式会社アールトゥ計画事務所代表取締役、(NPO)日本都市計画家協会副会長、(社)日本都市計画学会会長アドバイザリー会議委員。技術士(都市及び地方計画)。著書に「新都市計画マニュアル」(編共著、丸善)、「都市計画マニュアル」(編共著、行政)、「地域と大学の共創まちづくり」(共著、学芸出版社)、「都市・農村の新しい土地利用戦略」(共著、学芸出版社)など。

内山 征(うちやま すすむ)

1971年茨城県生まれ。東京理科大学理工学部建築学科卒業。株式会社アルメックVPI主任研究員。(NPO)日本都市計画家協会理事。技術士(都市及び地方計画)。

塩谷 貴教(えんや たかのり)

1970年岐阜県生まれ。三重大学工学部建築学科卒業、同大学院修士課程修了。株式会社地域計画連合取締役、(NPO)日本都市計画家協会正会員。技術士(都市及び地方計画)。著書に、「密集住宅市街地のまちづくりガイドブック」(共著、(社)全国市街地再開発協会)。

中川 智之(なかがわ さとし)

1959年大阪府生まれ。東京理科大学工学部建築学科卒業、同大学院修士課程修了。株式会社アルテップ代表取締役、(NPO)日本都市計画家協会理事。技術士(都市及び地方計画)、一級建築士。著書に「景観法を活かす」(共著、学芸出版社)、「環境貢献都市-東京のリ・デザイン」(共著、清文社)、「マンション建替え-老朽化にどう備えるか」(共著、日本評論社)など。

2013.6.12

企画・制作:公益財団法人ハイライフ研究所 / NPO法人日本都市計画家協会

第4回レポート全文は以下のPDFでお読みいただけます。

第4回 「復興の現場から(その1)」~持続可能な地域再生へ 地域が主体で考える仮設住宅・高台移転~


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